赤い糸をたどって

『赤い糸をたどって』 第三十二回

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 翌日、牛島が何かつまらないことを言ってくるのをある程度覚悟していたが、いい意味で予想は外れた。席に着き、「おはようございます」と挨拶をすると、薄笑いの一つもなく、「ウッス」という挨拶が返ってくるのみだった。
若槻にもそれとなく、目で問いかけてみたが、特に困惑している様子もなかった。
 少々拍子抜けしたが、とりあえずは安心だ。
 机の右端に積み上げた書類の一つを取り出して仕事に取りかかろうとすると、「そう言えば、若槻さんって」という、もう一人の女性事務員「真央ちゃん」こと遠藤の声が聞こえた。ハキハキとした口調のせいか、ボリュームも大きく感じる。
若槻が「はい」と、何の疑いも持たないような返事をする。
「春見さんとつき合っているんですか?」
 俺のシャーペンの芯がボキッと音を立てて、どこかへ飛んでいった。
「ええっ!」という声を出したのは、若槻だけでなく、事務所内にいた全員だった。ただし、遠藤と俺、そして牛島を除いてだ。
 皆の視線は若槻と遠藤の二人へと一気に注がれた。
「なっ、なんでまた、唐突に……」
 その距離十メートルほどだが、若槻の慌てぶりと顔の紅潮ぶりが手に取るようにわかった。答えは知っているが、そう言わざるを得ない。そんな感じだ。
「いや、ちょっと小耳に挟んだものですから」
 アホの牛島のことだから、「ここだけの話だけどさ」なんて、「二人によく尋ねて欲しい」という本音とは反対の念押しをしたに違いない。
「別にそんなんじゃないって……偶然会ったから一緒に見て回ろうってなっただけ」
「偶然会ったってどこでですか? やっぱり二人で一緒にいたんですね!」
 遠藤の声のトーンが上がる。そして全員のテンションも上がっているはずだ。
 もうダメだ。完全に牛島の思うつぼだ。
 俺の体温も急上昇する。
「なんだ。お前たち、つき合っていたのか。だったら教えてくれよ」
「そうだよ。そんな気配全くなかったじゃないか」
「いつからつき合ってんの?」
 四方八方から質問の矢が飛ぶ。変化に乏しい日常に飽き飽きしているのは、どいつもこいつも同じらしい。
 牛島が頬を緩めているのが、容易に想像できた。
「若槻さんって趣味悪いんですね」
 どさくさまぎれの遠藤の一言に、俺は椅子から転げ落ちそうになった。
 知らぬふりを通すつもりだったが、そうもいかなくなった。覚悟を決めて、俺はすくっと立ち上がった。
「えーっ、皆さん。お静かに」
 両手を広げて、とにかく全員を黙らせる……つもりだったが、全く効果がない。
「春見、お前も冷たいよな。こりゃ大事件だぞ」
「なんで今まで黙っていたんだ?」
 中学校か、ここは……。
 とりあえず、質問は無視して、こちらとしての弁解を始めた。
「結論から言いますと、そういう事実は全くございません。ただし、先程、若槻さんから話がございましたように、K市のショッピングモールで偶然出会い、一緒に店内を見て回ったことは事実です」
「本当に偶然か?」
「だからって一緒に回ったりするか?」
 皆、少しは落ち着き始めたものの、地味に質問は続く。
「百パーセント偶然です。お互い連れもいませんでしたし、時間に余裕もありました。それに、日頃より相手に対して特に嫌悪感を抱いているわけでもありませんし、二人で回ったところで何もいかがわしいことはないと、私は考えます。あっと、補足ですが、『嫌悪感を抱いていない』イコール『恋愛対象としての好意を持っている』とは考えないで下さい」 
「若槻留美君」と、誰かが国会答弁を真似して、若槻を指名する。よせばいいのに、若槻もそれに従って立ち上がる。
「今の春見君の言葉に嘘はないかね?」
「はい。嘘、偽りはございません」
 項垂れ、顔を赤くして小声で答える姿が見るに忍びない。
 とにかくこの事態を早く収集しなければ……。
 指名はされていないが、俺は口を挟んだ。
「遠藤さんがどなたからそのような情報を得たのかは存じ上げませんが、全てガセでございます」
 牛島の名前は敢えて出さなかった。ここで彼にしゃべらせたら、盛り上がりは最高潮に達するに違いない。
「皆さん、そういうことなので、この件に関しては以上を持ちまして終了でございます。朝から大変お騒がせいたしました。今日も一日、よろしくお願いします」
 強制的に終わらせて席に座ったが、「ちょっと待った」やら「まだ納得がいかない」などとしつこく質問を続ける輩がいた。
 そこへ「おはようさん」と低い声で挨拶をしながら、営業所長が出勤してきた。これまでの騒動が嘘のように、事務所内は一瞬にして静まり返った。いつもは厄介な存在だが、今日ばかりはその姿が神のように思えた。
 まだ一日の始まりだというのに、どっと疲れた。

 その日以降も、誰かに何かしら冷やかされるという状況が続いたが、初日ほどの騒ぎになることもなかった。
しかしちょっとしたことがキッカケでまたぶり返してくる可能性があるので、油断はできない。牛島には文句の一つでも言ってやりたい気持ちはあったが、そんなことをすれば逆に喜ぶのがあの人の性格なので、やめておいた。
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