「赤い糸をたどって」
赤い糸をたどって(下)

『赤い糸をたどって』 第二十五回

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 数日後、俺の手元に若槻の紹介状が届いた。
 仕事ではなく、プライベイトであんなふうに落ち着いて話をしたのは、もちろん、初めてのことだった。彼女に抱いた印象は、自分でも思った以上に良かった。以前に紹介状を返却した理由は、同僚たちの目を気にしてだった。
 しかし若槻も会社の連中の面倒臭さはわかっているし、あからさまに仮交際中であることを匂わせたりはしないだろう。会社での言動にさえ注意すれば、問題ない。
 すぐにマイページへアクセスして、ブーケトスから俺の紹介状を若槻に送ってもらう手続きをした。
 
 それから三日後の夜、若槻から初めてのメールが送られてきた。
『お疲れ様です、春見さん。この度はお受けしてくれてありがとうございます。これから少しずつでいいので、お互いのことを知っていきたいですね』
 少々堅苦しい言い回しが彼女らしい。
『こちらこそよろしく』と書いて返信したが、それ以上のやり取りはなかった。
 そう言えば、若槻はあまりメールが好きではないと、他の誰かに言っているのを何度か聞いたことがある。
 話がある場合は、電話を掛けたほうがいいのかもしれない。

 翌日、出社すると、玄関のところでばったり若槻と出くわした。
 なぜだか胸が高鳴った。若槻は「おはようございます」と、はにかんだ表情で言った後、そそくさと俺から離れていった。そうなると俺も少し照れ臭かった。まだつき合っているわけでもないのに、妙な感じだった。
 俺たち二人の関係を疑う者なんていない気がした。それほど自然に元の状態を保っていたのだ。

 午後九時。マンションへ帰った俺は、若槻に電話を掛けた。次の約束を取り付けるためだ。
 外回りの途中で、事務所にいる若槻に電話をするのとは違い、どこか緊張感がある。
 コール音がしばらく続いた後、留守電に切り替わった。仕方がないので、「用件はメールで送ります」とメッセージを入れておいた。
 午後十時を過ぎた頃、若槻からメールで返事が届いた。
『お疲れ様です。今日は何だか変な感じでしたね。春見さんのことをできるだけ意識しないでおこうと思っていたのですが、少し緊張していました。春見さんは平気でしたか? 
 今度の日曜日の件ですが、ゴメンなさい。実は予定が一つあります。でもどこかで一緒に夕食をとるくらいなら大丈夫です』
 予定があるなら無理しなくてもいいと言いたいところだが、如何せん時間がない。せっかくなので若槻の申し出に甘えることにした。
『何が食べたい?』とメールを送ると、若槻から電話が掛かってきた。少々驚きながら通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『お疲れ様です。春見さん』
 いつもの耳触りのいい声が聞こえる。
『ゴメンなさい。私、メールあんまり好きじゃなくて……電話したほうが早いかなと思って電話しちゃいました。今更なんですけど、大丈夫ですか?』
 やっぱりそうなるよな。
「うん。大丈夫。それより若槻さんのほうこそ大丈夫なの? 予定あるんだろ?」
『はい。でも三時か四時頃までなので問題ないです。帰ってから夕食を作るのも面倒だなあって思っていたし』
「それなら良かった。若槻さんは何か食べたいものある?」
 場合によっては店探しと予約が必要だ。
『ファミレスでいいです』
「ファミレス?」
 思わず声が裏返った。
『はい。特別にいいお店とかは探さなくてもいいですよ。軽く食事でも……のつもりですし、せっかくお互いの家が近いんだから移動は少なめにして、会話に時間を使ったほうがいいじゃないですか』
 確かに若槻の言うことにも一理ある。しかし……。
「本当にそれでいいの?」
『はい。そういうお店はここぞってときにいけばいいと思うし、お金も掛かるし』
「食事代くらい俺が出すよ」
『もちろん、そうしてくれると嬉しいんですけど、私が言っているのは……何て言うのかな……無理しない春見さんが見たいんです』
「無理しない俺?」
『そう。もっとありのままで。例えば、チキンラーメンが好きならそれでいいんです。若い恋人同士なら相手の前でカッコつけたいとかも必要でしょうけど、私たちは結婚したい人を探しているんだし。だから私は普段の春見さんの姿を知りたいんです。私の言っていること、ちゃんと伝わっているかな?』
「えーっと、要するに……結婚したらそんなに頻繁に外食に行けるわけじゃないんだから、もっと日頃食べているようなものでいいってことだよな?」
『ちょっと違いますけど、おおよそそんな感じです』
 なんだか拍子抜けしてしまったが、「二人とも知っている近所のファミレスに午後六時」ということにして電話を切った。
 まあ、毎回、高級フランス料理店に連れて行けと言われるよりは余程いいか。
 若槻の予定ってブーケトスの会員の男と会うことなんだろうか。
「この人だ」と思える人じゃない限り断るとは言っていたが、気にはなる。それでも聞かないほうがいいんだろうな。やっぱり。
 
 小

 日曜日の午後六時過ぎ。俺は近所のファミレスでドリンクバーのお茶を飲みながら若槻が来るのを待っていた。
『少し遅れそうなので、先に入っていて下さい』とメールがあった。
 始めは「そういうわけにはいかない」と思ったのだが、夕食時ということもあり、徐々に客が増えていくのがわかったため、若槻の言う通り、先に入って席を確保した。
 六時二十分になり、ようやく若槻が現れた。俺のそばへ来るなり、「大変申し訳ございません」と、何度も頭を下げた。外出から帰宅した後、ついウトウトして眠ってしまったということだった。
「もういいから座りなよ」
「ありがとうございます」と、再び申し訳なさそうな顔で一礼をして、若槻はソファに座った。化粧はちゃんと戦闘態勢のものだった。
「春見さん、注文は?」
「まだドリンクバーしか頼んでいない」
「もう決めてありますか?」
「いや」
「良かった。じゃあ、選びましょう」
 若槻はそう言って、メニューをテーブルの上に広げた。
「春見さんはいつもご飯はどうしているんですか? 事務所にいるときは大抵コンビニ弁当かカップラーメンとかですよね。夕食は?」
「昼間と一緒で、コンビニ弁当だったり、外食だったりするかな」
「自分で作ったりは?」
「週に一回するかしないか。それも簡単なものだよ」
「飽きませんか?」
「そりゃ、飽きるよ。今の会社に就職してからずっとそれだからさ。まあ、入社したての頃は、仕事量も大したことなかったから毎日自炊だったけど」
「そっか、無理もないですね」
「若槻さんは毎日、自炊しているんだろうね。趣味に料理って書いてあったし」
 そして昼食も手作り弁当だ。いつ見ても手を抜いているようには思えないきちんとしたものを持ってきている。
「はい。でもお弁当を買ったりもします。外食するにも、女性一人では入りにくいお店のほうが多いですから。あっ、そう言えば、B駅の近くにあるお弁当屋さん知っていますか? チェーン店じゃなくて、個人でやっているお店なんですけど、結構美味しいですよ。チキン南蛮がオススメです」
 B駅は、俺の住むマンションの最寄り駅の一つ隣だ。若槻はその近くに住んでいる。
「じゃあ、今度買いに行ってみるよ」
「はい。そうしてみて下さい。そろそろ注文決めましょうか?」
 二人とも先程からメニューをパラパラとめくっているだけで、ちゃんと見てはいなかった。会話を一時中断して品定めをした。
 俺はビーフステーキセット、若槻は目玉焼きハンバーグセットに決まった。
「そういや、美味しい目玉焼きハンバーグが食べれる店があるんだけど、今度行ってみる?」
「あっ、いいですね」
「ぷろヴァんすってお店の、美味しさうわのせ目玉焼きハンバーグってメニューなんだけどさ」
「名前からして美味しそうですね」
「そうそう。お店の外観もオシャレで、あそこなら女性一人でも入れるんじゃないかな」
「それは是非連れて行って欲しいですね」
「わかった。予定しておくよ」
 橋添との出会いもあながち無駄ではなかった。
「でも話を聞いていると、春見さんには料理のほうは期待できなさそうですね」
「やっぱりできないとマズいかな?」
「まあ、マズいとまでは言いませんけど、できるに越したことはないですね。例えば、私が……」
 そこで若槻が一度口を噤んだ。
「それが私とは限らないですけど……奥さんが病気をしたり、妊娠をしたりしたときに、料理ができないとキツイかなという気はしなくもないです」
 それは一理ある。わかってはいるが、なかなか練習してまでという気にはなれない。
「イマドキの婚活事情を考えると、料理が上手いことは武器だと言えそうですよね」
 アドバイザーであるはずの梅田なんかより余程いいアドバイスをくれる。
「それに一緒に作ったりしても楽しそうじゃないですか。共通の趣味とまでいかなくても、二人でできる何かがあるっていうのは夫婦円満にも繋がるんじゃないかなって、私は思います」
 明日にでも料理の入門書を買うべきだろうか。
「ただ……あんまり上手になられても、妻としての立場がなくなるので困りますけどね」
 そう言って若槻がペロリと舌を出した。そこへ注文した料理が運ばれてきた。ステーキソースとハンバーグソースのいい匂いが漂ってくる。
 若槻が手を合わせて「いただきます」と言ったので、俺も慌ててそれに倣う。まずは一口。俺はステーキ、若槻はハンバーグとそれぞれメインの料理に手を付ける。「おいしいですね」と、若槻が目を細くする。そのまま黙って食べ続けるわけにはいかないので、会話を続けた。
「若槻さんは休みの日は何をしているの?」
「ブーケトスに入会してからは会員の男性に会ったり、パーティに行ったりがほとんどです。それがないときは、掃除や洗濯をして、後はココアと遊んだり、テレビを見たり……大して何もせずに一日が終わっている感じかな。悲しいことに……」
「何人くらいと仮交際しているの?」と、またうっかり聞きそうになり、慌てて口を噤んだ。
「春見さんは何をしているんですか?」
「俺も似たようなもんかな。掃除と洗濯、水槽の水替え……あっ、後はアイロンがけ。あれってマジで面倒だよな? 思った以上に時間が掛かるしさ」
「わかる! わかる!」と若槻が右手の人差し指を振る。
「私も制服のブラウスをアイロンがけするんですけど、ついつい貯め込んじゃって……制服なんて廃止にしてくれたら楽なのに」
 若槻が口を尖らせる。
「じゃあ、二人で仲良く分担しようか?」
「それ、いいですね」
 やはり若槻と話すのは気負わなくていい。ただ、これが結婚相手として相応しいのか、それともただの話し相手として相応しいのか。そこまではわからない。今はまだ同僚の延長としてでしかない気がする。
「あのさ、今度会うときは食事じゃなくて、どこかへ遊びに行きたいなと思っているんだけど、若槻さん、希望とかある?」
「そうですね」と、若槻がナイフとフォークを置いて考え込む。
「どこでもいいですか?」
「もちろん」
「それじゃあ……」
「うん」
「水族館」
 この前、行ったばかりだとは言えなかった。
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