赤い糸をたどって

『赤い糸をたどって』 第十回

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 映画館へは俺の車で行くことにした。軽より大きい小型の普通車であまり広くはないが、一応掃除だけはしておいた。車がステータスの一つだなんて、無理して高級車を買う奴もいるが、俺はそうは思わない。特に婚活中なら尚更だ。「今の給料ではせいぜいこの辺りが身分相応なんです」と、それとなくアピールしておくほうが後で楽だ。
 待ち合わせは、沢口の自宅の最寄り駅に午後一時。昼食は各自済ませてくることにした。
 前回と同様、五分前には到着したのだが、沢口の姿は見当たらなかった。辺りにはほとんど車が止まっていないし、車種と色は伝えてあるので、探しているということはないはずだ。
 遅刻で間違いない。
 そのまま五分、十分と時間は過ぎていった。
「またか……」
 独り言と溜息が零れる。
 寒い中、外へ出て待っていると、遥か遠くから沢口が歩いてくるのが見えた。二人の距離が次第に縮まり、視界に入っているのが自分の待ち合わせている相手だとわかるようになっても、沢口が急ぐ様子はなかった。
 すぐそばまでやってきたところで、「こんにちは」と、俺は声を掛けたが、沢口は軽く頭を下げただけだった。今回も遅れてきたことに対する謝罪の言葉はなし。
 車に乗り込んで、カーナビの時計を確認してみると、午後一時二十五分。遅れ具合は前回よりも酷くなっている。ここでネチネチと沢口を責めて空気が悪くなっても良くない。映画の時間までには充分に余裕があるし、とりあえず今回も目を瞑ろう。
 交通手段に車を選んだのは、ドライブも兼ねてだった。
「沢口さんは運転はよくするほうですか?」
「買い物へ行くのに少しです」
「月に二、三回とか?」
「はい」
「家の車?」
「いいえ、軽ですけど、一応私のものです。父が買ってくれました」
 羨ましい限りだが、運転手付きではないことに安心した。
「じゃあ、疲れたら交代して下さいね」
「運転は男の人がするものでしょ?」
 極めて真剣な口調で返された。冗談のつもりだったのだが、沢口には通用しなかったらしい。
「運転中は……というか運転中じゃなくてもいいですけど、沢口さんはどんな音楽を聞くんですか?」
「モーツァルトが好きです」
 ん……そんなバンドいたっけ? 一人だけ思い当たるアーティストはいるが……。
「他にはビバルディもよく聞きます」
「あの……もしかしてクラシックですか?」
「はい」
「普通のポップスとかロックとかそういうのは聞きませんか?」
「はい」
 参ったな。これはついていけそうにない。
 俺が頭を掻いていると、沢口が突然、エアコンのスイッチに手を伸ばして温度を上げた。
 彼女の意外な行動に唖然とした。家族や気心の知れた間柄ならともかく、それほど親しくもない相手の運転する車の機器を、普通勝手に触るだろうか。「温度上げてもらえますか?」と一言言えば済むはずだ。
 沢口の表情は先程までと何も変わらない。「寒いから温度を上げた。ただそれだけ」といった感じだ。
 ようやく彼女という人間が見えてきた。遅刻の件にしても、オニオンリングの件にしても、悪気などない。ただ常に自分のペースを守っているだけなのだ。
「クラシックしか聞かないんだったら、カラオケに行くと困りませんか?」
「別に。私、唄いませんから」
 マイクを差し出されて、あっさりと跳ね退ける沢口の姿が容易に想像できた。
 しかしそんな沢口でも、恋愛に対しては多少の興味はあるのだろう。そうでなければ、わざわざ恋愛映画を観たいなんて言うはずがない。
「今日の映画、ずっと観たいと思っていたんですか?」
「あっ、いいえ、そういうわけでは……他にいいのがなかったので、一番マシなのにしただけです」
 それなら俺は他に観たいものがあったのに。

「それでも私を愛してくれますか」の観客は、若いカップルや女の子同士が多かった。
 映画が始まると、ほぼ満席になった。
「永遠の愛ってどんなものだと思いますか?」というのがキャッチコピーで、イケメンとは少しかけ離れた男優演じる主人公克己が、冒頭でいきなり結婚を約束していた美由紀にフラレる。美由紀役は俺好みの女優だが、はっきり言ってよく知らない。
 帰ったらインターネットで検索してみよう。

 美由紀にフラれ、気持ちの整理ができない日々を過ごしていた克己は、コンピュータの映し出す女の子と話やデートを楽しんだり、触れることまでできてしまう一風変わったサービスを提供してくれる「ヘヴンズガール」という店を知る。
 仮想の世界にすっかりハマってしまった克己の前に、かつての恋人、美由紀が現れる。
 実在するはずの美由紀がなぜ仮想の世界に? 
 なぜ自分のことを覚えていないのか? 
 疑問を残しながらも再び彼女のそばにいられることを彼は嬉しく思っていた。
 物語が進むにつれ、謎の真相が明らかになった。
 コンピュータの映し出す美由紀の姿は保存された脳内データを利用したもので、彼女はすでにこの世の人ではなかった。
 あの日、美由紀が克己に別れを告げたのは、自分に未来がないからだった。記憶を取り戻し、今でも克己を愛している美由紀は、彼のために再び別れることを望んだが、「たとえ死んでいても美由紀は自分にとって最高の人であることに変わりはない」と、克己は「作られた世界」で彼女を愛することを決意した。そして美由紀もそれを受け入れた。

 全く期待していなかったが、エンドロールが流れると、俺も涙を流しそうになっていた。映画の余韻に浸っていると、沢口がすっと席を立った。
「出ましょうか?」
 冷めた口調でそう言い捨てると、俺の返事も聞かずにそそくさと出口の階段へと向かっていった。
 人気のなくなったところで、「面白くなかったですか?」と、沢口に恐る恐る尋ねてみた。
「まあまあかな。恋人が病気でもうすでに亡くなっていたってところが在り来たりですよね」
 製作者に媚びない率直な意見だ。
「後はラストシーン。作られた世界でしか会えない女性とこれからも一緒にいることを選ぶっていうのが、私の中でははっきり言ってあり得ないです。ああ、作りものだなって気がしました」
 障害があることを知りながら、尚も美由紀を愛し続けると決めた克己の選択に俺はひどく心を打たれたというのに、沢口の言葉はそれを真っ向から否定するものだった。
「映画好きの春見さんもそう感じたでしょ?」
 それが当然とでも言いたげ、まさに有無を言わせぬ口調に、「いいえ、感動しました」とは口にできない雰囲気だった。
「そっ、そうっすね」
「女って男の人が思っている以上に現実的なんですよ」
 意外とこの人は恋愛経験が豊富なのかもしれない。
「勉強になりました」
 俺は沢口に向かって深々と頭を下げた。

  小

 クリスマス……というイベントがやって来はしたが、二人きりで過ごす相手も、一緒にケーキを囲う家族もいないため、いつも通り朝から晩まで仕事で終わった。
 それを過ぎると今年も残り数日。あっという間に仕事納めとなった。
 忘年会というほど大袈裟ではないが、十二月三十日は毎年、中学からの親友三人と近所の居酒屋チェーン店で夕食を食べることになっている。皆、忙しいため、四人全員が集まるのは、この夕食会を含めてせいぜい年二、三回だ。職場も違えば、ライフスタイルも違う。例え近くに住んでいても、そう会えることはない。話題と言えば、近況報告か昔話のどちらかだ。
「春見、お前、彼女できたのか?」
 四人の中で最も体が大きく、稼ぎの多い冬月が三杯目のビールを口にしながら、俺にとって痛いところをついてきた。しかし見栄を張る必要もないので、そこは正直に答える。
「いや、未だに募集中のままだよ」
「もう四年くらい募集しているよな?」
「三年だよ」
「そうだったか? まあ、結婚するつもりはないんだから、焦る必要もないけどな」
「おい。ちょっと待てよ。誰も結婚しないなんて言ってないだろう」
 俺の言葉に冬月が目を丸くした。
「えっ、お前、俺が独身貴族の素晴らしさを語ってやったとき、偉く賛同していたじゃないか」
 こいつは時折、物事を自分にとって都合のいいように解釈しようとする。
「それもいいかもしれないなとは言ったけど、結婚しないとイコールじゃない」
「お前は結婚に何を求めているんだよ。金は思い通りに使えないし、自由な時間はないに等しいし、いいことなんてないだろ? 秋山を見てみろよ。ちっとも幸せそうじゃない」
 秋山はルックス良し、頭良し、営業成績良しで、四人のうち唯一の既婚者だ。結婚生活は三年目。
「そんなことないよな? 秋山」
「……まあな」
 秋山は苦笑いを浮かべた。そりゃ百パーセント幸せとは言えないのもわかるが、そこは景気良く「もちろん」と答えて欲しかった。秋山は黙ってネギマを頬張り、我関せずという感じで、俺の援護には加わってくれなかった。
「ずっと一人っていうのも寂しくないか? 今は良くてもやっぱり歳をとってからとかさ。それに女は最終的には結婚を望む人のほうが多いだろ。結婚もなしでいつまでも一緒にはいてくれないんじゃないか?」
 そこで俺は二杯目のビールの残りを飲み干した。興奮しているつもりはないが、今日はいやに喉が渇く。
 追い込まれているからか。
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~ Comment ~

う~ん・・・ 

こうして改めると、沢口さんは難しい人柄のようですね。。
確かに女性は現実的ではありますが、理想の恋愛観もありますし。
映画という一つの作品でとらえて話を相手に合わせて欲しいものです。
女性同士でも、ちょっと友達としては私は無理かも。
天然で可愛らしいと思ったけれど。
でも悪気はないからなぁ・・・
結婚となると、男性として彼女はどうなんでしょうかねぇ・・・

kotanさんへ 

 そうですね。なかなか融通の利かない性格ですね。
 もしkotanさんの仰るような単なる天然でかわいらしい人なら、相手がいてもおかしくないんですよね。
 マイペースと言えば、聞こえはいいですが、自分の考えを貫き通すあまり、他人を傷つけることもある。
 でもそれに気付いていない。そういうタイプですね。
 男性としても、どちらかと言えば、敬遠したい女性です。笑。

 一つ注意書きをさせていただきますと、今後も登場人物たちが「これはこれだ」というような決めつけのようなことを書く場合もございますが、あくまで創作上の設定だと理解して読んでいただけると助かります。
 特に「女性はこうです」みたいな表現が出てきたりますが、そこは物語だと思ってご容赦くださいね。
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