赤い糸をたどって

『赤い糸をたどって』 第三十三回

 ←『赤い糸をたどって』 第三十二回 →『赤い糸をたどって』 最終回
 翌週の日曜日は、松田と会う約束をしていた。彼女が「海が見たい」と言ったので、俺の車でドライブすることになった。
「海水浴はしませんけど」と、念押しされたため、残念ながら水着姿は拝めない。というより、そんなことは始めから期待していない。
 松田を、彼女の住むマンションの近くで助手席に乗せて、海を目指した。天気は快晴で、絶好の海日和だ。
「海へ行くなんて本当に久しぶりです」
 昨日は残業もほどほどに仕事を切り上げられたらしく、松田は上機嫌だった。
「いつ以来ですか?」
「さあ、思い出せないくらい前かな。春見さんは?」
「僕は最近、岬シーパークに行きました。まあ、あそこは海って言うより、湾岸ってイメージのほうが強いですけどね」
「そうですね」
「白い砂浜のある海は四、五年くらい前かな。かなり曖昧な記憶だけど」
「海水浴ですか?」
「はい。僕は泳ぎのほうは全然ダメなんで、海に浸かっているって程度でしたけど」
「でもあんなところで全力で泳ぐ人なんていないんじゃないですか?」
「それは言えてますね。松田さんは泳ぎは得意?」
「子供の頃、習っていたので、少しは」
「へえ、そうなんですか。僕も水泳は習っておけば良かったかなって後悔しています。体育の授業では苦労したので……他に何か習い事はやっていたんですか?」
「習字と算盤へ行っていました」
「じゃあ、結構習い事尽くしだったんですね。習字は僕もやっていました。まあ、今となっては、ムダだったなって言うほど下手ですけど……」
「それは私も同じです」と松田はクスクス笑った。
 その後しばらく子供時代の話に花が咲いた。

 小

 高速道路も含めて、車で走ることおよそ一時間。海に辿り着いた。
 海と言っても「海浜公園」で、所謂海水浴場の類ではない。それでも車の数は多くて、駐車場へ入るのに、少し時間が掛かった。
 公園は「緑のエリア」、「バーベキューエリア」、「遊具エリア」、「海辺のエリア」に分かれている。夏休みと言うこともあり、「バーベキューエリア」と「遊具エリア」が特に賑わっていた。二つのエリアを抜けると、海辺のエリアに出ることができた。
 スチールの階段を昇って堤防へ上がると、そこには雪のように白い砂浜と、太陽の光を反射して美しく煌めく青い海が広がっていた。
「これですよ。私が見たかったのは!」
 松田の興奮がその言葉を通してよく伝わってくる。
「波打ち際まで行ってみましょうよ」
 彼女の言葉に従って、砂浜へ下りる。立て看板に『遊泳禁止』と書いてあるにも関わらず、泳いでいる者たちがいる。それどころかサーフィンをしている者の姿さえも見える。ビーチバレーを楽しむ者、フリスビーを犬に追わせている者、静かに海を眺めている者、良い悪いは別として、皆、夏の海を満喫しているようだ。
「楽しそうですね」
 そう言う松田も「皆」のうちの一人で、優しく口元を綻ばせている。
 海には、誰もが幸せな気分になれる不思議な力があるようだ。
 小学校一、二年くらいの男の子と女の子が、裸足で俺たち二人の横をすり抜けていった。松田がその姿を見て、「気持ち良さそう」とまた目を細くする。
「僕たちも裸足になってみますか? ちょうど二人ともサンダルだし」
「でも車が汚れちゃうし」
「いいですよ。足を洗うところがあるし、タオルだって持ってますから」
「本当に?」
「はい。せっかく来たんだし、海を楽しまないと」
 松田はしばらく悩んでいる様子だったが、「じゃあ、思い切って」とサンダルを脱ぎ、砂浜に足を下ろした。
「アチッ!」
 思わず出たであろう、松田の自然で可愛らしいリアクションに吹き出す。
「あっ、笑いましたね。でも本当に熱いんですよ」
 松田に倣って俺もサンダルを脱いで、砂浜に足を置く。
「熱っ!」
「ねっ? 熱いでしょ」
「本当だ」
「でももう慣れましたよ。ほら」
 松田が波打ち際に沿ってゆっくりと歩き始めたので、俺もそれに続く。
「海にも入ってみましょうよ」 
 松田の言葉に、二人揃って潮水に足を浸す。思ったより冷たい。
「気持ちいいですね。やっぱり水着持ってきたほうが良かったかな……あっ、でも太っちゃったから新しいのを買わないとダメか。それに遊泳禁止だし」
 松田はペロリと舌を出し、自分の言葉に笑う。
 こんなに喜んでくれるのなら、連れてきた甲斐があったというものだ。

 しばらく海辺を歩いた後、砂浜に腰掛けて二人で海を眺めていた。絶え間なく吹く潮風のせいか、思っていたほど暑くはない。
「やっぱり連れて来てもらって良かったです。ありがとうございます」
 松田が丁寧に頭を下げる。
「そんな……やめて下さい。何も特別なことをしたわけじゃないんだし」
「いいえ、特別なことですよ。私、今の会社に入ってからは、休みの日は大抵家の掃除や洗濯、それと買い物をするだけで終わっていました。また明日から仕事が始まると思うと気が滅入っていたし、体のことを考えて『ゆっくりしよう』とか『早く寝よう』とか、そんなことばかり気にして、ロクに楽しめていなかったんです。それが普段の休日の過ごし方だから、今日は特別なんです」
 勿体ないことしていたんだなと、松田は悲しげに溜息をついた。その切ない表情に、思わず肩を抱き寄せたい衝動に駆られる。
 もちろん、まだそんなことはすべきじゃない。
「これから取り戻せばいいじゃないですか」
「取り戻せば……か。できますか?」
「できますよ。僕が保証します」
 松田が俺の顔をじっと見る。決して目を逸らさず、俺はそれに応える。
「春見さんがそう言ってくれるのなら、安心です」
 彼女にまた笑顔が戻った。

 小

 帰りの車の中、松田にも若槻と同じことを尋ねてみることにした。
「松田さんは結婚するなら、いつ頃だと考えているんですか?」
「それって季節のことじゃないですよね?」
「はい。例えば、いい人がいたらすぐにでもかどうかってことです」
「そうですね。すぐにでもって言いたいところですが、やっぱり仕事の引き継ぎとか、新居探しとかあると思うので、準備のための時間が必要かなとは思っています」
 若槻とほぼ同じ答え。それほど結婚を遠くに考えているようには見えない。
 結婚を前提とした交際を申し込むのに、二人の間に決定的な何かがあればと思ったのだが、残念ながらそれを見出すことはできなかった。
スポンサーサイト


もくじ  3kaku_s_L.png 作品紹介
もくじ  3kaku_s_L.png 上手な別れ方
もくじ  3kaku_s_L.png 空と海
もくじ  3kaku_s_L.png 地球の軌跡
もくじ  3kaku_s_L.png 初夏恋慕
もくじ  3kaku_s_L.png お礼参り
もくじ  3kaku_s_L.png 遠くの隣人
もくじ  3kaku_s_L.png 道連れ
もくじ  3kaku_s_L.png 美しき幕引き
もくじ  3kaku_s_L.png 別れたら
もくじ  3kaku_s_L.png 願い集うとき
もくじ  3kaku_s_L.png 相方よ
総もくじ  3kaku_s_L.png 重要な選択
総もくじ  3kaku_s_L.png 未来(あした)が見たら
総もくじ  3kaku_s_L.png 親愛なるあなたへ
もくじ  3kaku_s_L.png 独り言(雑記)
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
  • 【『赤い糸をたどって』 第三十二回】へ
  • 【『赤い糸をたどって』 最終回】へ

~ Comment ~

こちらも・・・いい雰囲気♪ 

わぁ、若い頃を思い出しました。
普段とは全く違う新しい、別の世界、みたいですよね!
心が許せそうな異性との時間。
ドライブ・・・海・・・
車窓からの風景がどこか懐かしい。

最近の若い方々はしっかりとした結婚観を持っていますね。
この年齢の頃の私はまだ、結婚、何とかなるだろうみたいに思っていました。。

そろそろ、ラストへと向かっているのかな・・・?

kotanさんへ 

そうそう。帰りたくなくなるんです。
翌日の仕事が苦になるほどに。

最近は、晩婚なんて言って、社会へ出てから結婚へ至るまでの時間がだんだん長くなりつつありますからね。
昔は勢いでっていうのもあったのかもしれませんが、今は結婚観をしっかり作りあげてから結婚するようなイメージかな。
逆にそのせいで結婚をしなかったり。

実は次回、最終回です。
コメントくだされば、オマケをお渡しします。
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【『赤い糸をたどって』 第三十二回】へ
  • 【『赤い糸をたどって』 最終回】へ