赤い糸をたどって

『赤い糸をたどって』 第二十八回

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 六月に申し込んだM子という女性から『お受けします』の返事が届いた。
 本名は松田智花。年齢は二十八歳。ルックスは、今まで実際に会った女性の中ではいいほうに入ると思う。目がくりっとしていて可愛らしい。
『はじめまして。毎日、仕事に追われ、忙しい日々を過ごしています。そのせいもあって、出会いが全くありません。素敵な人が見つかればいいなと思います。理想の夫婦像は両親。二人のようにいつまでも仲良く人生を共に歩んでいきたいです』
 印象はとても良かった。こんなふうに「両親が好きだ」と言える人に悪い者がいるわけがない。惜しみない愛情を捧げられ、大切に育てられたのだろう。そんな女性ならきっと温かな家庭を築いていけるに違いない。
 若槻とはいい感じだとは思うが、彼女のほうはいったい俺をどんなふうに見ているのかはわからない。
 今の時点で、この女性の申し込みを断ってしまうのはあまりに惜しい気がする。まだ会員期間は残されているし、会うだけ会ってみてもバチは当たらないはずだ。それに俺が彼女から気に入られるという保証はどこにもない。
「よし。お受けしよう」
 独り言を呟いて、時計で時間を確認すると、午後九時過ぎ。
 まあ、メールなら問題はないだろう。
 とりあえず、「はじめまして」から始まる挨拶メールを送った。
 十五分ほどして返事が届いた。
『はじめまして、松田です。ご連絡ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。春見さんはもうご自宅でゆっくりされていますか? 私はまだ仕事中なので、少し返信に時間が掛かるかもです。泣』
 仕事中って言ったって……。
 改めて時計で時間を確認してしまう。
 紹介状に書かれていた彼女の職業は、事務職。例えば、営業や設計、デザイナーやプログラマーといった仕事ならわからなくもない。
 こんな時間まで働く事務員なんているのか。いや、ひょっとしたら、今日は偶然、残業が長引いているだけなのかもしれない。
『まだ仕事中ですか。大変ですね。僕は今、自宅で夕食の最中です。お忙しいようなので、また時間があるときにメールしましょう。無理せずに頑張ってくださいね』
 そう書いて返事を送ると、『心配してくださってありがとうございます』と、返ってきた。なんとなく気掛かりだったが、自分で「時間があるときに」と書いた以上、そこで切り上げるしかなかった。
 
 次の日、通勤電車の中で、松田からのメールを受け取った。
『おはようございます。昨日はゴメンなさい。今、通勤電車に揺られているところです。私の会社は、仕事の量の割に従業員が少なくて、帰りは大抵、九時から十時以降です。人事の話では募集をしてはいるそうですが、なかなか人が来ないというのが実情です。当然、出会いもないので、ブーケトスに入会しました。
 春見さんのお仕事は営業と書かれていますが、何の営業ですか?』
 このメールでどことなくわかったことは、松田の仕事がクリエイティブなものだから遅くなっているのではなく、単なる人手不足で、一人一人が処理しきれない量の仕事を担っているからに違いない。
 つまりキャパオーバー。
 俺自身の仕事を説明した後で、彼女の仕事について詳しく尋ねてみた。
『物流の会社に勤めています。私の主な仕事は商品の配送手配や数量の確認、電話応対などかな。チーフという立場なので、後輩の子の面倒を見たりもしています。彼女たちを教育したり、漏れがないかをチェックしたりもするので、結構忙しいんです。
 ゴメンなさい。もうすぐ電車を降りるので、一度切り上げますね。今日一日、頑張りましょう』
 俺の読みは当たりだろう。それに見合った給料がもらえていれば、まだ救いはあるが、こういう場合、大抵安月給だ。そんな状況だから、新しい者が入ってきても長続きはせず、いつまで経っても楽にならない。

 昼休みになったので、弁当を食べ終えてから『昼食はいつもどうしていますか?』とメールを送ってみたが、一向に返事が来なかった。
 まさか飯を食う暇もないほど忙しいわけじゃないだろうなと心配していると、午後十二時五十分に返事が届いた。
『ゴメンなさい。お弁当を食べ終わってから寝ていました。ほぼ毎日、お昼休みはお弁当を食べて少し眠るようにしています。そうしないと体が持たないので……春見さんはお弁当のほうが多いのですか?』
 俺の昼飯なんてどうでもいい。休みはちゃんと取れているんだろうか。
 すぐにでも答えが欲しかったが、彼女の仕事の手を止めて、帰りを遅くさせてはまずい気がしたので、その質問は夜まで控えておいた。

 小

 松田とメールをするのは、朝の通勤時間と午後九時前後の二回。それもほんの僅かな時間だ。
 夜に関しては、毎日、「まだ仕事中です」で始まる。
 まともな話ができない状態でわかったことは、彼女が恐ろしく仕事に追われる生活を送っているということ。
 休日は日曜日と祝日のみ。一応休めてはいるが、時折、休日出勤がある。あるいは休むために、前日は必死に仕事を片付けているかだ。しかもせっかく休めても、平日にできないことを消化するだけに留まっている。
 趣味の欄に書いてあるのは、読書、映画観賞、観葉植物。ただし、まともにできているのは、観葉植物の飼育くらい。植物たちの微かな生長を知って心癒されているらしい。

「……って感じなんだ」
「それで春見さんは心配しているんですか?」
 若槻の口調がどこか冷たく感じられたのは気のせいだろうか。
「いや、まあ、まだ心配するっていうほど彼女のことも知らないけどさ……ただ、ちょっとかわいそうだなって思って……」
 他の女性会員のことは話さないつもりだったが、松田に関してはあまりに気の毒なため、つい話してしまった。
 今日は、橋添に教えてもらった洋食レストラン「ぷろヴァんす」に夕食へとやってきた。若槻は「美味しさうわのせ目玉焼きハンバーグ」を随分と気に入った様子だった。
「でも辞めたいのなら、辞めるんじゃないですか? 残っているっていうことは辞める気がないからですよ」
「そこはやっぱり、代わりが見つからないから、簡単に辞めるって言えないんじゃないかな?」
「まあね……でもそんなこと言っていたら、いつまで経っても辞められないですよ。極端な話、『いつまでに新しい人を入れて下さい。例え、入らなくても、私はそれ以降は来ませんから』くらいの勢いがいるんじゃないですか?」
 確かに若槻の言うことは、間違っていない気がする。
「彼女は真面目で責任感が強いから、中途半端で投げ出したりできないかもな」
「まるで随分前から言っているような言い方ですよね? 一週間メールしただけなのに」
「何かトゲがあるよな? もしかして怒ってる?」
「いえ、別に。怒る理由なんてどこにもないじゃないですか」
 そう言って若槻は笑顔を見せたが、やはりどこかいつもと様子が違う。
「でも春見さん、それこそ彼女が辞めるに辞められず、結婚してからも働きたいって言ったらどうするんですか?」
「働いてくれるのは有難いけど、そこまでみっちりだとキツイな……でもさすがにそのときは辞めてくれると思うけどなあ」
「そこは曖昧にせずに、ちゃんと尋ねておいたほうがいいですよ」
「そうだよな。ありがとう」
 あれ……何だか恋愛相談のようになっている。少し流れを変えたほうが良さそうだ。
「ところでさ、若槻さんは結婚したら仕事はどうするつもり?」
「しばらくは続けようかなって思っています。収入は多いに越したことはないですから……でもそれも子供ができるまでで考えています。学校から帰って、家に誰もいないってかわいそうじゃないですか?」
「そうだよな。俺としても働いてくれるのは有難いけど、やっぱり子供に寂しい思いはさせたくないって気持ちがあるもんな」
「じゃあ、これに関しては、二人ともツボが同じですね」
 若槻の声のトーンが一つ上がった気がした。

 小

 だからと言って、松田に対してただ気を使っているだけでは一向に話が前へと進まないので、「一度会ってもらえませんか」と頼んでみた。時間は昼食かお茶程度で構わない。場所もできるだけ彼女にとって都合のいいところでという条件にしておいた。
 その結果、松田の住むマンション近くのパスタの店で昼食を一緒にとることに決まった。
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~ Comment ~

やはり・・・ 

春見さん、若槻さんの女心、分かってないのかなぁ。
もちろん、会員としての活動も大切ですよね。
私は人付き合いが得意ではありませんが、いろんな人と交流して、その出逢った方々の人生観を知りたくなりました。

この季節にインフルエンザA型で、家族全員感染してしまいました。
夫は持病の喘息もあり、救急搬送で大変でした。
不安定なお天気、どうぞ体調には充分お気をつけ下さいね。

kotanさんへ 

> 春見さん、若槻さんの女心、分かってないのかなぁ。

 そうですよね。でもここって難しいところですよ。そうなのかなって思っても、自惚れてるとは思われたくないし。
 ここまで来たからむしろ慎重でありたいんですよね。

 知らない人との交流出会いはいろいろと得る物もありますが、なかなか勇気もいりますね。

 インフルエンザ、大変でしたね。
 kotanさんもこれからも気を付けてください。
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