忙しい人たちへ(掌編集)

『今も君を見ている』 -前編-

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今君


 午前七時五十分。
 木目調のアルミドアを開いて、まどかが玄関から出てきた。
 古い住宅街を抜け、郵便局を右手に曲がった後、公園の前を通って駅に向かう。
 普通電車に揺られること、三駅。そこからビル街を十分ほど歩いたところにまどかの勤める会社がある。
 彼女の職務は建築資材メーカーの事務。際立って「よくできる」という訳ではないが、真面目で卒なく仕事をこなすというところで、周りから信頼はされている。二十代後半に差し掛かると、愚痴の増える女性も多いが、その点もまどかは控え目のため、皆からも慕われている。
 スタイルや容姿も比較的良いほうで、何かと言い寄ってくる男も少なくはない。
 悠真にとっては、それが気掛かりだった。自分には何もできないので、せめてまどかにはちゃんとした男を見つけてやりたいと思っていた。
 つい先日も、まどかの会社に出入りするどこかの営業マンが彼女をしつこく食事に誘うので、悠真にしかできない方法で脅してやったのだ。もちろん、事前にその男がどんな人物かを調べた上でのことだ。
 まどかは賢い女性で、くだらない男に引っ掛かるとは思えないが、一方で少し天然なところもある。誰かが見守ってやる必要があると、悠真は思っていた。

 小

 午後七時過ぎ、まどかは帰宅した。
 これもほぼいつも通り。
 彼女が家に入るのを見届ければ、悠真の今日の役目は終わりだ。
 玄関ドアの取っ手を握ろうとしていたまどかが、突然カバンの中を探り始めた。しばらくして彼女が取り出したのは、ケータイだった。
 悠真のいる位置からでは、何を話しているのかはわからない。もちろん、相手が誰かということも。
 まどかがケータイを耳に当てたまま、家の中へと入っていったため、相手が誰かはわからず仕舞いだった。

 小

 日曜日の午後五時半頃、まどかは少々急ぎ足で駅に向かっていた。
 何か予定があるのだろうか。
 悠真も遅れぬように後に続く。
 券売機で五つ向こうの駅の切符を買ったまどかは、改札を通って急行電車に乗った。吊革にぶら下がりながら、しきりに腕時計を見つめている。
 誰かと待ち合わせか。
 電車を降りると、まどかは再び速足で歩き出し、素早く改札を抜けた。キョロキョロと周りを見渡し、しばらくすると、誰かを見つけた様子で手を降り、その相手に駆け寄った。
 向こうも笑顔でそれに応える。
 まどかの高校時代からの友人、沙耶だ。
 二人は軽く挨拶を済ませると、示し合わせていたように、どこかに向かった。十分ほど歩いたところで、一軒の小さな洋食レストランに入った。
 この店には悠真も来たことがある。半熟卵を乗せたハンバーグがうまいのだ。
 女性店員が出てきて、まどかと沙耶を窓際の「予約席」と札の置かれた席へ案内した。悠真も二人の会話が聞こえる位置に行く。
 気になるのは、その席が四人掛けだということだ。混雑することが容易に予想できるこの時間帯に、二人掛けのテーブルを外して、四人掛けのテーブルを予約席に充てるとは思えない。
 他に誰かが来ると考えるのが自然だ。
 沙耶がケータイを手にする。
「少し遅れるって。メールが来てたわ」
「そう」
「何だか浮かない顔ね」
「初めて会う人が相手だから、緊張してるのよ」
「ふーん。でも大丈夫よ。いい人だから。なんと言っても私の彼の友達だもん」
「あら、さりげなくノロケられちゃった」
 二人は顔を見合わせて笑う。
 悠真は沙耶の恋人には会ったことはないが、その友人と言えば、やはり男の可能性が高いだろう。
 悠真は胸がざわつくのを感じた。
 それから五分ほどすると、二人の男がやって来た。
 悠真の予想は当たった。
 まどかの向かいに座っていた沙耶が彼女の隣に移動して、男たちは前に座る形となった。
 まず沙耶が正面に座った男の紹介を始める。
「えっと、一応これが私の彼氏の俊介です」
「一応って……それに『これ』って何だよ」
「コイツのほうが良かった?」
「お前なあ……」
 二人のやり取りに、緊張気味に見えたまどかともう一人の男の表情が和らぐ。
「こちらが私の親友の樋口まどか。ショートヘアがよく似合ってますね」
「ちょっと、何の宣伝よ」
「名前だけだと愛想がないでしょ」
「もっと他にあるでしょ? 性格がいいとか」
「そういうのは自分で言わないの」
「それもそうね……じゃなくて、ゴメンなさい。樋口まどかです。よろしくお願いします」
 まどかが慌てたように、頭を下げる。
 俊介が隣の男を「おい」と肘でつつく。
「自己紹介、自己紹介」
「お前からの紹介はなしか?」
「そのほうが早いだろ」
「えっと、これの友達の……」
「また『これ』扱いかよ!」
 先程と似たようなやり取りに、再び席が沸く。その輪に入れないことを、悠真は歯痒く感じる。
「笹山弘明です」
 痩型で、整った顔立ちをしていて、物腰も柔らか。話し方にも嫌みがなく、第一印象は悪くない。
「恋人募集中です」
「知ってるって!」
 沙耶と俊介、二人から同時にツッコミが入る。
「そのための席だろ」
 やはりそうか。
 再び悠真の胸がざわつく。
 まどかの表情を窺う。
「まだそこまでは」という感じの顔。ただし、悠真が勝手にそう思っただけだ。
 それから四人は、しばらくメニューとにらめっこをしていた。

 注文を済ませると、会話が始まった。
 今回の食事会をセッティングしたのは、沙耶のようだ。「俊介の友達にいい人がいるから会ってみないか」と、まどかを誘ったのだ。最初は乗り気ではなかったまどかだが、沙耶が「是非とも」としつこく食い下がるので渋々了承した。

 笹山が勤めているのは大手食料品メーカーで、彼はそこで営業の仕事をしているらしい。趣味はバイクで、一人でツーリングに行ったりもする。その行き先での出来事を、彼はとても楽しげに話した。
 始めは表情の硬かったまどかも、いつしか笹山の言葉に笑みを浮かべるようになっていた。それは社交辞令や作り笑いではない。本当に楽しいから笑っているのだ。彼女との付き合いの長い悠真にはわかる。
 次第にまどかのほうからも笹山に話題を振ったり、自分のことを話すようになっていた。
 悠真がまどかを見守るようになって二年。
 彼女に言い寄る男はたくさんいたが、相手に対してこんなふうに接しているのは初めて見た。もちろん、親友の恋人の友人ということで安心している部分もあるかもしれないが、決してそれだけではないだろう。
 その様子を見ながら、悠真は一人苛立っていた。
 どんなに頑張っても、彼には二人の間に割って入ることができない。だからこそ余計にイライラする。

 二時間ほど話して、四人は店を出た。
 もちろん、悠真もだ。
 ただし、まどかたちと一緒に行動というわけにはいかず、ただ後ろを付いていくだけだ。
「帰る方向が逆だから」ということで、四人は駅で解散になり、男二人と女二人に別れることになった。
 当然、悠真はまどかたちのほうへ行く。

 日曜日の午後九時前ということもあって、乗客は少なかった。
 席に座ると、沙耶が「笹山さんの印象はどうだった?」と、まどかに尋ねた。
「そうね。悪くはなかったわ」
「じゃあ、良くもなかったの?」
「ゴメン……そうじゃないけど」
「けど……何?」
「付き合うことが前提みたいなのが嫌なだけ」
「そこまでハッキリとは言ってないけどね」
「でも彼はそのつもりだったでしょ?」
「確かにまどかを気に入っていたみたいね」
「困ったな」
「いいじゃない。さっき悪くはないって言っていたし、もう少し様子を見たら? 私の顔を立てるつもりでさ」
「うん……そのつもりなんだけど……」
「また『けど』か。どうにも歯切れが悪いわね」
 沙耶にそう言われて、まどかは下を向く。
「あんた、まだ悠真君のことを引き摺っているんでしょ」
 まどかが大きく目を見開く。そして悠真の心臓も大きく膨れる。
「……そんなことないわよ」
「あのね、私が笹山さんの紹介を頼んだのは、そんなあんたが心配だからよ」
 沙耶が大袈裟に溜め息をつく。
「もういい加減思い出に変えなきゃダメ。彼が亡くなってもうすぐ二年なんだから」

 小

 およそ二年前のあの日、飲酒運転の車が街中で暴走し、歩行者数人が重症、死亡した。
 そのうち一人が悠真だった。
 葬儀も納骨も済み、本来ならばすでに成仏しているはずが、未練を断ち切ることができてない悠真は、未だに現世を彷徨っていた。
 その未練とは、まどかのこと。
 別れを惜しむ暇さえない突然の別れだったため、まどかのショックも大きかった。その上事故の原因が加害者の過失となれば、やりきれない気持ちでいっぱいだった。
 悲しみに打ちひしがれ、塞ぎ込むまどかの姿を見ると、悠真は死んでも死に切れなかった。まどかがどう思っていたかはわからないが、彼は彼女との結婚も考えていた。自分にはどう頑張っても、もうまどかを幸せにはしてやれない。それならば、せめて「彼女に相応しい男を見つけてやろう」と、悠真は決めたのだ。あらゆる場所を自由に、見つからずに行き来できる彼にとっては、誰かの素性を知ることなど容易いことだった。
 もちろん、笹山のことも調べるつもりだ。ただし、まどかが笹山を気に入って入ればの話だが……。

 駅から自宅へと向かう道。
 まどかの足取りはどこか重たげに見えた。
 沙耶とも話していたように、笹山のことがあまり気に入らなかったのか。
 ただ、あの店で見たまどかの様子からして、それほど悪く思っているようには感じなかった。
 さすがの悠真にも心の中まで見透かすことはできなかった。
 まどかがふと立ち止まって、鞄からケータイを取り出す。
 静かに画面を見つめる。
 メールらしい。
 本文を読みたくて、悠真はそっとまどかのそばに近づいたが、まどかは返信もせずにメールを閉じてしまった。
 いくら元恋人とはいえ、これはやり過ぎだったなと、悠真は反省する。
 まどかが再び歩き出す。
 玄関の前にたどり着くと、まどかが後ろを振り返った。
 悠真と目が合った。
 もちろん、悠真の気のせいだろう。
 その証拠に、まどかは何事もなかったかのように中へ入っていった。
 悠真は決して家の中まで追っていくことはしない。その気になれば、中に入るのは容易いことだが、さすがにそこまではしなかった。いくら元恋人とは言え、越えてはいけない境界線はある。

 小

 翌週の日曜日の午後一時過ぎ。
 まどかはまた駅への道を歩いていた。前回とは違い、足取りもどこか落ち着いている。ただ、表情が少し硬い。
 ひょっとすると、あの笹山という男と待ち合わせなんだろうか。
 悠真は勝手にそう予想して、まどかの後に続く。

 この前と同じ駅で降りたまどかは、改札の正面にある大きな丸柱の前に立ち、腕時計で時間を確認した。
 相変わらず表情は硬い。
 五分ほどして男が一人、まどかのそばにやって来た。
「お待たせしました」
 爽やかな笑顔を見せたのは、やはり笹山だった。
「私も今来たところです」と、まどかはやや緊張気味の面持ちで応える。
 一言、二言交わしてから、二人は歩き始めた。会話が聞こえる程度の距離を保ちながら、悠真はその後を追う。
「いきなり映画なんかに誘ってしまってすみません。やっぱり最初は食事くらいにしておけば良かったかなと少し後悔していました」
 笹山はそう言って頭を掻く。
「私、映画は好きなほうなので大丈夫です」
 悠真とまどかの初デートも映画だった。二人は同僚で、休憩時間に話題になった映画を一緒に見に行ったのだ。
「実はあまり面白くなかった」と、悠真が話したのは二人が付き合うようになってからだ。

 チケットを買って、笹山とまどかは映画館に入った。もちろん、悠真はフリーパスだ。
 シートは真ん中の列の右端の通路側。悠真もそのそばに立つ。座らなくても決して疲れはしない。
 悠真がこんなことをするのは、笹山が暗闇であるのを利用してまどかに何かしないかを見張るためだ。

 小

 悠真の心配をよそに、何事もなく映画は終わった。
 映画館から出た二人は近くのカフェに入った。注文を済ませると、笹山のほうから話し始めた。
「意外な結末でしたね」
「そうですね。まさかあのカメラマンの見習いがおやっさんの息子だとは全然想像がつかなかったです」
「僕、ああいう大どんでん返しがとても好きなんです」
「私もです。やられた! って思う瞬間が悔しいけど、楽しいんです」
「えー、あの人あんなに優しいいい人だったのに! みたいな?」
「そうそう」
 二人の会話が弾むのを見ていると、悠真は胸が痛んだ。
 いや、何を言っている。彼女か幸せになればそれでいい。そう思っていたはずじゃないのか。
 悠真は自分の気持ちを否定するように、首を横に振った。

 そのカフェで一時間ほど話して、まどかと笹山は別れた。
 終始笑顔を絶やさなかったまどかは、「また会ってくれますか?」という笹山の問いかけにも、迷う様子もなく、「はい」と答えていた。
 ところが一人になってしばらくすると、突然、表情が憂いを含んだものへと変わった。
 なぜだろう。
 ひょっとすると、沙耶が言っていたように、まだ俺を忘れられない気持ちがあるのだろうか。
 ちゃんとした答えは悠真にもわからなかった。

<後編に続く>
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~ Comment ~

そういうことか~♪ 

こんにちは!新作の前編、興味深く読みました。
最初は片想い?・・・だんだん、ストーカー?
なんて思いを巡らせて~。。
深いなー、と感じました。

実体のないものへの想いって、本当の“愛”だと私は昔から考えているんですよ。
例えば肉体的な欲望を満たせなくても、想いが存在するだけで悦ばしい・・・なんて、きれい事ですがね。。

まどかさんの幸せを願いながら、まだちょっと自分の想いを断ち切れない。
そして彼女もそれは同じで。
愛し合うって、ステキだな~♪

続きがとっても楽しみ!

お写真はどちらですか?
私の家の窓の外はまだまだ雪景色。
たくさんの雪だるまが作れそうですよ。

kotanさんへ 

> 最初は片想い?・・・だんだん、ストーカー?
> なんて思いを巡らせて~。。
> 深いなー、と感じました。

やったね!そこが狙いだったので、とても嬉しいです。笑。

人の思念というのは不思議なものですね。
あの世というのが本当にあるのかはわからないのですが、亡くなった人の思いってどうなるんでしょうね。
いつかそれがわかる時が来るのかな。

私が用意した結末、果たしてkotanさんはどう受け取るのか、ちょっとドキドキです。

写真はフリー画像のサイトから借りたものです。
空から町を見下ろしているイメージですね。ちょっと思うところがあって、表紙のつもりで画像を付けてみました。

まだまだ寒い日が続きそうなので、お身体には気を付けてくださいね。
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