三流自作小説劇場

三流の自作小説ブログです。感想、コメント、相互リンク大歓迎!尚、当ブログで掲載する文章、作品についての無断転載や転用は固く禁じます(そこまでの値打ちはないかもしれませんけれど・・・・・・)。

『赤い糸をたどって』 第二十一回 

赤い糸をたどって

 カフェに着くと、小谷は迷う様子もなく、一番入口に近い空いた席に腰掛けた。「どこへ座るか」なんて悩むことさえ彼女には無駄なんだろう。ウェイトレスが水を持ってくるなり、小谷は「私、ホットコーヒーで」と素早く注文を済ませる。「春見さんは?」と急かされてしまい、「メニューお願いします」と言える雰囲気ではなくなった。仕方なくホットコーヒーを頼むことにした。
「ゴメンなさいね。あまり時間がないもんだから、つい……」
「いいえ、いいんです。それにしても忙しいんですね。友達と約束ですか? それとも仕事とか?」
「違うんです。隠しても仕方がないので、ハッキリ言うと、別の会員さんと会うことになっています」
 わかっていることとは言え、それを言っちゃマズイだろ。
「気を悪くしちゃいました?」
 顔に出てしまったのか。
 慌てて顔を手で拭う。
「いえ、別に……」 
「今日は春見さんを含めて、三人とお会いすることになっています」
「それはまたハードですね」
「全然平気ですよ。できるだけ多くの人と会って結婚相手を決めようと思ってますから。それに一生を共にする人を探すんですから、少しも苦じゃないです」
 若槻と似たようなことを言う。
 何だか自分が不真面目なようにさえ思えてくる。
「ええっとそれじゃ」と、小谷は鞄からペンとノート、A4サイズのクリアファイルを取り出し、続けて中に挟んであった青い紙をテーブルの上に広げた。彼女が再びクリアファイルを鞄に仕舞う隙に、そっとその紙を覗き見た。
 まさかとは思ったが、ブーケトスの男性会員用の紹介状……それも俺のものだった。
「小谷さんって、紹介状を持ち歩いているんですか?」
「ええ。でも初めて会うときだけですよ。あっ、心配しなくても大丈夫。落したりしませんから」
 いや、そういう問題じゃなくて……うーん。この人ちょっと感覚ずれているよな。
「どうかしましたか?」
 小谷が首を傾げる。
「あっ、いいえ、何でもありません」
「そうですか。えっと……春見さんは入会してどのくらいですか?」
 それは紹介状に載っていない情報だもんな。
「一年半です」
「うわあ、もう崖っぷちですね」
 グサッ! 結構キツイ。
「そっ、そうなんですよ。何とかしないと……」
「四十万円がパーですね」
 グサッ! グサッ!
「小谷さんって結構はっきりとモノを言うタイプなんですね」
「あっ、ゴメンなさい。人にはよくキツイねって言われます」
 小谷はあははと笑う。悪気はないのだろう。きっと……うん。そうに違いない。
「小谷さんの仕事は営業ですよね。何の営業ですか?」
「食品メーカーのルート営業です」
「小谷さんなら、皆、信頼してくれるでしょう。ダメなところはダメだと言ってくれそうですし、企画なんかは自信を持って立ててくれそうな気がします。私に任せて下さい、みたいな」
「いいえ、そんなことはないですよ。失敗もよくしますし、得意先の方と喧嘩することもありますしね」
「失敗はチャレンジした結果でしょうし、喧嘩をするということはそれだけ熱意を持って取り組んだからじゃないですか?」
「ふーん」と小谷が何度も頷く。
 何か可笑しいことを言ってしまっただろうか。
「春見さんもさすが営業ですよね。口が上手です」
「本心のつもりだったんですけどね」
 俺が冗談めかして答えると、小谷が目を細くした。多少ずれているところはあるものの、彼女は賢い人のようだ。
「でも僕なんて本当、適当にやっているだけですよ」
「春見さんって確かA型ですよね?」
 小谷はそう言って、紹介状を確認する。
「そうです」
「血液型から言って、適当ってことはないでしょうね」
「いや、血液型なんて当てになるかどうか……」
「私の経験上、間違いないです。そして私はA型の人とは一番相性がいいんです」
「そうなんですか?」
「逆にB型とは全く合わないので、絶対に申し込んだり、お受けしたりはしないんです」
 この道が正しいと思い込んだら、なかなか方向転換しないタイプなんだろう。
「よく趣味が合うほうがいいって言う人がいますけど、私は相手の方の趣味なんて別に何でもいいんです」
 小谷の趣味はスキー、ダイビング、登山。俺とは対照的なアウトドア派だ。合うはずがない。
「結婚して、子供ができたりすれば、どうせ趣味に費やせる時間なんてグッと減るし、もし共通の趣味をって言うんだったら、歳をとって、子供が独立してから探してもいいんじゃないかな」
 確かに間違ってはいない。それにしても随分先のことまで考えている。
「それからお給料にもあまりこだわりません。私は結婚してからも働くつもりですし、夫の稼ぎだけで家族を養っていくっていう昔ながらのやり方は、もう通用しませんからね」
 彼女の確固たる独立心に圧倒されてしまいそうだった。楽と言えば楽だが、あまり働きぶりに期待されていないようで、男としては寂しい気もする。下手をすれば、「財布は別々で」なんてことも言いかねない。それって夫婦としてどうなんだろうか。
 小谷が先程鞄から取り出したペンとノートを手にする。
「まず……春見さんは家事の分担についてはどう考えていますか?」
 どうやら俺の答えをメモするつもりらしい。
「お互いの勤務時間と相談してだと思います。不公平がないようにするべきですね。得手不得手も考慮すべきだし」
「料理はできますか?」
「簡単なものなら。例えば、玉子焼とか、チャーハン、カレー、焼きそば、唐揚げくらい」
「玉子焼き、チャーハン、カレー、唐揚げと……」
「焼きそばが抜けてます」
「あっ、焼きそばもね……本当に簡単なものだけですね。でもできないより全然マシです」
「それはどうも」
 小谷の遠慮ない言葉に苦笑するしかなかった。
「春見さんは一人暮らしですよね?」
「そうです」
「それならオッケーです」
「どういうことですか?」
「私、一人暮らしの経験がない人はお断りするようにしているんです。生活力に乏しいイメージがあるし、始めから家事の分担ができないでしょ?」
「うーん。多少の時間があれば、すぐに覚えられると思いますけど……」
「教える時間が勿体ないですよ。仕事だって同じじゃないですか? 未経験の人より経験者を雇うほうが即戦力として期待できるでしょ?」
「はあ……」
 なぜだか責められているような気分になった。
「次の質問ですけど、両親との同居は考えていますか?」
「今のところは考えていませんけど、必要ならするつもりです。こればかりは両親と相談しないと決められないですね」
「例えば、私の両親と同居することになったらどうですか?」
「それも要相談です」
「なるほど。春見さんって正直ですね」
 すらすらとペンを走らせた後、小谷はそう言って笑った。
 褒められているんだろうか。
 小谷の質問は更に続く。
「子供は何人欲しいですか?」
「えーっと……」
 少し考え込んでいると、小谷が「ちょっと待って下さい」と、口を挟んだ。
「何でしょう?」
「できたらこの件に関しては、いい恰好をしようとか、私の考えに合わせようとか思わないで、正直に答えて下さい」
「どういうことですか?」
「子供のことって意外と難しくて、神経質にならないといけない部分なんですよ」
「そうなんですか?」
 今一つ、実感が湧かない。
「だって一人じゃどうにもならないことじゃないですか。絶対にパートナーの協力がいるでしょ? 自分が三人は欲しいと思っていても、相手は一人もいらないって言うかもしれない。そうなるとうまくいきません。結婚前は子供が好きって言っていたのに、いざとなると、あまり子供が好きじゃなかったって知らされて、離婚した人が私の友達にもいます」
 そこまでなのか。その辺りはどうにでもなると思っていた。
「それだけじゃないですよ。この問題はお互いの両親にも関係してきます。子供が結婚したら、大抵の親は孫の顔がみたいと思うものです。そこへ、実は相方が子供嫌いでとはなかなか言えませんよね? そうそう、さっき話した私の友達は、そんな男なら離婚しなさいって両親に言われたそうです」
 鳥肌が立った。どうやら軽く考え過ぎていたらしい。
「それでは改めて質問です。春見さん、ズバリ子供は何人欲しいですか? 一人もいらないと言うのなら、それでも結構です。とにかく嘘だけは付かないで下さい」
 ずっしりと重たい言葉だった。別に追い込まれる理由などないのに、息が苦しくなる。いやいや、深く考える必要などないのだ。正直に答えればいい。
「ひっ、一人か二人です」
 思わず声が上ずる。
「ファイナルアンサー?」
いつのクイズ番組なんだと思いながらも、自分の出した答えが間違っていたような気さえしてしまう。
「ファイナルアンサー」
「ざんね~ん!」
 小谷が嬉しそうに笑う。まるで外れて欲しかったみたいだ。
 しかしすぐに「冗談です」と真顔に戻った。
「私も一人か二人でいいなと思っています」
「なんだ。そうだったんですか」
 なぜかホッとする。
「三人以上になると、経済的なことや年齢的なことが気掛かりですからね」
「そうですよね」
 いつしかカラカラに乾いていた喉を潤すため、コーヒーではなく、水に口をつけた。

 その後も小谷の質問は続いた。
 家を買うならマンションか戸建てか、貯金はどのくらいあるか、勤務時間はどのくらいで、転勤の可能性はあるか、など。
 そうこうしているうちに約束の午前十一時がやってきた。
「それでは今日の面接を終了します」
「ありがとうございました」
 小谷の言葉に対し、流れで礼を言ってしまったが、「面接」とはなんなのだ。
「こちらこそありがとうございました。また連絡させてもらいますね」
 小谷はそう言いながら片付けを始め、テーブルに自分のコーヒー代を置いて、そそくさと店を出ていった。
 本当に会社の面接を受けたような気分で、妙に疲れてしまった。そのまますぐに帰る気力はなかったので、改めてアイスティーを注文した。
スポンサーサイト

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第二十回 

赤い糸をたどって

 若槻はわざとらしく、「はじめまして」と頭を下げてくる。「あっ、はじめまして」と俺もそれに応える。もはや気まずさのようなものはない。一応、自己紹介カードを交換する。
「まさか春見さんがブーケトスの会員だったなんて、思ってもみませんでした」
「俺だって同じだよ。だって若槻さんはまだ結婚とか考えているようには見えなかったしさ」
 本当は知っていたけどね。
「そんなこと言ったらまた牛島さんがうるさいでしょ?」
「そりゃそうだよな……若槻さんは会して長いの?」
「半年くらいです。春見さんは?」
「もうすぐ一年半」
「ええっ! じゃあ、契約期間はもう後半年ですか?」
「そうなんだよ」
 改めて指摘されると、気が重くなる。
「延長するんですか?」
「おいおい、もうダメみたいな言い方しないでくれよ」
「あっ、ゴメンなさい」と、若槻は慌てたように右手を口に当てる。
「頑張って下さいね」
 まるで人ごとだ。若槻は俺に申し込むつもりは全くないらしい。
 いつも通りの無邪気な笑顔。そこで、あることに気が付いた。
「あれ? 若槻さん……」
「どうかしました?」
「いつもと化粧が違うよな?」
 厚化粧と言えば言葉は悪いが、普段のしているかどうかがわからないような化粧とは明らかに違う。何より目元がぱっちりとしている。
「気が付きました? 私だって戦場へ行くときは戦闘態勢で行きますよ」
「ここが戦場なら、会社は何なの?」
「家からちょっと離れたショッピングモールってとこかな。多少は気を使っていますみたいな」
「近所のコンビニよりマシな程度か」
「そうそう。スッピンじゃないですからね」
 お互い顔を見合わせて笑う。
 やっぱり彼女と話すのは楽しい。
「会社でも今の化粧にしてみたらどう?」
「えー、嫌ですよ。面倒臭いもん。必要ないし」
「いや、少ないとは言え、接客することもあるわけだし」
「接客はほぼ真央ちゃんに任せているからいいじゃないですか」
 真央ちゃんというのは、昨年の四月に入社した二十歳の女の子で、カワイイというより美人の類に入る。ただし、根が真面目で気がキツイため、男連中も下手なことが言えない。若槻より遥かに扱いにくいタイプだ。
「いや、そうじゃなくて……」
「何ですか? はっきり言って下さい」
 若槻がどこかイライラとしているように見える。
 ダメ出しされると思っているんだろうか。
「カワイイなって思って……」
「えっ」と呟いて、若槻は目を丸くする。みるみるうちにその顔が赤くなっていくのがわかった。
「ありがとうございます」と下を向く。照れ隠しのためか、俺の自己紹介カードに視線を移す。
「趣味はアクアリウム……だから、あの時」
「そういう訳なんだ。映画しか書いていなかったからさ」
「あれからどうですか? うまくいっていますか?」
「うーん。微妙かな。水替えは正直面倒だし、水草は枯れるし、苔は大量に発生するしで、とてもじゃないけど、『癒してくれる』なんて言えないな」
 白井に言った嘘がバレるが、もはや隠す必要がない。
「魚を飼うだけなら簡単だけど、手入れをして、綺麗な水景を作って維持していくのはやっぱり難しいよ」
「その道のプロがいるくらいですもんね」
「そうそう。趣味はアクアリウムなんて書いちゃダメなんだろうな、きっと。若槻さんの趣味は……」
 彼女の自己紹介カードに目をやってみた。
「ええっと、ペット、お菓子作り、料理か……お菓子って何を作るの?」
「あっ、えっと、それは春見さんのアクアリウムと似たレベルです」
 若槻がペロリと舌を出す。
「始めて間もないってこと?」
「いいえ、始めたのは随分前なんですけど、すぐにやめちゃって……」
「なんだ、そういうことか」
 自己紹介カードに「ギター」と書かなくて良かった。
「私もこれと言って大した趣味がなかったから……アドバイザーさんには昔やっていたことでもいいからって言われました」
 まさか……。
「若槻さんの担当アドバイザーの人、何て名前?」
「梅田さんっていう女性の方です」
 思わず吹き出してしまった。
「俺と一緒だよ」
「そうなんですか?」
 若槻が目を丸くしたところで、「はい。そこまでです」と、宇佐美が手を挙げて席を立った。
「自己紹介カードを前の方にお返しして下さい。皆様、お疲れ様でした。本日のパーティはこれにて終了です。今回の申し込み可能人数は三名までとなっています。以前お断りした方、された方にも申し込みができますので、お間違いなく。もしいいなって思う人がいたら、この後、どこかへ行くのもありですよ。男性の方は頑張って下さいね。それでは気を付けてお帰り下さい。本日はありがとうございました」
 宇佐美はまくし立てるようにしゃべって疲れたのか、「ふうっ」と溜息をついて、再び席に座った。
 会員たちがぞろぞろと店を出ていく。俺と若槻もそれに続いた。
 店から少し離れたところで、改めて「若槻さん」と声を掛けた。
「どうかしました?」
「これからどこかでもう少し話さないか?」
 いつの間にか彼女ともっと話しがしたいという気持ちが芽生えていた。
「それはブーケトスの会員としてですか? それとも同僚としてですか?」
 若槻が顔を赤くする。
「俺にもわからないんだ。両方かな?」
「だったらお断りです」と、真顔で返された。
 正直過ぎたようだ。
 若槻がいつもの笑顔に戻る。
「なんて……冗談です。別の会員さんとこの後、待ち合わせをしているんです」
「そう……」
 なんだろう。この裏切られたような感覚は……そこまではっきり言うなんて、やっぱり俺は、彼女にとってただの同僚なんだろうな。
「ゴメンなさい」
「いや、いいんだ」
「それじゃ、お疲れ様です」
「あっ、若槻さん」
「はい」
「俺がブーケトスの会員だったってことは、会社の皆には内緒にしてもらえるかな?」
「いいですけど、どうしてですか?」
「恥ずかしいだろ? 若槻さんも」
 当然そうだろうというつもりだったが、若槻は笑って首を振る。
「私は別に恥ずかしいとは思いません」
「本当に?」
「そりゃ確かに、牛島さんとかにいろいろ詮索されるのは面倒ですけど、婚活していることやブーケトスに入会していることは恥ずかしくありません」
 実に清々しい顔をしている。その言葉に嘘はないのだろう。
「だって一生を共にする人を探しているんですから。胸を張ってもいいんじゃないですか?」
 今のは俺に対する問いかけだろうか。
 答えを返さぬうちに、若槻は「それじゃ」と俺に背を向けてその場を去っていった。
 ポツンと取り残されたような気がした。

 若槻から申し込みが来るんじゃないか。
 密かにそんな期待をしていたが、結局、それは外れた。翌日以降も、若槻の態度は今までと何ら変わりがなかった。
 他の会員からの申し込みもなく、俺から申し込んだ若槻以外の女性三人からも、全てお断りの連絡が来た。他の会員からの申し込みもなし。
 つまり今回のパーティでの収穫はゼロということだ。

 小

 四月になって申し込んだ女性のうち、一人から「お受けします」の紹介状が届いた。いよいよ期限も半年が過ぎた。そろそろ当たってもらわないと困る。
 小谷亜季。
 年齢は二十九歳。キリッとしたシャープな顔つきは、どこか気が強そうに見える。
 俺としては、遠慮してしばらくメールで話をするつもりだったが、小谷のほうが「時間が勿体ないので、会ってお話ししましょう」と、最初のメールで返事を送ってきた。日時は次の日曜日、午前十時から十一時の時間限定。しかも彼女の次の予定に合わせて、待ち合わせ場所まで指定付きだった。何だか忙しなくて落ち着かない気分だが、有難いと言えば有難い。

 約束の日が来た。
 予定が詰まっているということだったため、遅れていくのはマズイと思い、いつもより早めの十五分前に到着できるよう、待ち合わせの駅の改札を目指した。
 メールのやり取りもほぼゼロの状態で会うことになったため、小谷がどんな女性なのか、全く見当がつかない。さすがに紹介状を持ち歩くわけにはいかないので、とりあえず、隅から隅まで眺めて、詰め込める限りの情報を頭に詰め込んできたつもりだ。
 待ち合わせ場所に着くなり、後ろから「春見さんですか?」と声を掛けられた。
 小谷だ。
 俺が「そうです。春見です」と答えると、小谷は「はじめまして」と少しだけ笑って深く頭を下げた。慌てて俺もそれに倣う。
 随分前に会った高崎も美人だったが、彼女もそれに劣らぬくらいの美人だと言える。ただ、高崎のような親しみ易さがないというか、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「この近くにカフェがあるので、そこで話をしましょう」
 小谷が俺の返事も聞かずに、先に歩き始めたため、俺は慌てて彼女の横に並んだ。
 時間がないって言っていたもんな。
「何だか忙しなくてすみません。でも約束の時間より早めに来てくれたので助かりました」
 小谷は足取りを緩めることもなく、せかせかと前へ進む。
「いいえ。いいんです。僕のほうこそ早々に会ってもらえて助かります。中には『まずメル友から』なんて言う人もいますからね」
「それはヒドいなあ。大金を払ってメル友探しなんて有り得ないですもんね。私、メールってあんまり好きじゃないんです。面倒だし、電話したほうが早いでしょ?」
 随分、さばさばとした性格のようだ。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十九回 

赤い糸をたどって

 パーティの日がやってきた。事前に郵送されてきた地図を頼りに会場へ向かった。
 とりあえず一人でもいいので、つながりを作っておきたい。
 会場である「憩い」という名の喫茶店は駅ビルの地下にあった。壁に赤いレンガタイルを張った昔ながらの造りをしていた。
 開けっぱなしのドアの内側に『本日貸し切り』の札が掛かっている。午前中は、俺の参加する二十代から三十代前半組で、午後からは三十代後半から五十代の組に別れている。
 制限時間は二時間。そこそこ時間はあるように思えるが、一対一で十人全員と話すとして、スタッフの説明やらドリンクの注文やらを考慮すると、一人の相手に割り当てられる時間は十分が限界だろう。その僅かな時間でどこまで自分をアピールできるかが勝負だ。しかし、あまりガツガツしていると思われないように気を付けなければ。そういうことは考えている以上に敏感に察知されてしまうものだ。
 開始時間の十五分前だが、入口に座るブーケトスのスタッフの女性に会員証を提示して中に入れてもらった。店内は二十人が座るといっぱいという程度の広さだ。パーティは始まっていないが、すでに前に座る相手と話をしている者もいる。こういうフライングに関しては全く問題がない。
 俺が腰掛けた席にはまだ女性は来ていない。いきなり出遅れてしまったというわけだ。
 喫茶店のスタッフに紅茶を注文して、案内状と一緒に届いた自己紹介カードを鞄から取り出した。ぼうっとしていても仕方がないので、先程入口で番号札と一緒に受け取った参加者一覧表に目を通すことにした。A4の紙を二つ切りにしたしおりに女性の名前がカタカナで五十音順に書き記してある。もちろん、女性には男性の名前を記した表が渡されている。一応、今までに申し込んだ者がいないかをチェックしてみる。パーティには、一度お断りをした、あるいはお断りされた相手に再び申し込みできるという特典がある。つまり敗者復活戦。一度断った相手とうまくいくなんて、極めてレアなケースだが、申し込みせずに紹介状を返却した場合もあるので、馬鹿にはできない。
 表の一番下に書かれた名前を見て、思わず「あっ」と声を上げそうになった。
 そこでようやく俺の前の椅子にも女性が座った。知らん顔もできないので、軽く会釈をすると、彼女も会釈を返してくれ、少しだけ笑った。格別見た目がいいわけでも、悪いわけでもなかった。
 それ以上に俺には気になることがあった。再び女性参加者の一覧表に視線を落とす。
『ワカツキ ルミ』
 十番目に確かにそう書いてある。前に座る女性に気付かれぬよう、店内をぐるりと見回す。それらしき人物はいない。
 俺の隣に、最後の男性会員が座った。
 ひょっとすると、後一人来ていないのが若槻だろうか。カタカナ表記のため、別人の可能性もある。
 違う意味で俺の胸が高鳴り始めた。
 パーティの開始時間である午前十時がやってきた。「ワカツキ ルミ」という女性はまだ現れていない。当日、急に不参加というのも珍しいことではない。そういう場合、一対一で話すところを一対二で話すことになったりする。あまりにドタキャンが多いと、男同士、女同士で話すこともあると、誰かに聞いた。
「それじゃ、お一人来られていませんけど……」と、ブーケトスのスタッフが立ち上がった。
「遅れてすみません!」
 息を切らせて店に飛び込んできたのは、紛れもなく、俺の知る「ワカツキ ルミ」こと若槻留美だった。顔を赤くして、とても慌てているのがよくわかった。
 彼女に気付かれぬよう顔を伏せていようかとも思ったが、最終的には話すことになるし、斜め前に座って気付かないほうがどうかしている。
 席に着いた若槻は、案の定俺の存在に気付き、大きく目を見開いて、「おおっ」と声にならぬ声を出した。大して動揺した様子もなく、笑顔で小さく手を振ってきた。今はとりあえず、会釈だけを返した。俺の前に座る女性が「知り合いですか?」と聞きたげに俺を見ていた。
 改めてブーケトスのスタッフが挨拶を始めた。
「皆様、こんにちは。本日は『憩いで恋して』に参加してくださり、誠にありがとうございます。私、司会を務めさせていただきます、宇佐美と申します。どうぞよろしくお願いします」
 年齢は俺より少し上だろう。自分もこれからパーティに参加するかのように楽しげに話す。
「こちらのお店はピラフが自慢のメニューだそうなので、良かったらどうぞ」というちょっとした宣伝を聞かされた後、いよいよパーティが始まった。まずは正面に座る相手と制限時間十分で話をすることになり、それぞれ自己紹介カードを交換する。カードには名前、年齢、職業、趣味、自己PRが書いてあり、それを元に話を始める。
『白井舞』
 それが俺の前に座る女性だ。年齢は三十五歳。今まで会った女性の中では一番年上だ。山上の一件もあり、年上ということに少なからず抵抗を感じていた。
「春見さんの趣味はアクアリウムですか? 素敵ですね」
「ええ、まあ」
 今はあまり触れられたくない話題だ。
「淡水魚ですか? 海水魚ですか?」
「淡水です」
「何を飼っているんですか?」
「グラミー、カージナルテトラ、後は苔対策としてオトシンクルスとヤマトヌマエビです」
「水草は?」
 まずい。この人、結構詳しいんじゃないのか。
「アマゾンソード、ミクロソリウム、ウィローモスを流木に巻き付けています」
 とりあえず覚えている物を挙げた。
「水槽の大きさは?」
「三十センチ」
「なるほど」と、白井は頷いた。
 何がなるほどなのか。
「まだ始めて間もないんですね」
 ど真ん中に投げてこられた。空振りどころか、デッドボールだ。
 若槻に聞こえやしなかったかとチラリと彼女のほうを見てみた。幸いなことに、自分の相手とのおしゃべりに夢中のようで、聞こえてはいなかったようだ。
「水槽は小さいですし、魚や水草も入門用かもしれませんが、別に始めて間もないわけじゃありません。なかなか時間が取れないので、できるだけ手間を掛けないようにしているだけです」
「そうなんですか?」
 信じていないようにも、疑っているようにも見えなかった。
「白井さんは随分と詳しそうですね。飼っているんですか?」
「いいえ」と、白井は慌てたように手を振る。
「前におつき合いしていた人が飼っていたんです。結構熱心にやっていて、家に行くと水槽がいくつも置いてあって……ちょっと引きました。でも眺めているのは好きです」
「男はハマっちゃうととことん行ってしまうところがありますから。白井さんの趣味はスポーツジムですか……どんなことしているんですか?」
「水泳がメインです。後はエアロビかな」
「どうりでスタイルがいいわけですね」
「いえいえ、これでも最近太り気味でどうしようかなって思っているんです」
 そうは言いながらも、白井はまんざらでもなさそうだ。
「お仕事もあるでしょうし、その合間を縫ってちゃんと自分磨きをしているんだから偉いですよ。派遣のお仕事って何をされているんですか?」
「今は特に何もしていないです」
「えっ?」
 思わず聞き直してしまう。
「半年前くらいに契約期間が終了して、それ以降は待機状態です。なかなかこちらの条件に合うものがなくて……」
 つまり現状は無職か。
「だってやりたくないことやっても仕方ないですし、給料が安いのも嫌ですから。そんなことないですか?」
「ええ、まあ、そうですね」
「ぼうっとしていても仕方がないからジムへ行くことにしたんです」
 白井はどこか誇らしげな表情をしている。先ほど彼女に言われた「まだ始めて間もないんですね」という言葉をそのまま返してやりたかった。
 それにしても能天気な人だ。仕事を選んでいる場合ではないと思うが。
「それにいつ結婚するかもわからないんだし、必要以上に仕事に打ち込んでも意味ないですから」
 この時点で、俺が彼女に申し込む可能性はゼロになった。
「いい仕事見つかるといいですね」
 そしてお相手も。
 嫌みを込めたつもりだったが、彼女は「ありがとうございます」と微笑んだ。
 そこで宇佐美が立ち上がり、「はい。十分が経ちましたあ~」と手を挙げた。
「自己紹介カードを相手の方に返していただいたら、男性のほうは時計回りに一つずつ席を移動して下さい。あっ、お飲み物も忘れずに持っていって下さいね」
 宇佐美の言葉に従い、ティーカップと共に席をずれる。前に座るショートヘアの女性に軽く会釈をして、腰を下ろす。この流れで行くと、若槻と話をするのは最後になる。
 例え気に入ったとしても全員に申し込みができるわけではなく、その人数はパーティの規模に依る。今日のパーティでは最大三名まで容姿や話した内容を走り書きでしおりにメモしておき、選択の基準にする。前回は解読不能で役に立たない部分もあったが……。
 とりあえず、先程話した『シライ マイ』の名前の横にはバツ印を入れておいた。

 その後も続けて別の女性と話をしたものの、「韓流にハマっています」とか、「パチンコやっています」とか、「休日は昼から一杯やっています」とか、容姿は別にして、「この人はちょっと……」という女性が多かった。
 そしていよいよ、若槻と話をすることになった。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十八回 

赤い糸をたどって

 待ち合わせに使ったロータリーに車が到着した。
 山上が「今日はどうもありがとうございました」と笑顔を見せた。それを見ても、「もういいか」とはならなかった。
「山上さん」
「はい」
「あれはあんまりなんじゃないですか?」
「何のことですか?」
 山上は自分のしたことに対して悪気を感じている様子はない。
「僕に断りもなしに御両親と会わせたことです」
「ああ、そのことですか。あまりに突然で心の準備をする暇もなかったですね。ゴメンなさい」
「いや、そういうことじゃないんです。僕たちってまだつき合っているわけではないですよね? ブーケトスは結婚相手を……」
「ちょっと待って下さい」と、山上が俺の言葉を遮る。
「私、春見さんとは結婚を前提としておつき合いをしていると思っていました」
 なぜそういう発想になるのか。
「確かに僕は山上さんに対して良い印象を持っていました。でもまだ結婚相手として決めたというわけではありません。プロポーズどころか、本交際を申し込んでさえいませんよね?」
 山上の顔がみるみるうちに険しいものへと変わる。
「私を騙していたんですか?」
「騙す?」
 思いもよらぬ言葉に声が裏返った。
「あれほどお金に対する価値観とか両親との同居のこととか話しましたよね? 結婚式のことも話したし、温泉旅行の約束もしました」
「あれは考え方を話しただけであって、そんなに深い意味はありません。温泉旅行の件も社交辞令と言えば表現が悪い……」
 山上がキッと鋭い目で俺を見る。
「社交辞令って……春見さんってそんないい加減な気持ちで婚活しているんですか? 真面目にやっている人に失礼ですよ」
「いや、そういうわけではありません」
「それなら、両親に会ってくれと言った時点で断ってくれれば良かったでしょ?」
「あの状況では断れませんよ」
「父も母も騙したんですか? とても嬉しそうにしていたのに……私、二人に何て言えば……」
 今度は涙目になる。
 ダメだ。なぜこんなことになった。
「もし僕の態度が、山上さんの誤解を生むようなものだったのなら謝ります。ゴメンなさい」
 そうしないと納まりがつかない。
「申し訳ありませんけど、まだ山上さんとは結婚をするとかしないとか、そこまで決め切れていないんです。もう少し様子見というわけにはいきませんか?」
 山上は何も答えずに鼻を啜っている。気まずい雰囲気は変わりそうにない。
「一度考えて下さい。すみません。僕はこれで失礼します。ありがとうございました」
 半ば強引に助手席を降りて、その場を離れた。
 しばらく行ったところで振り返ってみると、山上の車はまだ同じ場所に停まったままだった。
 完全に俺が悪いような形になってしまい、正直気が重たかった。「もう少し様子見で」なんて言ったが、彼女の思い込みの激しさと結婚願望の強さにはついていけそうもない。
 うまく断ろう。

 小

 結局、その日は山上から連絡が来ることはなかった。
 日が変わり、いつもなら出勤前にメールが来るのだが、それもなかった。こちらから様子窺いのメールを送ってみようかとも思ったが、これ以上変な思い込みをされても困るのでやめておいた。
 
 山上から音沙汰がなくなって三日が過ぎた。
 ひょっとすると、すでに俺の紹介状を返却したのかもしれない。それならそれが一番いい。
 そう思っていた矢先、アドバイザーの梅田から電話が掛かってきた。営業の途中に、コンビニでお茶を買ったところだった。
『もしもし、春見さん? ブーケトスの梅田です』
「ご無沙汰しています。珍しいですね。どうかしました?」
『ちょっと話があってね。今、お時間大丈夫?』
 一体なんだろう。
「少しなら」と答えて車に乗り込んだ。
『山上栄子さんって知っているわよね?』
 思わずドキッとする。
「はい。知っています。一応、仮交際中ですけど……」
『昨日その山上さんからうちの支社にクレームの電話があったのよ』
「クレーム?」
 予想もしない言葉にケータイ電話を落しそうになった。
『そう。結婚する気のない人が会員にいるってね』
「僕のことですか?」
『心当たりある?』
 俺は、山上との間で起きた一連の出来事を梅田に話した。
『なるほど、そういうことだったのね』
「言いがかりもいいところでしょ?」
『確かにそうねと言ってあげたいけど、中にはそんなふうに勝手に盛り上がっちゃう人もいるわよ』
「本当ですか? だとしたらこれから先、ちょっと不安ですね」
『まあ、そこまでするのは特殊だけどね』
「そうですか。気を付けたほうが良さそうですね……それで僕はどうしたらいいんですか? お菓子でも持って謝りに行ったほうがいいんですか?」
『そんなことしたら余計ややこしくなるわよ。一応こちらで話し合った結果、山上さんからのお断りを受理すると同時に、春見さんには厳重注意という形にしておいたわ。さすがに強制退会まではできないから』
「助かります」と梅田に告げて、電話を切った。
 喜んだはいいが、これでまた手持ちの紹介状は沢口だけになった。
 暦は三月。会員期間は残り半年強。

 小

 三月の申し込み分に全てお断りの返事が届いた頃、母から電話が掛かってきた。正月以来、一度も実家へ顔を出していないため、久しぶりに親子揃って夕食を食べないかという話だった。しばらく会っていないのも確かだし、特にこれといった予定もなかったため、オッケーした。
 メニューは寿司と天ぷら、そしてお吸い物。寿司と言っても、近所の回転寿司のお持ち帰りだ。もちろん、奢りのため、文句は言えない。
 そう言えば、長い間、二人を外食に連れていった覚えがないことを思い出した。
 夏のボーナス次第で考えてみるか。
 食事を終えて、食卓で緑茶を啜っていると、母が「大地、ちょっといい?」と大きな封筒を持ってきて、俺の正面に座った。ソファに移動した父が、ちらりとこちらを見たのがわかった。
 察するに今日は何か特別な話があって俺を呼んだに違いない。
「実はね、竹城さんの奥さんに教えてもらったんだけど……」
 竹城さんというのは母の友達らしいが、俺はよく知らない。聞いた話によると、俺とそれほど歳の違わない息子がいるらしい。
 母が封筒から取り出したパンフレットのようなものを俺に差し出す。白い表紙に赤いバラの絵が散りばめられており、真ん中に少し控えめな大きさで「婚親会への招待状」と書いてある。
 嫌な予感がした。
「婚親会って言ってね。未婚の子供を持つ親同士がまずお見合いをして、お互いが気に入れば、次は子供同士がお見合いをする。そういう集まりなのよ」
 予想通りだ。
「それで、いい相手がいそうってわけ?」
 恐る恐る尋ねてみた。
「まだ説明会に行っただけよ。でも参加してもいいかなとは思っている。放っておいたら、あんたいつまでも動かなそうだし」
 もうすでに動いているんですけど。
「知ってる? 三十過ぎると生活環境も変わりにくくなるから、出会いもグッと減るんだって。その通りでしょ?」
 一体誰に聞いたんだ。説明会の受け売りか。
「あんたが見つけられないなら、私が相手を探してあげるから」
 母の言い方に思わずカチンと来た。
「大きなお世話だよ。結婚相手くらい自分で探すよ」
「大見栄切って、当てはあるの?」
「あるよ。少なくともゼロじゃない」
 こういうのを「売り言葉に買い言葉」って言うんだろうな。ゼロじゃないが、限りなくゼロに近い。
「そう。それなら安心だわ。ねえ、お父さん?」
 母の問いかけに、父は視線はテレビのまま、「そうだな」と答えた。興味があるのか、ないのか、どこの家庭でも大抵口喧しいのは母親のほうなんだろう。
 しばらく実家には近寄らないほうが良さそうだ。

 小

 オプションAの効果がなくなり始めていた。あれほど大量に送られてきていた紹介状も、今ではすっかり来なくなり、以前と同じ状態に戻っていた。
 かくなる上は「パーティ・イベントへの申込」しかない。ブーケトスの支社や小さな喫茶店で十数人を集めて行われる小規模なものから、有名ホテルで百人以上の参加者が集まる大規模なものまで、毎月いくつものパーティやイベントが催されている。もちろん、無料というわけにはいかない。参加料は数千円から数万円までピンキリ。
 相手の容姿がわかる点で、マイページの会員検索機能より勝負が早いため、パーティ・イベントメインで活動している者もいるらしい。言い換えれば、瞬間的にトドメを刺される可能性もあるわけで、夢を見る時間さえ与えてもらえなかったりする。容姿にイマイチ自信がない俺は、一発アウトを恐れて避けてきたが、もはやそんなことを言っている場合ではない。今となっては、むしろ時間の短縮ができて有難いというものだ。
 マイページにアクセスし、予約受付中のパーティを検索した。大人数のパーティならばチャンスは増えるが、その分ライバルも多いし、誰の印象にも残らない可能性も高い。それならば、規模の小さいパーティに参加し、限られた相手の中からいい人を探すほうが競争率も低いし、内容の濃いものになるはずだ。
 二週間後の日曜日に、男女合わせて二十人のパーティが見つかった。つまり十対十。多過ぎず少な過ぎず、手頃な人数だ。場所は喫茶店。参加費用は二千円で、ワンドリンクがサービスされる。
 ホテルのような畏まったところより、気軽に話ができそうだし、費用も安い。
 迷うことなく「参加」ボタンをクリックした。
 その後、似たような条件のパーティを探し出して、それにも参加することにした。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十七回 

赤い糸をたどって

 橋添のスケジュールに合わせるため、結局、大した話をすることもなく、スイーツを食べただけで帰ることになった。
 ケーキ三つを一気に胃の中へ放り込んだため、少し気分が悪かった。車に乗り込み、シートベルトを締めると、思わず「おえっ」という声が出そうだった。
「橋添さんの家の近所まで送りますか? それともどこかの駅がいいですか?」
「じゃあ、F駅でお願いします。そこまで彼氏が迎えに来てくれるので」
「了解です」
 ギアをドライブに入れて、ゆっくりとブレーキから足を離した。車が十センチほど進んだところで、俺は再びブレーキを踏んだ。
「えっ、今、何て言いました?」
「F駅でお願いしますって」
「いや、その後です」
「そこまで彼氏が迎えに来てくれるので」
 やはり聞き違いではなかった。
「ちょっと待って下さい。橋添さんは彼氏がいるのに、別の男性を探しているんですか?」
「そうですけど、可笑しいですか?」
 橋添が目を丸くする。開き直りではなく、本気で俺の言っていることが理解できない様子だ。
「今の彼氏はどうするんですか? 結婚相手が見つかったらサヨナラですか?」
「そのつもりです」
 そんな就職活動みたいなことがあり得るのか。今の会社で働きながら次を探すような感覚。「次に行っても頑張れよ」と彼氏は笑顔で見送ってくれるのか。
「だって彼氏と結婚相手は違うじゃないですか。彼氏は遊びに行く場所をたくさん知っている人とか、話が面白い人とかがいいですけど、結婚相手は経済力があって、誠実で真面目な人じゃないと」
 確かに言っていることは間違っていない。しかしやっていることが正しいとも思えない。
「ブーケトスに入会していることは彼氏には内緒ですか?」
「いいえ、知っています」
 それはそれで驚きだ。
「何も言わないのですか?」
「応援してくれていますよ。早くいい人が見つかるといいねって。彼は結婚とかまだ興味がないからもう少し遊びたいって。それにフリーターですし、結婚相手としては相応しくないでしょ?」
「今の時点で別れたりはしないのですか?」
「嫌いじゃないのにまだ別れる必要なんてないじゃないですか。相手が見つかってからでも充分間に合いますよ」
 これが今時の若い子の発想なのか。やっぱり理解できない。
「あの、春木さん。そろそろ行かないと彼氏が待っているので……」
「俺は春見です」
 タイヤがキイッと鳴いて、車は前に飛び出した。
 マンションに帰ったら真っ先にお断りのメールを送ってやる。
 頭の中でそう決意していた。

 小

 翌週の日曜日は山上と温泉へ行くことになった。温泉と言っても足湯で、車で二時間程度のところの温泉街にある。料金は無料。それも一か所ではないため、ちょっとした「足湯めぐり」が楽しめるらしい。
 今回の行き先を決めたのも、やはり山上だった。
 俺のほうからも行き先をいくつか提案したのだが、前回と同様、「そこには行ったことがある」と切り捨てられた。
 そして言うまでもなく、運転も山上だ。もうどこでも好きなところへ行ってくれという気分になった。

 他の会員のことを話すのは気が引けたが、橋添の件について山上に聞いてもらった。とにかく誰かに愚痴りたかった。
「僕にはどうしても理解できなかったので、お断りをすることにしました。山上さんはどう思いますか?」
「それは私にも理解できないかな」
「そうでしょ?」
 自分の感覚が可笑しくなかったんだと知ってホッとする。
「今時の若い子って一括りにしてしまうのも良くはないですけど、やっぱり考え方や感じ方に多少のズレはあるかもしれませんね」
「山上さんもそんな経験ありですか?」
「ブーケトスで、というわけではないです。会社の女の子たちと接していると、時折そう思うんです。同僚ならともかく、結婚相手となると、さすがにキツイですよね」
「言えてるかも。最近は『離活』なんて言葉もあるくらいですから、密かに次の相手を探される可能性は充分に考えられますよね。怖い怖い」
 両腕を抱えて、体を震わせるフリをすると、山上が笑った。

 山を切り開いたドライブウェイを途中で降りると、目的の場所は「もうすぐそこだ」と山上が教えてくれた。これまでも何度か来ているらしく、全く道に迷わなかった。
 温泉街ということで、当然浴衣の客が多いのだが、俺たちのように普段着の者も少なくはない。
「あの人たちは多分、今、足湯に浸かっているところですね」
 山上が指差した方向を見ると、東屋の下で、数人が向かい合ってベンチに腰掛けている。足元まではよく見えないが、そこが足湯になっているのだろう。
 空いている有料駐車場に車を止めて、いよいよ「足湯めぐり」に繰り出した。予め、山上に聞いてサンダルとタオルは用意してきていた。近くに見える山には、未だチラホラと雪が残っており、素足だと少し堪える。俺が寒そうにしているように見えたのか、「お湯につかればすぐ温かくなりますよ」と、山上は笑った。
 しばらく歩いたところで空いている場所を見つけた。「あそこに入れてもらいましょう」と、山上は率先して見知らぬ人に声を掛けて、二人分の席を確保した。やはり今までのタイプの女性とは違うことを改めて実感した。
 先にベンチに腰掛けた山上は躊躇うこともなく、ズボンを巻くってすっと両足を湯船に入れた。俺も隣に座ってそれに倣う。熱過ぎやしないかと、少々警戒しながら、ゆっくり足を入れる。自分のビビリ加減に呆れてしまう。
 何の心配もいらなかった。それどころか、冷えた足を優しく温めてくれる、ちょうど良い湯加減だった。
 山上の話によると、近頃、足湯はとても人気で、鉄道の駅や道の駅、空港、サービスエリアなど、いろんなところに施設が増えつつあるということだ。冷え症の改善や心身のリラックス、疲労回復などの効果が期待できるうえ、全身浴よりも身体への負担が少ないのが魅力らしい。
 浸かり過ぎるのも良くないということで、十分ほどすると、別の場所へと移動した。
「どうですか? 春見さん。少しは温まりましたか?」
「はい。それに気持ちがいいです」
 たまにはこういうのも悪くないな。

 その後、いくつかの足場を回って、定食屋で昼食をとることにした。二人揃って山菜そば定食を頼んだ。かやくご飯と、デザートとして黒蜜きなこ餅がついている。
「春見さんは温泉なんてあまり行かないんですか?」
 そばに息を吹きかけて冷ましながら、山上が尋ねてくる。
「そうですね。仲のいい友人が三人いて、年に一度くらいは泊まりがけで行っていたのですが、そのうち一人が結婚してからは行かなくなりました。やっぱり家族が優先になりますから」
「他のお二人は独身?」
「はい。でも皆、仕事が忙しいようでなかなか予定が合いません」
「私も似たようなものです。それなら今度は一泊二日の温泉旅行にでも行きましょうか?」
「そうですね。そうしましょう」

 昼食を終え、少しだけ足湯めぐりの続きをやってから帰ることにした。
 腹が満たされ、いい加減で身体が温まったせいか、車の中で眠気に襲われた。
「寝てくれてもいいですよ」
 山上に悟られぬよう必死で欠伸を堪えていたつもりだが、うまくいかなかったようだ。
「いや、大丈夫です。すみません」
「気にしなくていいですよ。春見さんはお仕事の帰りも遅いですし、疲れていらっしゃるんでしょう」
 何とも情けない話だ。しかしこのまま眠気を堪えて欠伸ばかりするのも印象が悪い。
「じゃあ、お言葉に甘えて五分だけ。五分経ったら起こして下さい」
「わかりました」
 緊張の糸がプツリと切れてしまったのか、目を閉じるとあっという間に眠りの世界へと落ちていった。

 小

「春見さん」
 体を揺すられて、目を覚ました。五分だけとはいえ、随分頭がすっきりとした。
 今、どの辺りだろうと、窓の外へ視線を移した途端、思いもしない光景に息を飲んだ。
 どこかの家の駐車場に車が止まっているのだ。それに俺が眠り始めた頃に比べると、辺りが薄暗い。どうやら俺の睡眠時間は五分なんてものではなかったらしい。
「山上さん、ここはどこですか?」
「私の実家です」
「実家……」
「近くを通ったので、寄ったんです」
 いや、俺が聞きたいのはそういうことじゃない。
「父と母が春見さんに会いたいって言っているので、会ってもらえますか?」
 まさかの展開になりつつあった。サイドミラーを覗くと、玄関前に立つ、山上の母親らしき女性の姿が見えた。この状況で「嫌だ」と言うのはなかなか勇気がいる。
「わかりました。でもさすがに長居はできないので、少しだけです」
 これが俺にできる、せめてもの抵抗だ。
 車を降りて、玄関先で母親と軽く挨拶を交わした後、リビングに案内された。「座って待っていて下さい」と言い残して、山上は部屋を出ていった。ソファに腰掛けると、溜息と言うより荒い鼻息が出た。
 ハッキリ言って俺は腹を立てていた。
 しばらくすると、山上が両親を連れて戻ってきた。無意識にすっと立ち上がって、「はじめまして。春見です」と自分から先に自己紹介をしていた。もちろん、内に秘めたる怒りの感情は決して見せないようになっている。
 営業マンとしての性だろう。
 俺の隣に山上が、その前に両親が座る形となった。テーブルにはケーキとコーヒーが並んでいる。近くを通ったから立ち寄ったという割には用意がいい。こっちは何の用意もできていないというのに。会社見学のつもりで来たのに、実は面接だったというようなものだ。
 両親は七十を過ぎていると山上は言っていたが、二人とも髪に白いものが多く見受けられるものの、肌の張りや話し方、物腰、どれをとっても元気そうに見える。
 父親がコーヒーに手を伸ばしながら、「足湯めぐりはいかがでしたか?」と尋ねてきた。
「足湯なんて初めてだったのですが、思った以上にリラックスできました」
「私も家内も温泉が好きで、よく行きます。足湯っていうのも悪くはないんだけど、やっぱりちょっと物足りなくてね」
「それはそうかもしれませんね。僕も今日行ってみて、全身で浸かってみたくなりました」
「そうでしょう」と父親は目を細くする。
 母親が「どうぞ、ご遠慮なく召し上がって下さい」と、優しい声を出す。
 どうやら歓迎はされているらしい。
「頂きます」と断って、俺はコーヒーに口を付けた。
「煙草は吸われますか? 灰皿、持って来ましょうか?」
「いえ、煙草は吸わないので大丈夫です」
「お酒は飲まれますか?」と再び、父親。
「はい……と言ってもつき合い程度です」
「私、お父さんみたいな大酒飲みは嫌よ。お金だって掛かるんだから」
 黙っていた山上が口を開いた。
「そんなに酒に金を使っているかな……最近は随分控えているだろ? なあ、母さん」
「よく言うわよ」と母親が呆れたような表情をする。
「今でこそ量は減ったけど、昔はひどかったのよ、春見さん。週末は会社の人を連れて来て、必ず宴会やっていたんだから。それも外で飲んで帰った後によ」
 酒の席があまり好きではない俺には辛いものがある。
「もう古い話です。今は正月と盆休み、上二人の娘婿たちと飲むのが楽しみです」
 まあ、そのくらいならどうにかなるか。
 いやいや、そうじゃない。
「煙草は体に悪いことしかないですが、お酒は飲み方に注意して楽しめば、別にいいと思いますよ」
「春見さんの言う通り。今度また一緒に一杯やりましょう」
 父親の機嫌が一気に良くなったのがわかった。
 
 その後は俺の仕事や両親についてなど、直接結婚につながることではないが、それほど遠くもない話をした。
「夕食もご一緒に」と言われたが、丁重に断った。
 帰りの車内で、「父も母も春見さんが気に入ったみたいです」と、山上が嬉しそうに話したが、それに対しては適当に返事をするだけにした。
 頭の中で、別れ際に何と言うかをまとめていた。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十六回 

赤い糸をたどって

 山上のメールは以前に比べると少しは減り、一日に二回程度になった。このくらいのペースなら苦もなく続けられるというものだ。
 そこへ橋添からのメールが一通紛れ込んできた。
『今度の日曜、休みがとれたので会いませんか?』
 実を言うと、少し前に山上から「次の日曜日も会いたい」というメールをもらっていたが、まだ返事はしていなかった。
 橋添とはなかなか休日が合わないし、これを逃すと次はいつになるかもわからない。山上とは二週続けて会ったし、今週の日曜日は橋添と会うことを優先した。
 こちらで遊びに行く場所を保険として先にピックアップしておいてから、「どこか行きたいところはありますか」と尋ねてみた。なければないで、それを出せばいい。少しは勉強したのだ。
『この前、友達とスイーツ天国っていうフードテーマパークに行ったんですけど、一緒に行きませんか? とても美味しいスイーツがいっぱい食べられますよ』
 スイーツか……正直あまり興味はないが、甘いものは好きなほうだし、俺が選んだ場所で文句を言われるよりはマシだ。
 待ち合わせの詳細については、後日決めることになった。
 誘いを断った山上からは『来週の日曜なら会えますか?』と言われ、早くも次のスケジュールも決まった。なかなかハードだが、ゆっくりしている暇はない。

 小


『日曜日はどうしますか? スイーツ天国の場所はネットで検索しました。橋添さんと僕の家の位置を考えると、S駅がちょうど待ち合わせ場所にいいかなと思うんですけど、どうでしょう? スイーツなので、時間は昼以降ですよね?』 
 そんなふうにメールを送ったのは金曜日の夜だ。
 結局、その日は連絡がなかった。
 橋添からメールの返事が来ないことは、これまでにも何度かあった。そのくせ夜中にどうでもいいことを送ってきたりもする。
「メールだから時間の空いたときに返事をすればいいじゃないですか」というのが、彼女の考え方なんだろうな、きっと。あるいは所謂ジェネレーションギャップという奴なのかもしれない。若い子と結婚するつもりなら、こういうことも受け入れる必要があるな。
 そうは思っていたものの、土曜日の夜、つまり約束の前日になっても、橋添からの連絡はなかった。こちらから電話も掛けてみたが、出なかった。留守電にメッセージを残し、再び連絡を待つ形となった。
 風呂に入ったり、テレビを見たりして時間を潰していたが、どうにも落ち着かなかった。
 そうこうしているうちに午前零時を過ぎた。いよいよ当日だ。
 ドタキャンだろうか。
 もう一度メールを送ることにした。
 時刻は遅いが……と言っても、午前三時にメールをしてくる橋添の感覚からすれば、まだ宵の口くらいだろう。
『夜分遅くにゴメンなさい。明日は都合が悪くなりましたか? 連絡待っています』
 そう書きながらも、これ以上はつき合いきれないので寝ることにした。

 翌朝、目覚まして一番にケータイをチェックしてみたが、橋添から連絡があった形跡はなかった。
 もう放っておくしかないかと思ったところで、橋添からのメールが届いた。
『F駅のロータリーに午後一時。車で来て下さい』
 謝罪の言葉は一切なし。それも「車で来ていただけますか?」ではなく、「来て下さい」だ。
 俺はいつから彼女の運転手になったんだろうか。
 あまりに一方的な振る舞いに、さすがに腹が立ったが、約束していた以上行くしかない。いや、それとも、もう断ってもいいもんだろうか。しかしこんなことでキレるような器の小さい人間だとも思われたくないし……よし、とりあえず今日のところは会うことにして、今後に関してはその上で検討しよう。

 約束の時刻にF駅のロータリーに行くと、橋添はすでに待っていた。車から降りた俺の顔を見ると、笑顔で手を振った。確かにルックスに関しては言うことがない。しかし一般常識というか、もう少し他人への気遣いがあって欲しいと思う。
 橋添を車の助手席に乗せて、スイーツ天国へ向かった。F駅からは車で二十分ほどだが、電車だと乗り換えもあるため、四十分は掛かる。俺自身も始めから車で迎えに行くつもりだったので、良かったと言えば良かったのだが、やはり勝手に車と決めつけられていたのはいい気がしなかった。
「ここ最近忙しかったんですか? 連絡が取れなかったんで心配していました」
 もちろん、心配していたというのは嘘で、皮肉のつもりだった。
「ゴメンなさい。体調が悪くて……」
 ようやく謝罪の言葉が出たが、全く信じていなかった。「体調が悪い」というのは、乗り気じゃないときに使う、女の言い訳第一位だ。と、誰かに聞いた。確かに「女性の日」というのもあるし、それだけは男にはわからない。ただメールも返せないほど苦しんでいたわけではあるまいし……そう思うと、また腹が立ってきた。しかし当の本人は実にあっけらかんとしており、悪気の片鱗さえ見せずに、楽しげにおしゃべりを続けている。
 そうか。ひょっとすると、この子って天然なのかもしれない。
 そういうことにしておこう。それしかない。

 スイーツ天国は赤レンガ造りの可愛らしい一階建ての洋館で、ヨーロッパ調の庭園の中に建てられていた。両開きの木製ドアを潜ると、最初に通るのが「スイーツ歴史館」だ。その名のごとく、世界各国のスイーツの歴史を写真や図と共に文章で紹介してあるフロアだ。せっかくなので少し読んでみるかと、『デザートの始まり』と書かれた花柄の額縁に近づいたところで、橋添が俺を呼んだ。
「春見さん、お店はこっちですよ」
 彼女はすでにスイーツ歴史館の出口にいた。どうやら歴史の勉強はさせてもらえないらしい。そこまで必死になって知りたいわけではないので、橋添に従った。
「魅惑のスイーツ館」は、フロアの四方を十五軒の店が囲んでおり、中央に椅子とテーブルが並んである。有名企業のチェーン店が大半だが、老舗と呼ばれる地元の店も入っているようだ。ケーキやアイス、パフェといった若者に人気のものだけではなく、団子やようかんといった、ちょっと渋めのものまである。
 どれを食べようかと悩んでいると、またもや橋添が「春見さん、ここにしましょう」と、一方的に店を決めてきた。
 ケーキ屋だった。他の店に比べると、並んでいる人の数も多い。味に間違いはなさそうだ。特に食べたいものがあるわけでもないが、橋添と一緒に最後尾に並んだ。レジまではざっと十五人程度。
「この後の予定ってどうなっていますか?」
 ケーキの並んだショーケースに落ち着きなく視線を向けながら、橋添がそう尋ねてきた。
 正直、全く考えていない。
「いいえ、特に何も……どこか行きたいところとかあるんですか?」
「あっ、そういうわけではないんです。私のほうで別の予定があって……早く帰らないといけないんです」
「そうなんですか?」
「ゴメンなさい。わざわざそんな日を選ばなくてもって思いますよね? でもせっかく日曜日の休みが取れたし、なかなか機会がないですから」
 そうだったのか。
 橋添の気持ちが堪らなく嬉しかった。自分本位で行動は支離滅裂だが、やはりそれほど悪い子じゃない。歳を経ていろいろな経験を積んでいけば、一般常識や相手を思いやる気持ちは自然と身についてくるに違いない。ここは年上の俺が大きな器で受け止め、気長に見守ってやるべきだ。
 そうこうしているうちに、俺たちの順番が回ってきた。まず先に橋添がケーキを選び始めた。
「南国フルーツタルト一つと……あっ、春見さんもこれ食べたほうがいいですよ」
 橋添が目を細くする。まるで少女のようだ。
「美味しいんですか?」
「いいえ、私も食べるの初めてなんです。これって日曜日限定の商品で、今日を逃したら次はいつ食べるチャンスが巡ってくるかわからないですからね」
 ひょっとして橋添が言っていた「なかなか機会がない」というのは、俺と会うことではなく、タルトを食べることだったのか。
 開いた口がしばらく塞がらなかった。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十五回 

赤い糸をたどって

 それを皮切りに、朝、昼、夕方、そして夜と、最低でも一日四回は山上からメールが届くようになった。内容はと言えば、挨拶と雑談がほとんどだった。四六時中ケータイと睨めっこしているわけではないが、さすがにこれだけ頻繁に送って来られると辛いものがあった。婚活の一つとして割り切るつもりだったが、やはり言うべきことは言ったほうがいいだろう。

『山上さんに一つお願いがあります。メールを送ってきてくれるのはとても嬉しいのですが、もう少し回数を減らしていただけると有難いです。返事は時間ができたときでいいと言われても、性格上すぐに返さないと気が済まないほうなので、他にやるべきことを後回しにしてしまうんです(融通の利かないダメな人間です)。気を悪くされたらゴメンなさい』
 水曜日の夜、夕食を終えてすぐにそういった内容でメールを送った。
 しばらくして返事が来た。
『ゴメンなさい。確かにちょっとしつこいかなって気はしていました。本当にゴメンなさい。控えるようにするので、このままお断りだけはしないで下さいね』
 何をビビっているんだ。
『大丈夫です。このくらいのことではお断りしません。笑』
『良かったです。そうそう。今度の日曜日は空いていますか? 特に予定がなければ、また会ってもらえませんか?』
 予定はないし、会おうと言ってくれるのは有難いことだ。進むにせよ、退くにせよ、会わなければ決めようがない。
 詳細は土曜日の夜に決めることになり、ケータイは沈黙した。
 胸を撫で下ろし、風呂に入ろうかと思ったところで、再びケータイが鳴った。
 まだ何かあったのだろうか。
 メールを確認すると、橋添だった。
『こんばんは。春木S。私のお気に入りに「ぷろヴぁんす」って洋食料理のお店があるんですけど、今日そこに行ってきました。今度一緒に行きましょうね!』
 あの……春木じゃなくて、春見なんですけど……それにそのお店には一緒に行ったことがあるんですが……あと「S」って何なんですか?

 小


 金曜日の夜、山上とどこへ遊びに行くのかを決めることになった。前回は食べに行く店を決めておらず、少々バツの悪い思いをしたので、今回はいくつか候補を用意しておいた。ところがそれもうまくいかなかった。
『ゴメンなさい。そこは行ったことがあるんです』

『そこもなんです』

『本当に申し上げにくいんですけど、そこも最近行ったばかりで……』
 そんな具合に、俺の案はことごとく却下されたため、『それじゃ、山上さんの希望を聞かせて下さい』とメールを返した。
 正直いい気分ではなかったが、そうしないと一向に話が進まない。
『ショッピングモールに行きませんか?』
 何とも意外な答えだった。というより、腹が立った。
 俺の案に対しては「そこへは行ったことがある」の一言で片付けたくせに、自分の出してきた案は、今や歩けば当たるほど、どこにでも建っているショッピングモールなのか。
 もう何だか面倒臭くなってきたので、『それでいいです』と返事を送った。

 小

 当日、前回と同じ駅のロータリーに、やはり山上が車で迎えに来てくれた。時刻は午後一時過ぎ。お互い昼食は済ませてある。
 例えば、最近、できたばかりだとか、激安店ばかりが軒を連ねているとか、そういうのがあれば、まだ納得できたのかもしれない。ところが山上が行くつもりだったのは、比較的近所にある、しかも開業したのはもう十年近く前の、これと言った目玉のないショッピングモールだった。強いて特徴を挙げるなら、海が見えるということくらいだ。ただし、恋人たちが愛をささやき合うのに相応しい美しさとは言えない。
 予想以上に退屈しそうな展開に力が抜けてしまい、助手席に体がめり込んでいきそうになった。欠伸が出るのを必死で堪えた。
「眠いですか?」
 山上に突然そう尋ねられて、慌てて姿勢を正した。
 気付かれていたらしい。
「すみません。昨日、寝るのが遅かったもので……」
 嘘だ。
「春見さんは仕事の帰りが遅いですもんね。テーマパークとかだとゆっくりできないかなと思って、ショッピングモールにしてもらったんです」
 そういうことだったのか。
 ひょっとすると、新しくできたところや激安店の多いところだと人が溢れ返るため、敢えて少し寂れたところを選んでくれたのかもしれない。
「着いたら起こしますから、寝ていてくれていいですよ」
 優しい言葉だ。嘘をついてしまったことに心が痛み、それ以降は少し前向きに会話を楽しもうという気持ちになった。
 
 駐車場に車を止めた後、一階から順に店を見て回った。女性の買い物につき合うのは正直苦手だが、結婚すれば日常的にしなくてはならなくなる。これもある意味、婚活の一つだ。
「ここ、入っていいですか?」
 山上に誘われて入ったのは、全国にチェーン店を展開する、カジュアルファッションの店だった。価格はリーズナブルで、幅広い年齢層が手軽に着こなせるものを取り揃えてある。
「春見さんはいつもどんな服を着ているんですか?」
 棚に並んだ服の一つを手に取りながら、山上がちらりと俺の顔を見る。
「大抵は今着ているようなカジュアルな感じのものかな。ここの店で買うこともありますし……そもそも社会人になってから普段着というのがあまり必要なくなってきました」
「日頃はスーツで通勤ですか?」
「はい。会社では社名入りの作業服を着ています」
「じゃあ、高いものは買わないんですか?」
「それなりのものを買って、長く着るほうです。もしくは値下げ率の高いものを買うとか」
「買い物上手なんですね」
「そんなに頻繁に買うわけじゃないですけどね」
 そうは言いながらも、褒められて悪い気はしなかった。
「山上さんはどうなんですか? ブランドものとか好きだったりするんですか?」
 そこは是非知っておきたいところだ。誕生日のたびにブランドの鞄やら財布をねだられても困る。
「ブランドへのこだわりとかはあまりありません。ボーナスが出たときなんかに頑張った自分への御褒美で買ったりする程度かな。それも毎回じゃありませんし」
 うん。悪くない答えだ。

 その後はインテリアと生活雑貨の店に入った。専門店より品数は少ないが、ソファや棚などは雑貨とうまく絡めて、客の販売意欲をそそるようレイアウトされている。
「春見さんは将来、御両親と同居されるつもりですか?」
 この質問に対する答えは、割と神経を使うところだ。両親との同居を望まない者はやはり多い。
「今はまだそこまで考えていないというのが正直な意見です。ただ、両親も嫁さんに気を使って生活するのは嫌だと思うし、始めから同居は望まないんじゃないかな。それでもできるだけ近くに住むに越したことはないと考えていますけど」
 自分で言いながら、そういうことを意識する年頃になったかと、改めて認識した。
「山上さんは同居に抵抗がありますか?」
 断固拒否という場合もある。山上とこれからどうなるかはまだわからないにしても、はっきりさせておいて損はない。
「もちろん、喜んで……というわけではないですけど、必要なら構わないです。あっ、でも御両親との相性にも依るかな……とだけ付け足しておきます」
「それはそうですよね」

 モール内の店を一通り見終えると、フードコートでお茶を飲むことにした。
 窓際に腰掛けると、海を見渡すことができる。視界に入るのは、白い砂浜ではなく、高速道路の吊り橋と点在するビル、そして漁船がほとんどだ。しかしその隅っこにただ一つ、このロケーションに相応しくない建物が建っている。
「あれって、教会ですよね?」
 俺の指差す方向へと、山上も視線を移した。
「はい。結婚式場があるんです」
「以前から?」
「そうですよ」
「ここには随分前に来たことがあるんですけど、全然記憶にないです」
 自分の注意力のなさが、少し恥ずかしくなった。
「多分、結婚なんて意識していなかったからじゃないですか?」
「そうかな」
 山上のフォローに頭を掻くしかなかった。
「海が見えるって言っても、こんなところですから……あまり人気はないみたいですけど、料理はとても美味しいって話ですよ」
「へえ、そうなんですか? 山上さんってそんなふうに結婚式場を調べたりしているんですか?」
「そういうわけじゃないです」と、山上は右手を振って俺の言葉を否定した。
「同僚の友達があそこで式を挙げたらしくて……要するに又聞きです」
「演出も大事ですけど、やっぱり料理は美味しいほうがいいですもんね」
「はい。春見さんはこういう式がしてみたいとかってあるんですか?」
 この辺りが男と女の考え方の違いだろうか。正直言って、俺は式にはあまり興味がない。それより新婚旅行の行き先のほうが悩みそうだ。 
 もちろん、そんなことは口が裂けても言えない。
「あまり派手なのはちょっと……って感じです。人並でいいと思うんですけど、やっぱりその辺りは話し合って決めるべきかなと」
 盛大にやってすぐに離婚というのはカッコ悪い。いやいや、始めから離婚を想定するのはマズイだろう。
「じゃあ、私と同じ考えですね」と、山上は満足げに何度も頷いていた。
 相手を選ぶための判断基準としてはこだわり過ぎのような気もするが、彼女にとっては必要なものなんだろう。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十四回 

赤い糸をたどって

「他の男性に会われるときもやっぱり車なんですか?」
「そうですね。大抵は」と、山上は前を向いたまま答えた。その横顔をじっと見た。
 とり立てて美人でもなく、ブスでもない。ごく普通のどこにでもいる女性だ。
「運転が好きだからですか?」
「それもありますけど……」
 そう言ったまま、山上が黙り込む。
「どうかしましたか?」
「あっ、いいえ。あの……笑わないって約束してくれますか?」
 何が言いたいのか、さっぱりわからなかった。
「ええ、約束します」
「自分で運転すれば、どこかへ連れ去られることはないかなと思って……」
 山上の発言に吹き出しそうになったが、そこは約束なのでぐっと我慢した。
 ひょっとして男性不信なんだろうか。しかし嘘か真かはわからないが、女性の体を目当てに入会する男もいると聞く。案外笑ってばかりもいられない。
「最近、変な人が多いですからね。用心するに越したことはないですよ」
「そうですよね」
「ドライブってどんなところへ行くんですか?」
「海とか山とか。泳いだり、ハイキングしたりというわけじゃないんですけど、単純に景色を見に行って、それを写真に撮って帰って来ます」
「一人でですか?」
「友達と一緒に行くこともありますけど、一人のほうが多いかな。周りは既婚者が多いですから」
 山上の口調はどこか寂しげだった。一緒に出掛ける相手が減ってしまったことに対してか、それとも自分が結婚していないことに対してか。
「春見さんはドライブとか行かないんですか?」
「仕事で散々車に乗っていますからね。敢えて休みの日まではって感じかな」
「じゃあ、これからは毎回、私が車を出しますね」
「そうですか? それならお言葉に甘えようかな」
 運転は男がするものといった沢口の考えとは正反対だ。それとない言葉だったが、また次も会ってもいいという合図と受け取ってもいいものだろうか。
 しばらくしてファミレスが見つかったので、そこへ入った。
 食事をしながらもお互いのことを尋ね合う時間は続いた。
「春見さんは入会してどのくらいですか?」
「一年と四ヶ月くらいかな。だからもう後がないんです」
 俺が苦笑いをすると、山上も同じように苦笑いで応えた。
「私も似たようなものです。実は私、三姉妹の末っ子なんですけど……」
 紹介状には家族構成は書かれていないため、会話でしか知り得ない情報だ。
「姉二人は随分前に結婚していて、後は私だけです。父も母も七十を過ぎているので、早めに相手を見つけて安心させてあげたいなと思っているんです」
 その口調から山上の切実な思いがひしひしと伝わってくる。
「ブーケトスに入会したのも、そのためなんですけど、現実はなかなか……」
「うまくいきませんよね。僕も同じです」
 だからと言って、「じゃあ、結婚しましょうか」というわけにはいかない。
「実はいい感じに話の進んでいる会員さんがいたんです」
 山上の表情は暗い。話して欲しいと頼んだわけでもないのだが、勝手に話し始めたため、聞くしかなかった。
「ちょうど一年くらい前のことです。年齢も同じで、優しくて感じのいい人でした。結婚に関しても前向きで、将来のことも少し話したりしていました」
 ひょっとして詐欺だろうか。
「でも、去年の三月半ば頃に突然、しばらく会えないと言われました」
「はい」
「その人は海釣りが趣味で、これから温かくなって釣りには絶好の時期になるから、休日はずっと釣りに行きたいということでした」
「それっていつくらいまでですか?」
「秋の終わりまでと言っていました」
「長いですね。メールや電話はできたんでしょ?」
 俺の質問に山上は静かに首を振った。
「多少は……でもメールへの返事はほとんどと言っていいほどなかったですし、電話をしても、留守電にメッセージを入れても掛け直してはくれませんでした」
「一緒に連れていってくれと頼んだりはしました?」
 何だか悩みの相談じみてきたな。
「もちろん、しましたけど、船に乗るし、足場の悪いところだから女の人には無理だと言われました」
 確かにその男の言う通り、一緒に行くにはハードルが高そうだ。
「そんな状態になるので、もしなんなら俺の紹介状は返却してくれということでした。辛い思いをさせるのは目に見えているしって」
 随分と卑怯で、勝手な言い分だ。
 山上が「はあっ」と深い溜息を吐いた。突然の打ち明け話に始めは驚いたが、きっと誰かに聞いてもらいたかったのだろう。
「そんなことがあったんですか。でも断って正解だったじゃないですか」
「それが……」と、山上がバツの悪そうな顔をする。
「まだその人の紹介状を返していないんです」
「秋が終わってからまた会えたんですか?」
「いいえ。一度も会っていません。連絡もありません」
「だったら、どうして……」
 どう考えても体良く断られていて、相手に結婚の意志などないことは目に見えている。
「期限が来て、もし誰の紹介状もなかったらと思うと怖くて……」
 山上の言っていることがわからないわけでもないが、それが正しいとも思えなかった。紹介状を手元に残しておいたところで、そんな男が「じゃあ、結婚しましょうか」なんて言うはずがない。
「春見さん、私、とにかく早く結婚がしたいんです」
 一変して力強い表情へと変わった山上の気迫に、俺は思わず息を飲んだ。

 小


 月曜日の朝、目を覚ますとどこか体が重たかった。いや、それ以上に重たいのは心だった。
 間違いなく山上のせいだ。俺だって結婚について真剣に考えているつもりだが、何だかそれを口にすることさえ申し訳ない気がした。お互いの結婚に対する考え方に温度差を感じため、断ることも考えたが、入会した理由も明確に答えられない他の会員に比べれば、前向きに結婚を考えている人であることは間違いない。
 もう少し様子を見ようという結論に至った。

 通勤電車の椅子取り合戦に勝利し、僅かな眠りの時間を堪能しようとしているところへ、ズボンのポケットに入れたケータイが震えた。
 山上からのメールだった。
『おはようございます。昨日はどうもありがとうございました。私は今、会社に着いて制服に着替えたところです。春見さんはまだ通勤途中ですか?』
 質問で終わっているため、無視するわけにはいかない。
『はい。電車の中です。月曜日の朝は憂鬱ですね。それはともかくとして、今日から一週間頑張りましょう』
 朝一のメールだし、山上もこれから仕事だ。この程度の内容で切り上げるのが無難だ。間もなく、山上から返事が来た。
 きっと『頑張りましょう』で終わりだろう。
 そう思いながらも、念のため開封してみた。
『電車の中ですか。ゴメンなさい。どのくらい電車に乗るんですか? その時間はメールを控えたほうがいいですよね?』
 そこまでわかっていながら、なぜ質問を続けるのか。
『二十分くらいです。やっぱり電車の中ではそうするのがいいでしょうね』
 返事を送ったところで、降りるべき駅に電車が到着した。せっかく座れたというのに、眠ることは愚か、目を閉じることさえできなかった。改札を出ると、また山上からメールが届いた。
『もう電車は降りましたか? 今日一日頑張りましょうね』
 とりあえず、これで話はお仕舞いだと判断して、メールは返さなかった。
 
 小

 昼休み、出先で立ち寄った店で食事をしていると、山上からメールが届いた。
『お仕事お疲れ様です。私は今、お昼を食べ終わったところです。いつも同僚(と言っても、私より若い女の子ばかり。苦笑)たちと一緒にお弁当を食べています。春見さんの今日のお昼は何でしたか? いつも一人で食べているんですか?』
 なぜ急に積極的にメールを寄越すようになったのか。
 昨日抱いた山上の印象では、人を騙したり、狡賢く立ち回りができたりするほど器用な女性には見えなかった。深読みせずに考えるなら、気に入られたということだろう。

 午後五時三十分頃、またメールが届いた。
『今、仕事が終わって、帰りです。春見さんはまだお仕事ですよね? 家に帰って落ち着いたらメール下さい。春見さんともっとお話ししたいので』
 ほんの一瞬だが、眩暈を感じた。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十三回 

赤い糸をたどって

 橋添の案内してくれたのは、「ぷろヴぁんす」という名の店で、白い壁に赤茶色の洋瓦の屋根を乗せたカワイらしい外観をしていた。店先のプランターに植えられたオリーブの木に木製の縁がついた黒板がぶら下がっていて「本日のシェフのオススメは心も体も温まるまろやかパンプキンシチューです』と白チョークで書いてある。女性ウケしそうなので、別の誰かを連れてきてもいいなと、 橋添には口が裂けても言えない考えが頭を横切った。
 店内は暖色系のライトで演出され、落ち着きのある雰囲気になっていた。美味しそうな匂いが漂ってきて、思わずフゴフゴと豚のように鼻を動かしてしまいそうになった。
 時刻が夕食時ということもあり、二十分ほど待たされて、ようやく一番奥の席に座ることができた。シェフのオススメと橋添のオススメ、どちらを選ぶか悩んだが、ここはやはり橋添オススメの「美味しさうわのせ目玉焼きハンバーグ」を注文した。彼女も同じものを頼んだ。
 これでゆっくり話ができる。
「ピアノはいつ頃から習っているんですか?」
 橋添の自己PRには、将来はピアノの先生になりたいと書いてあった。
「幼稚園の年少からです」
「それじゃもう二十年近くやっているってことですか?」
「はい。そうなります」
「本当に好きなんですね。今も発表会に参加したりしているんですか?」
「もちろんです。年に数回ですけどね」
「でもどうしてすぐにピアノの先生にならなかったんですか?」
 そこへセットのポテトサラダが二人分運ばれてきた。もうすでに腹は充分過ぎるほど減っていて、先にサラダだけでも食べたい気分だが、橋添が手をつけないので我慢することにした。
「学校や楽器メーカーの経営する音楽教室から求人募集はあるんですけど、とても競争率が高いんです。腕もコネも両方とも必要で、私にはちょっと難しいかなって」
 橋添がペロッと舌を出して照れ臭そうに笑った。「カワイイなあ」と思わず頬が緩みそうになった。
「だから自宅でピアノ教室を開くつもりなんです。だけど収入にはあまり期待できないので、主婦と兼業でやれたらなと……」
 なるほどそういうことか。
 橋添の考えが読めた。
「それで早く結婚したいと思っているわけですか」
「あっ、バレちゃいました?」と、橋添は無邪気な笑顔を見せた。
 何とも正直な子だ。となると、家はやっぱり一戸建てか……防音壁のついた部屋がいるよな。それにピアノって一体いくらくらいするんだろう。
 頭の中で答えの出ない試算をしていると、ようやく美味しさうわのせ目玉焼きハンバーグが運ばれてきた。「いただきまあす」と橋添が手を合わせたので、俺もそれに倣った。鉄板がジュージューと心地良い音を立てている。ハンバーグの上に乗せたナイフが吸い寄せられるように中へ入っていった。切り分けたものをフォークで刺して口へ運ぶと、見事に絡み合った肉汁とソースの味が溢れんばかりの勢いで口の中に広がった。
「うまい!」
「そうでしょ? 卵の黄身を潰して一緒に食べるとまた格別なんですよ!」
 橋添はまるで自分が作った料理であるかのように誇らしげだ。会話も忘れて俺はハンバーグを食べ続けた。
「そう言えば、春見さんはギターが趣味でしたよね」
「んぐっ!」
 ハンバーグが喉に閊えた。
「あっ、大丈夫ですか!」
 右手を上げて「待った」の意志を示して、俺は水の力でハンバーグを喉から胃へと通過させた。
「ゴ……ゴメンなさい。あまりに美味しくてついついガッついてしまいました……そうですね。趣味というほどではないですけど、少しは弾けます」
 嘘だ。最後に触ったのは確か五年前……いや、七年前か。梅田に言われた通り、昔やっていたものを趣味の欄に書き加えただけだ。
「じゃあ、セッションもできますね」
「だといいんですけど……」
 帰ったらクローゼットの奥から引っ張り出すか。
「そうそう。早く結婚したい理由はそれだけじゃないんですよ」
「と言うと?」
「子供ですよ。私、子供が三人は欲しいなって思っているから、できるだけ若いうちに一人目を産みたいんです。やっぱり歳をとればとるほど出産はキツイって聞きますからね」
 年齢ばかり気にしていたが、結構現実的に結婚を考えているようだ。
「後、犬も三匹飼いたいですね。ミニチュアダックス」
 俺の頭の中に若槻の顔が浮かんだ。
「三匹もですか?」
「はい。だって子供たちが一人一匹ずつ散歩させているのって見ていてカワイイじゃないですか?」
 前言撤回! やっぱり若いよな。この子。
 その後も、ところどころ「それはちょっと違う気がする」と言いたくなる話も聞かされたが、少なくとも結婚を前向きに考えていることだけは伝わってきた。

 橋添と別れてマンションへ帰ると、午後十時前だった。とりあえず『今日はありがとうございました。目玉焼きハンバーグとても美味しかったです。違う料理も是非食べてみたいです。また行きましょう』と、お礼のメールだけは送っておき、風呂に入った。
 風呂から出てメールをチェックしてみたが、返事は届いていなかった。無事に帰れたのだろうかと少し心配だったので、しばらくテレビを見ながら眠らずに待っていた。
 いつまで経っても一向に返事が来ないので、「きっと読んでいないだけだろう」と割り切って、寝ることにした。

 小

 ブーブーと枕元のケータイが振動する音で目が覚めた。ランプの部分がチカチカと点灯を繰り返している。目覚ましにセットしたアラームではなく、メールだった。
 時刻は午前三時。ディスプレイの光が眩しい。
 送り主は橋添。ぼんやりする頭をどうにか活動させてメールを開封した。
『こんばんは。今、ケーブルテレビでミニチュアダックス特集やってます。メッチャカワイイです!』
 すみません……うちのマンション、ケーブル契約していないんです。
 返信することもできぬまま、俺は再び深い眠りへと落ちていった。
 
 小

 翌週の日曜日、橋添とは別にメールをしていた、山上栄子という四つ年上の女性会員と会うことになった。山上や橋添以外ともメールのやりとりだけはしていて、少しずつスケジュールがハードになり始めていた。これが必ずしも実を結ぶとは言い切れないが、何もないよりはずっといい。
 いつものようにどこかの駅で待ち合わせをするつもりだったが、山上のほうが「私の車で迎えに行きます」と申し出てきた。そう言えば、趣味の欄に「ドライブ」と書いてあった。
 さすがに最寄りの駅まで来られて、近くに住む若槻と出くわすのも嫌だったので、少し離れた駅のロータリーを待ち合わせ場所にしてもらい、昼食を一緒に食べることにした。
 
 俺が到着したときには、山上はすでに待機していた。車種とナンバープレートを事前に聞いていたので、間違えることはなかった。白い軽自動車は手入れがよく行き届いているらしく、とても綺麗だった。フロントガラス越しに会釈を交わした後、助手席側のドアに近づくと、パワーウィンドウが開いた。
「春見さんですか?」
「そうです」
 助手席のドアロックが外れる音がした。
「どうぞ、乗って下さい」
「失礼します」と断って、俺は助手席に乗り込んだ。今までにないパターンなので少し戸惑う。車内もとても綺麗で、芳香剤のいい香りがした。やはり女性の車はこうであって欲しい。
「お昼、どこで食べるか決めてありますか?」
 その口調はとてもハキハキとしたもので、責められているような気さえしてしまう。
「すみません。今回、車ということで、いつもと勝手が違うので決め切れなかったんです。駐車場のこととか、どの辺りまで行っていいものかとか」
「尋ねて下されば良かったのに……」
「そっ、そうですよね。気が回らずにすみません」
 頭を下げるしかなかった。また相手に主導権を握られる形になった。
 何だかやりにくい人だ。初めてなんだし、話し合って決めればいいかと思っていたが、やはり店くらい決めておくべきだったんだろうか。ひょっとしたら今まで断られ続けてきた原因はそこにあったとか。
 一人反省会を開いていると、山上が「ファミレスでもいいですか?」と尋ねてきた。
「はい。構いません」
「それじゃ、適当に探しますね」
 山上が静かに車を発進させた。行き先が決まったのと、彼女が高級志向ではないことに胸を撫で下ろした。結婚相手を決める要因として、そういうことは大切だ。ファミレスを選んだことを責めるような相手では先行きに辛いものがある。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十二回 

赤い糸をたどって

 有料オプションAへの申し込み効果はちゃんと出た。正月休みが終わり、仕事が平常業務へと落ち着き始めた頃、続々と女性会員の紹介状が届くようになった。年齢は二十歳から四十歳までと幅広いが、有難いことに俺のストライクゾーンである、二十代後半から三十代前半が特に多かった。
 遠方からの申し込みもいくつかあった。新幹線やフェリー、あるいは飛行機を利用しなければ会えないような所だ。申し込みをしてくれたのは嬉しいが、うまくいく自信がないのでお断りすることにした。
 遠距離はともかくとして、今回は選択の基準を少々下げることにした。時間も限られているし、もはや贅沢を言える立場ではない。それに「お受けします」といい返事を送ったところで、断られてしまう可能性もある。いや、これまでの傾向を考えると、むしろそっちのほうが多くなるに違いない。どうするべきかを悩んだときは、とりあえず「お受けします」を選んだ。

 そうしているうちに一月も終わりを迎えた。この一ヶ月で届いた紹介状は、オプションA効果によるものが全部で十六通。そのうち十人と、会員検索とブーケトスの紹介分九人を合わせて、合計十九人に申し込みをした。
 このうち四人からは「よろしくお願いします」とメールが届き、十三人からはお断り。残りの二人は未だ連絡なし。
 返事の遅い者からいい結果が出るとは思えない。お断りと見なして間違いはないだろう。それでも新たに四人と繋がりができたことは立派な収穫だ。二月、三月とオプションAは有効なため、少しは期待してもいいだろう。うまくいく保証などないが、ほんの少し気持ちが楽になった。

 二月一日。会社から帰ってきてポストを開くと、また新しい紹介状が届いていた。
 封筒の厚みから察するに中身は一通だろう。どんな女性だろうかと、期待は高まる。すぐにでも開封したい気持ちを抑えて、先に着替えを済ませた。
 床に腰を下ろし、こたつに足を突っ込んで待ちに待った開封の瞬間を迎える。そこまで勿体つけるのは期待の気持ちとがっかりしたくない気持ちの両方からだ。
 紹介状まで誤って切ってしまわぬよう慎重にハサミを使って封筒を開いた。紹介状の写真を見た瞬間、心臓が大きく一つ跳ね上がった。女性の名前と写真を何度も見直し、続けて勤務先を確認してみたが、やはり間違いない。
 若槻だった。
 まさか彼女がブーケトスの会員だなんて……。
 思わぬ事態に少々戸惑いはしたものの、俺だってこうして誰にも内緒で婚活しているわけだし、若槻が同じことをやっていても何ら不思議ではない。
『仕事と私生活、どちらもすっかり落ち着いてしまい、このまま独身でもいいかと思っていましたが、やっぱり結婚に対する憧れが強くなってきました。素敵な男性と出会って、カワイイ子供を産んで、楽しい家庭を築きたいと思っています。こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします』
 自己PRにはそう書かれている。趣味は『ペット(ミニチュアダックス)』『お菓子作り』『料理』 

「私、彼氏なんて別にいらないんです」

 いつも言っているその言葉を鵜呑みにしていたが、あれはゴチャゴチャうるさい同僚たちを寄せ付けないための嘘だったというわけか。
 うちの営業所は結婚して落ち着いている連中が多く、皆、変化のない日常に退屈を感じている。そのため、他人のスキャンダラスなネタに敏感だ。特に色恋沙汰は大好物で、必要以上に食いつきが良い。もし俺たちがつき合うことになって、それを知られたら「昨日はどこへ行った?」とか「いつキスした?」とか、果ては「昨日はセックスしたのか?」とか……恥じらいや遠慮などそっちのけで根掘り葉掘り尋ねてくるのは目に見えている。
 シャイな若槻がそれに耐えられるとは思えない。
 紹介状の「お断りします」の欄にレ点をつけて、ブーケトスの返信用封筒に入れた。
 若槻は嫌いじゃないが、彼女のためにもこうすることがベストだ。

 小

 自分の紹介状が同じ職場の男に届いたことなど知るはずもない若槻は、昨日までと何ら変わりがなかった。
 若槻は入会してからどのくらい経っているんだろう。もうすでにいい男を見つけたんだろうか。俺に紹介状を送ってくるくらいだから、まだそこまでは行っていないのか。いや、単なる保険としての申し込みだったのかもしれない。
「……見さん、春見さん」
 自分の名前が呼ばれていることに気が付いた。
「はい」
「私の顔に何かついていますか?」
 他でもない若槻だ。
「あっ、いや、そんなことないよ。どうして?」
「だって私の顔をじっと見ているから」
 若槻が頬を膨らませた。少し怒っているように見える。
「それは春見が若槻にホの字だからじゃないからかな」
 俺が弁解する前に、また牛島が口出ししてきた。
「今時、ホの字って……つまらないこと言わないで下さい。若槻さんが困っているじゃないですか」
 若槻の顔はすでに真っ赤だった。
「恥ずかしがることないだろ。お前たちがくっつくのは、先輩の俺としても大歓迎だ」
 牛島が冷やかしの種が増えることを喜んでいるのは明らかだ。
 そんな言葉を誰が信じるか。
「私は別に……」
 消え入るような声で呟いて、若槻はそそくさと逃げていった。
 若槻の中で俺は恋人や結婚相手としてセーフかアウトか。一体どちらなんだろう。
「おい、春見。お前も顔が赤いぞ」
 牛島が心底楽しげに笑っていた。
 やっぱり若槻の申し込みはお断りにしておいて正解だった。

  小

 久しぶりに新しい女性と会うことになった。大抵の女性は最初の連絡から数週間はメールで様子見をするが、この橋添恵理佳という女性はニ、三度メールをやりとりしただけで「会いませんか?」と切り出してきた。もちろん、時間のないこちらとしては有難い話だった。
 彼女の年齢は二十三歳。昨年、音大を卒業したばかりのようで、今まで会った女性会員の中では一番若い。正直、話が合うかもよくわからないが、せっかくできた縁だ。ここで切ってしまうのは勿体ない。
 橋添は宝石店に勤めていて、休日はローテーションでとることになっているらしい。入社一年目ということもあって、土日や祝日は休み辛いため、「会うなら平日で」とお願いされた。俺のほうは週の真ん中である水曜日なら都合がつき易いということで、仕事を早めに切り上げて、夕食を一緒にとる約束をした。
 
 橋添の指定してきた待ち合わせ場所は、彼女の自宅に近い繁華街にあるケータイショップの前だった。俺の帰り道とは全く正反対で、最初から主導権を握られるような形となった。まあ、この程度のことで文句は言っていられない。
 待ち合わせ場所に着いたのは今日も俺が先だったようで、橋添らしき女性の姿は見当たらなかった。大抵の者は明日も仕事のはずなのに、辺りは人でごった返している。平日の夜にこの混雑ぶりは気が滅入る。ここへ来た目的も忘れて、「早く帰りたい」とぼやきそうになっていた。これだけ人が多いのだ。ひょっとすると、ケータイショップの前ではなく、少し離れたところにいるのかもしれない。
『今、どちらですか? こちらはもう着きました』とメールを送ると、『私も着いています』と返事があった。
 一体どこだろう。
 キョロキョロと辺りを見回すと、一人の女性が俺と同じように右へ左へと視線を泳がせていた。
 目が合った。
(あっ、この人だ)
 お互いにそう思ったようで、俺と彼女は同時に頭を下げた。
 
 橋添が近所に美味しい洋食料理の店があると言うので、俺はそれに従った。「中でも目玉焼きの乗ったハンバーグがオススメなんです」と、彼女ははしゃいだ。話し方や服装、そして体中から発する空気が、今まで出会ってきた女性とは違う。
 とにかく若いのだ。普通ならば、まだまだ自由な時間を満喫したい年頃のはずなのに、なぜ結婚情報センターなんかに入会しているんだろう。俺にはそれが不思議で仕方がなかった。ひょっとすると、今は結婚するつもりはなくて、将来のことを見据えて相手を探しておく考えなのかもしれない。
 俺のほうも別にそれで構わない。要するに婚約者なり、結婚を前提としたおつき合いをする女性を期限内に見つければいいのだ。退会後すぐに結婚する必要はない。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十一回 

赤い糸をたどって

 そこで冬月が店員呼び出しボタンを押してくれた。
 意外と気が利く奴だ。
「結婚願望のない女なんて今はいっぱいいるよ」
 冬月が決め台詞のようにそう言って、四杯目のビールを飲み干すと、ちょうどいいタイミングで店員がやってきた。冬月は「生」と自分のお替りだけ注文して、「最近は……」と話を続けた。
 別に俺に気を利かせてくれたわけではなかったようだ。立ち去ろうとする店員の背中に、俺も慌てて追加のビールを注文した。
「女の社会的地位は上がっていて、下手すりゃ男より稼いでいるんだからさ、男に頼る必要なんてないんだよ。お前が言うように歳をとってから寂しいのなら、将来は老人ホームにでも入るよ。そうすりゃ友達もできるし、一人寂しく死んでいくこともない」
「女は面倒」というのは冬月の口癖だ。彼が自分で老人ホームの入所届に記入をしている姿は容易に想像できる。
「例えば、俺みたいに結婚はしないけど、ずっと同棲って方法もある」
 そう口を挟んできたのは、中途ハンパ独身貴族の夏木だ。今の恋人と二年近く一つ屋根の下に暮らしながら、結婚はしないことで双方同意しているらしい。
「共同出資で何かを買う場合は割り勘で、それ以外に関しては基本的に財布は別。時間の使い方だって夫婦ほどシビアじゃない。法的な義務は発生しないし、別れるときに面倒な手続きもいらない」
 得意げに語る夏木に、俺は少々苛立ってきた。
「まるで別れることが前提みたいじゃないか。なあ、秋山?」
「……まあな」
 秋山はメニューと睨めっこしたままだ。俺の形勢が不利なまま試合は続く。
「例えばの話だよ。そのまま一生を共にしたっていいんだからさ」
「子供はどうする? そっちも作らないこと前提か?」
「別にどちらかの戸籍に入っていれば法的に問題ない。金のことは認知って形にすればいい」
「それって子供がかわいそうじゃないか? そんな事情を理解できるって一体何歳なんだよ」
「ムキになるなよ、春見。これも例えばの話なんだよ。俺が言いたいのは必要以上に結婚って制度に拘らなくたっていいんじゃないかってことだな」
「別にムキになってない」
「まあ、飲めよ」と冬月がニヤつきながらジョッキを差し出してきたが、俺はそれには応えなかった。
 あっ、やっぱりムキになってるかな。俺。
 ひとまず大きく深呼吸をする。
「まあ、冬月みたいに完全な独身貴族は置いといて……結婚は男女の関係における一つの区切り、もしくはけじめみたいなもんじゃないかな。苗字も同じになって、これから家族としてやっていくんで、世間の皆様よろしくっていう決意表明だよ。そうなると、しっかりしなきゃって気持ちになるだろ。そうだよな、秋山?」
「……まあな」
「お前、さっきから『まあな』しか言ってないじゃないか。唯一の既婚者として何か言ってやってくれよ」
 秋山がようやくメニューから目を離し、顔をゆっくりと上げた。微笑み一つない真面目腐った表情で、俺たち独身三人組の顔を順に見ていった。最後に目の合った冬月が「どうした?」と遠慮がちに尋ねた。秋山は再び視線をメニューに落した。
「俺……離婚するんだ」
 秋山の突然の告白に残り三人全員が「えっ?」という言葉を口にした。その後、しばらく沈黙があり、最初に口を開いたのは秋山自身だった。
「結婚してアイツと一緒に暮らすうちにさ、違うなって思うようになっていったんだよ」
 俺の体が自然と前に出ていた。
「違うって、何が違うんだよ」
「一言で言えば、嫁に失望した」
 秋山の答えに、冬月が鼻を鳴らした。
「失望って……お前、嫁さんに何を期待していたんだよ」
「別に大したことじゃない。結婚前と同じように二人で仲良く暮らすことと、いつまでも綺麗で女らしくいて欲しかっただけだ」
「何、女みたいなこと言っているんだよ」
 冬月が再び鼻を鳴らすと、秋山は「お前は何もわかっていないよな」と、冬月を憐れむように言うと、目を閉じて首を横に振った。
「いいか、女はな、俺たちが思っている以上に現実的で冷めているものなんだよ」
 そう言えば、沢口も同じことを言っていた。
「誕生日に何かしても喜んでくれないし、どこかへ行こうって誘っても金がないって言われる。映画はレンタルだし、セックスは排卵日だけだ。基本はすっぴんで、化粧は冠婚葬祭のときだけ。体重は上昇カーブで、俺の前で屁だって平気でこく」
 オブラートに包まれることなく出てくる秋山のカミングアウトに俺たち三人は呆然としていた。
「ドラマや映画みたいにロマンチックなものなんかじゃないんだよ。だから春見、結婚には必要以上に期待するな。なっ!」
 秋山の両手が俺の肩にずしりと重くのしかかってきた。体がソファの中へと沈められてしまいそうだった。
「はい。程々にしておきます」
 そう答えるしかなかった。

 小

 新しい年を迎えた。元旦は実家に帰って、両親が百貨店で購入したお節料理を一緒に突いた。実家は俺の住むマンションから車で一時間程度のところだが、帰るのは数ヶ月に一回がいいところだ。
 両親が俺の結婚に関してどう思っているのかというと、今はそれほど口やかましくはない。ただ、時折母の口からは「誰かいい人はいないのか?」という言葉が出たりするし、知り合いにも「いい人がいたら紹介して」と声を掛けたりはしているようで、俺の結婚を望んでいることに間違いはない。父は何も言わないが、恐らく母と気持ちは同じはずだ。
 俺がブーケトスに入会したのは、そんな両親を安心させたいからという理由がないわけではない。
 しかし一番の理由は他にある。冬月の問いかけにもあったが、「結婚に何を求めているのか」と言えば、「在り来たりな幸せ」だと思う。
 結婚して妻と一緒に子供を育て、ちっぽけなことに一喜一憂しながら毎日を過ごし、いずれは死ぬ。
 大抵の人間はそれを望んでいるのではないだろうか。だからこそ見合いをしたり、高い金を払って結婚情報サービスに入会する者がいるに違いない。
 そして俺もその「大抵の人間」の一人というわけだ。

 小

 新年の挨拶と併せて、沢口を初詣に誘ってみたが、「家族と行くのでゴメンなさい」と断られた。
 元々俺には初詣に行く習慣なんてない。男同士や家族でというのは当然のことながら、恋人と一緒にというのもなかった。
 今年に限っては一人で行ってみることにした。実家の近所に割と大きな神社があって、いろいろと調べた結果、縁結びの祈願もできるとわかったからだ。一人ということに全く抵抗がなかったと言えば嘘になる。ただ、警備員の誘導が必要なほど参拝者が多いところだ。他人のことを気にする者などほとんどいないはずだ。

 予想通り、神社の周辺からごった返していて、敷地の中へ入ることさえ一苦労だった。
 縁結びの神様が祭られた賽銭箱にも例外なく人だかりができていた。しかも他の賽銭箱に比べてサイズが小さいため、列を作る形になっている。一人で来たと思われる女性もいたし、男もいた。恋人あるいは夫婦であろう男女もいる。縁結びと言っても、恋愛や結婚に関する祈願だけではなく、子宝祈願や就職祈願も含まれている。
 五分ほど並んで、ようやく俺の番がやってきた。財布から五百円玉を取り出して、賽銭箱へそっと放り込んだ。硬貨と硬貨のぶつかる音が心地良かった。一万円札を入れたい気持ちはあったが、実際に放り込む勇気はなかった。
 目を閉じ、両手を合わせて心の声で神様に願いを伝えた。
(今年こそは結婚を約束できる女性と出会えますように。容姿に関して贅沢は言いません。人並で結構です。ただ痩せ型より少しくらいぽっちゃりしているほうがカワイくていいかな。性格に関しては優しくて思いやりのある人がいいです。あまり口数が少ないのもツライので、そこそこ話し好きがベストです。それと最低限の一般常識を持っているほうがいいですね。他にはお金の管理をしっかりと……)
 後ろから咳ばらいが聞こえてきた。目を開けて振り返ると、若いカップルが険しい顔で俺を睨んでいた。「すみません」と頭を下げ、慌てて彼らに順番を譲った。
 少し離れたところへ移動して、改めて縁結びの神様に向かって手を合わせた。
(その辺りで一つよろしくお願いします)

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第十回 

赤い糸をたどって

 映画館へは俺の車で行くことにした。軽より大きい小型の普通車であまり広くはないが、一応掃除だけはしておいた。車がステータスの一つだなんて、無理して高級車を買う奴もいるが、俺はそうは思わない。特に婚活中なら尚更だ。「今の給料ではせいぜいこの辺りが身分相応なんです」と、それとなくアピールしておくほうが後で楽だ。
 待ち合わせは、沢口の自宅の最寄り駅に午後一時。昼食は各自済ませてくることにした。
 前回と同様、五分前には到着したのだが、沢口の姿は見当たらなかった。辺りにはほとんど車が止まっていないし、車種と色は伝えてあるので、探しているということはないはずだ。
 遅刻で間違いない。
 そのまま五分、十分と時間は過ぎていった。
「またか……」
 独り言と溜息が零れる。
 寒い中、外へ出て待っていると、遥か遠くから沢口が歩いてくるのが見えた。二人の距離が次第に縮まり、視界に入っているのが自分の待ち合わせている相手だとわかるようになっても、沢口が急ぐ様子はなかった。
 すぐそばまでやってきたところで、「こんにちは」と、俺は声を掛けたが、沢口は軽く頭を下げただけだった。今回も遅れてきたことに対する謝罪の言葉はなし。
 車に乗り込んで、カーナビの時計を確認してみると、午後一時二十五分。遅れ具合は前回よりも酷くなっている。ここでネチネチと沢口を責めて空気が悪くなっても良くない。映画の時間までには充分に余裕があるし、とりあえず今回も目を瞑ろう。
 交通手段に車を選んだのは、ドライブも兼ねてだった。
「沢口さんは運転はよくするほうですか?」
「買い物へ行くのに少しです」
「月に二、三回とか?」
「はい」
「家の車?」
「いいえ、軽ですけど、一応私のものです。父が買ってくれました」
 羨ましい限りだが、運転手付きではないことに安心した。
「じゃあ、疲れたら交代して下さいね」
「運転は男の人がするものでしょ?」
 極めて真剣な口調で返された。冗談のつもりだったのだが、沢口には通用しなかったらしい。
「運転中は……というか運転中じゃなくてもいいですけど、沢口さんはどんな音楽を聞くんですか?」
「モーツァルトが好きです」
 ん……そんなバンドいたっけ? 一人だけ思い当たるアーティストはいるが……。
「他にはビバルディもよく聞きます」
「あの……もしかしてクラシックですか?」
「はい」
「普通のポップスとかロックとかそういうのは聞きませんか?」
「はい」
 参ったな。これはついていけそうにない。
 俺が頭を掻いていると、沢口が突然、エアコンのスイッチに手を伸ばして温度を上げた。
 彼女の意外な行動に唖然とした。家族や気心の知れた間柄ならともかく、それほど親しくもない相手の運転する車の機器を、普通勝手に触るだろうか。「温度上げてもらえますか?」と一言言えば済むはずだ。
 沢口の表情は先程までと何も変わらない。「寒いから温度を上げた。ただそれだけ」といった感じだ。
 ようやく彼女という人間が見えてきた。遅刻の件にしても、オニオンリングの件にしても、悪気などない。ただ常に自分のペースを守っているだけなのだ。
「クラシックしか聞かないんだったら、カラオケに行くと困りませんか?」
「別に。私、唄いませんから」
 マイクを差し出されて、あっさりと跳ね退ける沢口の姿が容易に想像できた。
 しかしそんな沢口でも、恋愛に対しては多少の興味はあるのだろう。そうでなければ、わざわざ恋愛映画を観たいなんて言うはずがない。
「今日の映画、ずっと観たいと思っていたんですか?」
「あっ、いいえ、そういうわけでは……他にいいのがなかったので、一番マシなのにしただけです」
 それなら俺は他に観たいものがあったのに。

「それでも私を愛してくれますか」の観客は、若いカップルや女の子同士が多かった。
 映画が始まると、ほぼ満席になった。
「永遠の愛ってどんなものだと思いますか?」というのがキャッチコピーで、イケメンとは少しかけ離れた男優演じる主人公克己が、冒頭でいきなり結婚を約束していた美由紀にフラレる。美由紀役は俺好みの女優だが、はっきり言ってよく知らない。
 帰ったらインターネットで検索してみよう。

 美由紀にフラれ、気持ちの整理ができない日々を過ごしていた克己は、コンピュータの映し出す女の子と話やデートを楽しんだり、触れることまでできてしまう一風変わったサービスを提供してくれる「ヘヴンズガール」という店を知る。
 仮想の世界にすっかりハマってしまった克己の前に、かつての恋人、美由紀が現れる。
 実在するはずの美由紀がなぜ仮想の世界に? 
 なぜ自分のことを覚えていないのか? 
 疑問を残しながらも再び彼女のそばにいられることを彼は嬉しく思っていた。
 物語が進むにつれ、謎の真相が明らかになった。
 コンピュータの映し出す美由紀の姿は保存された脳内データを利用したもので、彼女はすでにこの世の人ではなかった。
 あの日、美由紀が克己に別れを告げたのは、自分に未来がないからだった。記憶を取り戻し、今でも克己を愛している美由紀は、彼のために再び別れることを望んだが、「たとえ死んでいても美由紀は自分にとって最高の人であることに変わりはない」と、克己は「作られた世界」で彼女を愛することを決意した。そして美由紀もそれを受け入れた。

 全く期待していなかったが、エンドロールが流れると、俺も涙を流しそうになっていた。映画の余韻に浸っていると、沢口がすっと席を立った。
「出ましょうか?」
 冷めた口調でそう言い捨てると、俺の返事も聞かずにそそくさと出口の階段へと向かっていった。
 人気のなくなったところで、「面白くなかったですか?」と、沢口に恐る恐る尋ねてみた。
「まあまあかな。恋人が病気でもうすでに亡くなっていたってところが在り来たりですよね」
 製作者に媚びない率直な意見だ。
「後はラストシーン。作られた世界でしか会えない女性とこれからも一緒にいることを選ぶっていうのが、私の中でははっきり言ってあり得ないです。ああ、作りものだなって気がしました」
 障害があることを知りながら、尚も美由紀を愛し続けると決めた克己の選択に俺はひどく心を打たれたというのに、沢口の言葉はそれを真っ向から否定するものだった。
「映画好きの春見さんもそう感じたでしょ?」
 それが当然とでも言いたげ、まさに有無を言わせぬ口調に、「いいえ、感動しました」とは口にできない雰囲気だった。
「そっ、そうっすね」
「女って男の人が思っている以上に現実的なんですよ」
 意外とこの人は恋愛経験が豊富なのかもしれない。
「勉強になりました」
 俺は沢口に向かって深々と頭を下げた。

  小

 クリスマス……というイベントがやって来はしたが、二人きりで過ごす相手も、一緒にケーキを囲う家族もいないため、いつも通り朝から晩まで仕事で終わった。
 それを過ぎると今年も残り数日。あっという間に仕事納めとなった。
 忘年会というほど大袈裟ではないが、十二月三十日は毎年、中学からの親友三人と近所の居酒屋チェーン店で夕食を食べることになっている。皆、忙しいため、四人全員が集まるのは、この夕食会を含めてせいぜい年二、三回だ。職場も違えば、ライフスタイルも違う。例え近くに住んでいても、そう会えることはない。話題と言えば、近況報告か昔話のどちらかだ。
「春見、お前、彼女できたのか?」
 四人の中で最も体が大きく、稼ぎの多い冬月が三杯目のビールを口にしながら、俺にとって痛いところをついてきた。しかし見栄を張る必要もないので、そこは正直に答える。
「いや、未だに募集中のままだよ」
「もう四年くらい募集しているよな?」
「三年だよ」
「そうだったか? まあ、結婚するつもりはないんだから、焦る必要もないけどな」
「おい。ちょっと待てよ。誰も結婚しないなんて言ってないだろう」
 俺の言葉に冬月が目を丸くした。
「えっ、お前、俺が独身貴族の素晴らしさを語ってやったとき、偉く賛同していたじゃないか」
 こいつは時折、物事を自分にとって都合のいいように解釈しようとする。
「それもいいかもしれないなとは言ったけど、結婚しないとイコールじゃない」
「お前は結婚に何を求めているんだよ。金は思い通りに使えないし、自由な時間はないに等しいし、いいことなんてないだろ? 秋山を見てみろよ。ちっとも幸せそうじゃない」
 秋山はルックス良し、頭良し、営業成績良しで、四人のうち唯一の既婚者だ。結婚生活は三年目。
「そんなことないよな? 秋山」
「……まあな」
 秋山は苦笑いを浮かべた。そりゃ百パーセント幸せとは言えないのもわかるが、そこは景気良く「もちろん」と答えて欲しかった。秋山は黙ってネギマを頬張り、我関せずという感じで、俺の援護には加わってくれなかった。
「ずっと一人っていうのも寂しくないか? 今は良くてもやっぱり歳をとってからとかさ。それに女は最終的には結婚を望む人のほうが多いだろ。結婚もなしでいつまでも一緒にはいてくれないんじゃないか?」
 そこで俺は二杯目のビールの残りを飲み干した。興奮しているつもりはないが、今日はいやに喉が渇く。
 追い込まれているからか。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第九回 

赤い糸をたどって

 十一月も終わりに近づく頃には、高崎を含めた今月の申し込み相手九人全員からのお断りの連絡が届いた。手元にあるのは沢口の紹介状だけで、先月から状況は何も変わっていないことになる。
 沢口には時折メールを送ってみてはいるが、大抵二言、三言でお仕舞いで、彼女のほうから進んでメールを送ってくることはない。やはり彼女には結婚するつもりなんてないのかもしれない。
 沢口のことを非難している場合ではない。このままでは何もないまま会員期間が終わってしまう。今の時点で努力できることをすべきだ。
 手っ取り早いのは有料オプションへの申し込みだ。通常、マイページ上の「会員検索」の対象となるのは、入会三ヶ月までの会員のみだ。つまり俺の情報はいくら検索しても女性の目に触れることはない。
 三万円の有料オプションAに申し込めば、三ヶ月は検索対象に戻ることができる。五万円のオプションBならば、カラーのスナップ写真を一枚掲載することができ、検索対象期間への復帰は五ヶ月間になる。
 容姿にはイマイチ自信のない俺としては、同じお金を出すのならオプションAに二回申し込んで、検索対象期間を六ヶ月にするほうがいい。二回申し込むかどうかは別として、今回はオプションAを選択しよう。
 それに紹介状の写真も変えたほうがいいかもしれない。高崎には写真よりも実物のほうがずっといいと言われた。今、紹介状に使われている写真は、入会時にアドバイザーの梅田にデジカメで撮影してもらったもので、正直いい写真だとは言い難い。
「写真変更は一回目だけ無料だから、いつでも変えてくれていいわよ。とりあえず、今は登録に必要な一枚だけ撮らせてね」
 その「とりあえずの一枚」が現在の紹介状に使用されている。責めるとすれば、梅田のカメラの腕前より、写真変更をせずに放ったらかしにした俺の怠慢だろう。
 自分の手持ちの写真から選んでも構わないが、元々写真嫌いなうえに一人で撮ったものとなると、見つけるのは不可能に近い。友達に撮ってもらうという手もあるが、使用目的が説明できないし、結局は梅田が撮影したものと大して変わらない気がする。
 この際、思い切ってプロに撮ってもらうか。確か入会時に、写真スタジオの割引券が付いたチラシをもらった記憶がある。
 チラシは、ブーケトスに関する資料一式と一緒に仕舞ってあった。A4サイズの黄色い紙に『婚活は写真が命!』と大きな字で書いてある。料金は男性三千円、女性二千五百円。「男性の方に関してはメイクのサービスはございません」と但し書きがついている。
 それにも関わらず、なぜ女性のほうが安いのか。男女平等が叫ばれて随分経つが、未だにこういう差別がまかり通っている。『ブーケトス会員様限定割引券』とたいそうに謳っているくせに、割引額はわずか五百円だ。

 小

 日曜日の午後六時頃、ブーケトスの支社近くにある写真スタジオを目指して、静かに家を出た。服装には散々迷ったが、無難にスーツを選んだ。知り合いと偶然顔を合わせる確率が如何ほどのものかはわからないが、コートのボタンを全部締め、尚且つ数年前に買って一度も使ったことのなかった黒縁の伊達メガネを掛けて行くことにした。カツラも買っておくべきだった。

 店に近づくに連れて恥ずかしさが膨らんでいった。何度か引き返そうかとも考えたが、一時の恥ずかしさでいい結果が出るならと勇気を振り絞った。もちろん、いい結果が出る保証などどこにもないのだが……。
 写真スタジオ「コスモス」は、「足立ビルディング」という五階建ての雑居ビルの二階に店を構えていた。ガラスのショーケースには振り袖姿の女性やタキシードとウェディングドレスの男女、七五三の子供の写真といったサンプルがいくつか並んでいた。正確な写真の良し悪しなどよくわからないが、任せて間違いなさそうな気はした。
「よしっ!」と改めて気合を入れ直して店内に入った。派手なメイクをした若い女性がカウンター越しに俺を出迎え、「いらっしゃいませ~!」と鼻に付く甘えた声を出して、顔全体で笑いかけてきた。
 この人がカメラマンだろうか。
「あの……」
 そこで言葉に詰まった。
 なんと説明すべきだろうか。お見合い写真の撮影とは少し違う気がするし……。
 そうか、割引券を見せればいいんだ。
「これ、お願いします」
 囁くような小さな声になっていた。カウンター脇の長椅子に腰掛けた見知らぬ男女に笑われてしまう気がしたからだ。
 受付の女性は割引券を見ただけで、全てを理解したらしく、「は~い。それでは掛けてお待ち下さいね~」と、俺に椅子を勧めた。「紹介状の写真ですね」と言われなくて助かった。
 こんなところで写真を撮るのは、就職活動をしていた大学四年生の時以来だ。履歴書に貼る写真が「三分間写真」では印象が悪いと、就職センターの部長が言っていた。今の会社に入れたのがあの写真のおかげだったかどうかはわからないが、勝てば官軍。結果が出れば、何とでも言える。今回だってそうありたい。
「春見さん。どおぞ~」
 先程の受付の女性に呼ばれて奥の部屋に入った。狭い空間に長テーブル四つで島を作っており、隅のほうに髪の毛を茶色に染めた二十代前半くらいの男女が四人座っていた。キャアキャアと甲高い声を上げてはしゃぎ回っていたが、俺の姿を見ると急に静かになった。
 客には見えない。外見から察するに、受付の女性の知り合いか何かで、ここはいい溜まり場になっているのだろう。
 俺がブーケトスの会員だということはバレているんだろうな。
「結婚相談所の会員なんだって」
「どうりでモテなさそう」
 そんなふうに笑われている気がして、居たたまれなくなった。
 受付の女性は鏡の前に俺を座らせると、前髪をヘアピンで止め、顔にファンデーションを塗り始めた。
 チラシにはメイクのサービスはないと書いてあったはずだが……。
 予想外の展開に少し慌てたが、口紅やチークとまではいかなかった。髪の毛に櫛が通されて、準備完了となった。
「お待たせしました」と、隣の部屋から白いワイシャツにジーンズといったラフな格好の女性が顔を出した。先程の連中より年齢も上のようで、明らかに落ち着いた感じがする。ショートヘアとナチュラルメイクの組み合わせに爽やかな印象を受けた。
 この人がカメラマンで間違いないだろう。
 照明とレフ板の設置されたステージに上がると、撮影が始まった。
「真っ直ぐに立って下さい。左肩を上げて」
「ちょっとだけ体を斜めに、そうそう。あっ、行き過ぎです。少し戻って」
 カメラマンの女性の細やかな指示に戸惑いながらも、俺は被写体となった。両腕を交差してそれぞれ反対側の肘の下に手を当てるという、普段ならまずしないポーズまでやらされた。
 撮影が終わると、パソコンのモニターで画像を見せてもらい、三十枚撮ったうち五枚を買って帰ることにした。まるで別人とまではいかないが、今まで紹介状に載せてあった写真よりはずっと良かった。 

 小

 十二月に入ると、仕事が急に忙しくなった。「年内完成」、「年内入居」という具合に区切りをつけたがる者が多いため、建築資材がよく売れた。婚活そっちのけで仕事に没頭した。と言いたいところだが、そっちにのけるほど婚活は大変ではなかった。十二月の申し込み分も十日が過ぎる頃には、半分がお断りだった。
 オプションAへの申し込みが有効になるのは来月からのため、今の俺がどうこうできるのは、沢口との関係だけだ。
 休日である土曜日の昼過ぎに、様子見のメールを送ってみた。
『ご無沙汰しています。お元気ですか?』
 返事はすぐに届いた。
『はい。元気です』
『十二月ですし、仕事は忙しいでしょ?』
『そうですね』
 相も変わらずの短文だ。
 断ろうか……いや、まだ結論を出すには早過ぎる。メールに関してはこれが彼女のスタイルなのだ。多分。
『もしお時間が空くようなら、映画でも観に行きませんか?』
 それから一時間以上返事がなかった。
 やはりこういう話は電話ですべきなんだろうか。
 今更、電話を掛けるのも追い立てるようで嫌なので、気長に待つほうを選んだ。
 
 夕食の買い出しに行こうかというところで、ようやく沢口からメールが届いた。
『すみません。今、起きました』
「寝てたんかい!」 
 思わず声に出してツッコんでしまった。しかも映画に関しての返事はない。仕方なしに先程送ったメールをもう一度送った。
『いいですよ。それなら観たいものがあります』
 初めて積極的な言葉を聞いた気がして、どういうわけか少し安心した。
『どんな映画ですか?』
『「それでも私を愛してくれますか」です。恋愛映画ですが、大丈夫ですか?』
 恋愛か……正直、あまり観たいとは思わないが、珍しく沢口が自分から希望を言ってきたのだ。それに応えるくらいの器の大きさは持ち合わせたい。
 予め、上映中の映画館と日程を調べてから沢口に返事を送った。「この日、この映画館で、この時間に」という具合だ。
 沢口からは『それでいいです』と至ってシンプルな答えが返ってきた。万事読み通りに進み、どこか誇らしかった。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第八回 

赤い糸をたどって

『春見さんにはどこか行ってみたいところがありますか?』
 高崎からのメールだ。昼食後に彼女とメールをするのが、ちょっとした日課になりつつある。締まりのない顔になっていることは、自分でも容易に想像できた。
「何だか最近、機嫌がいいですね」
「はい、どうぞ」と、俺宛のファックスを手渡してくれながら、若槻が白い目で俺を見る。
「何だよ。その目は」
「だって顔がイヤらしいんだもん」
「イヤらしいって……別にいいだろ。嬉しいときくらいニヤけても」
 高崎のメールに対する返信は後回しにして、ズボンのポケットにケータイを仕舞った。
「あっ、もしかして彼女できたんですか?」
 若槻の顔がぱっと明るくなる。
「いや、まだそこまでは……うわっ!」
 いつの間に近寄ってきたのか、俺と若槻の背後から牛が……じゃなくて、牛島がぬっと顔を出していた。
「そうか。春見君。君にもついに彼女ができたか!」
 随分遠くにいたはずなのに、よく盗み聞きしている。
「いや、だから、そんなんじゃないですって」
「別に隠すことはないだろ? なあ、どんな人?」
 馴れ馴れしく肩を組んでくる。
「普通の人ですよ。それにまだつき合っているわけじゃありませんし」
「でもいい雰囲気なんだろ?」
 牛島はまるで自分のことのように嬉しそう……なんて上品なものじゃない。それこそまさにイヤらしいニヤけ面だ。
「まあ、今のところはいい感じですね」
「そうかあ……いいなあ、いいなあ」
 声に力が入っている。本気で羨ましがっている様子だ。
「何言っているんですか。自分は結婚しているじゃないですか」
「そりゃそうだけどさ。結婚して十年以上一緒にいると、飽きてくるというか、新しい恋がしたくなるというか……」
 溜息混じりに、しみじみといった感じで話す牛島の声は次第に小さくなっていった。
「ひどい! 奥さんがかわいそう」
 若槻の口調は冷たい。牛を柵の外に追い払うなら今しかない。
「本当にひどいよな。俺もそう思う」
「うっ……」
 牛島の顔が引き攣る。
「私、こんなことが言える男の妻には絶対なりたくない」
「俺、こんな夫になりたくない」
「なっ、何だよ。お前たち、二人揃って……あっ、そうだ! 俺、銀行に金を下ろしに行かなくちゃ」
 牛島の体が靴に車輪でもつけているかのようにスーッと離れていく。
「今日、嫁の誕生日でさ。プッ、プレゼントは何にしようかなあっと」
 絶対に嘘だろ。

 小

 高崎と植物園に行く約束をした。ショップくらいはあるだろうから、「何か買ってあげよう」というところまでは計画済みだった。
 はっきり言って、俺は植物に関しては何の知識もない。さすがにそれでは高崎に呆れられてしまう可能性もある。
 そのことに気が付いたのは、約束の三日前だ。
 仕事を終えてマンションに帰った俺は、まずはパソコンの電源をオンにした。有名な草花の情報だけでもインターネットで仕入れておくつもりだった。
「春見さんって植物のことに詳しいんですね」
 高崎の俺に対するポイントが上昇する光景が目に浮かんだ。そういう場合、何と答えれば追加ポイントがもらえるだろうか。
「いいえ、詳しいうちには入りませんよ」か。いや、あるいは「まあ、少しは」か。
 どちらも言い方一つで、謙虚にも嫌味にも聞こえる。ここは敢えて「今日のために少し勉強してきました」と、前向きさをアピールするほうがいいか。
 高崎は知ったかぶりをするタイプより、知らないことは知らないと認めるタイプのほうが好きそうなので、やはり三つ目の……。
 そこまで考えたところでケータイが震えて、テーブルの上で騒音を立てた。
 高崎からのメールだ。
 件名は『ゴメンなさい』
 約束の日に急用でもできたんだろうか。
 軽い気持ちで開封して中身を読み始めたが、次第に胸が高鳴っていき、最後には手が震えて「嘘だ」と零していた。
 念のため、もう一度読み返す。
『こんばんは。春見さん。今日も一日お仕事お疲れ様でした。今度の日曜日に植物園へ行くお約束をしていましたが、こちらの都合で行けなくなってしまいました。
 ゴメンなさい。実はこの度、一人の男性会員さんとおつき合いすることになりました。春見さんを含めた他の方にはお断りの連絡をさせていただくと同時に、活動を休止してその方との交際に専念しようと思います。勝手を言って本当に申し訳ありません。短い間でしたけど、ありがとうございました』
「嘘だ!」
 二度目の「嘘だ」があまりに大声だったのに驚いたのか、若槻お気に入りのレッドグラミーが水面から飛び上がった。ポチャンと軽快な音を立てて水中に戻ってからも、しばらくは水槽の中を落ち着きなく泳ぎ回っていた。
 いや、待てよ。このメールは高崎ではなく、沢口からのメールだったのかもしれない。
 深呼吸をして送り主を確認してみたが、間違いなく『高崎美沙子』となっている。
 そりゃそうだ。沢口と植物園に行く約束などしていない。
 もしかすると、高崎は別の会員に送るつもりだったのを、間違って俺に送ったのかもしれない。
 二度目の読み返し。
『こんばんは。春見さん』
 あっ……間違いなく、俺宛だ。
 しかしこんなことで諦めるわけにはいかないと、俺は返信ボタンを押した。
『そうですか。それはおめでとうございます。あの、とても押し付けがましいのですが、こういうのはどうでしょう? とりあえず僕の紹介状は返却せずに高崎さんの手元に置いて頂いて、もし残念ながらその男性と結婚に至らなかった場合に』
 そこまで入力して、俺は手を止めた。
 本当に押し付けがましいよな。
 クリアボタンで全文を消去して、改めて始めからメッセージを打ち直した。
『それはおめでとうございます。お気になさることはありませんよ。結婚までの道のりは長くて大変なことも多いでしょうけど、どうぞお幸せに。こちらこそありがとうございました』
『送信完了』の画面を確認すると、深い溜息が出た。パソコンのモニターには、花の散った桜の画像が表示されていた。

 小

「はあ……」
「また溜息。これで何度目ですか?」
 若槻が呆れたように尋ねる。
「そんなの数えていないよ」
「昨日までのニヤけ顔はどこに行ったんですか?」
「人生ってさ、天気みたいなもんだよな。今日が晴れだからって、明日も晴れだとは限らない」
「まあ、そうですね」
「天気と違って厄介なのは、予報もなしに台風が直撃することだね」
「直撃したんですか?」
「そう。壊滅的」
「フラれましたか?」
「グサッ」
 高崎のことはかなり気に入っていただけにショックも大きかった。しかし考えてみれば、あんな美人で非の打ちどころのない女性と俺がうまくいくはずがない。今のうちに断られて良かったのかもしれない。会う回数が増え、気持ちが傾いていけばいくほど、フラれたときのショックは更に大きくなる。
「あれ? 春見君。何だか元気がないな」
 牛島だ。俺と若槻の会話をずっと聞いていたくせに、今気が付いたかのようなフリがわざとらしくて腹立たしい。
「若槻に聞いたんだけどフラレたんだって?」
「私、何も言っていません」
 若槻の言葉を無視して、牛島の俺に対する横やりは続く。
「まあ、そういうこともあるさ。人生って天気みたいなもので、今日が晴れだからって明日も晴れとは限らないからな」
「それ、俺が言ったんじゃないですか」
「とにかく元気出せよ。お前がそんな顔していると俺まで辛くてな」
「笑っているじゃないですか」
「若槻、俺、笑ってるか?」
「満面の笑みです」
 その後も牛島はチクチクと傷口を針で突き刺すようなことを言ってきたが、適当にあしらっておいた。
 ブーケトスの性質上、今回のようなことは避けては通れない。それは俗に言う「二股」とか「浮気」とかいうものとは全くの別物だ。紹介状を受け取った相手が自分以外に何人とどれだけの関係なのかは、本人の口から語られない限り、わかることはない。
「あなた以外に八人の方と仮交際していて、そのうち三人とは何度か会いました。一人の人とは結構いい感じで、今のところ、婚約に一番近いのはその人です」
 こんな具合に現状を語られてしまうのも嫌だ。
 高崎を責めることなどできない。もしその男より先に彼女が俺と出会っていれば、結果はまた違っていたかもしれない。
 月並みな言葉だが、縁がなかったと割り切るしかない。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第七回 

赤い糸をたどって

 モール内の飲食店街をぐるりとひと回りした後、高崎にどこか希望の店があったかを尋ねてみた。
「私はパスタがいいです。春見さんは?」
「ちょうど良かった。僕もパスタがいいなと思っていたんです」
「じゃあ、決まりですね」
 こんなふうにきっちりと自分の希望を話してくれると、こちらとしてもやり易い。
「引っ張っていって欲しい」と「自分の意見を言わない」はイコールにはならない。「黙って俺に着いて来い」の亭主関白にしても、百パーセント相手の意思を無視する、単なる頑固親父ではないはずだ。
 多分……。
 席に着いて注文を済ませると、高崎が先に話し始めた。
「毎日、お仕事大変そうですね」
「いや、そうでもないですよ」
「いつも『今、帰りの電車です』ってメールしてくださるじゃないですか? 遅くまで頑張っているなって思っていたんです。建築資材の製造や販売をしている会社に勤めていらっしゃるんですよね?」
「はい。仕事は営業で、具体的には自分の担当の代理店や工事店さんに商品の紹介をしたり、そのためにカタログやサンプルを届けたりします。クレームが出たら現場に行ったりもしますし、力仕事をすることもあります。他にはイベントへの参加などです」
「イベントってどんなことをするんですか?」
「毎年、新商品の出る春頃に、うちみたいな製造メーカーが何十社も集まって展示会をやるんです。会社ごとにブースが分かれていて、来場者の人に商品説明をしたり、パンフレットを配ったり、アンケートに答えてもらったり……などですね」
「就職博みたいなイメージですか?」
「そうそう。あんな感じです」
「なるほど、何となく想像できました。春見さんは大学を出られてからずっと今の会社にお勤めなんですか?」
「はい。そうです」
「今のお仕事が好きなんですか?」
「うーん。どうなんでしょうね。好きというか、合っているというか……」
 正直言って、俺にもわからなかった。ここは「好きです」と答えたほうが好印象だったんだろうか。
「でも継続して同じ会社に勤めていられるっていいことですよ」
「そうかな?」
「ええ」
「高崎さんは今の会社でずっと経理事務を?」
「会社は同じですけど、始めは一般事務だったんです。電話の応対、書類の作成、郵送の手配なんかです」
 若槻の仕事と同じだ。
「そのうちに経理のほうもやってみたいと思うようになって、簿記の資格を取りました。それほど大きな会社ではないですけど、今では経理に関しては、ほぼ任せてもらえています」
「経理をやらせて下さいって、自分から申し出たんですか?」
「そうです」
 高崎はあっさりと言って退けるが、大したものだと思う。新しい仕事に挑戦したい気持ちはあっても、実際に未知の領域へと踏み込んでいくことは、考えている以上に勇気のいることだ。彼女はただの美人ではない。男の俺でさえ圧倒されるほどの向上心と行動力を合わせ持った強い女性のようだ。
 注文したパスタがテーブルに並んだ。高崎は両手を合わせて、小さな声で「いただきます」と言った後、フォークで絡め取った麺を口に運び、「美味しい」と満足げに微笑んだ。
「高崎さんが料理が得意なのは知っているんですけど、何かレシピを見て作られるんですか?」
「普段は作り慣れたものや料理教室で習ったものをメインに作りますけど、時間のあるときはレシピを見て新しいものを作ったりします」
「料理教室に通われているんですか? じゃあ、大いに期待しても良さそうですね」
「あっ、ちょっとプレッシャーかけられちゃいましたね」
 さりげない「あなたが気に入っています」というアピールのつもりだったが、それも上品な笑顔でスルリとかわされてしまった。
 退屈や沈黙を感じることはなかった。高崎は話し上手であり、聞き上手でもある。彼女がとても頭のいい人であることが会話を通じて伝わってくる。

 二時間ほど過ごして、その店を出た。
 今までなら一度目の面会は、食事かお茶を飲んでサヨナラというパターンがお決まりだった。今日も例外なくそのつもりでいたが、高崎の口から思わぬ言葉が出た。
「ここの屋上に庭園があることをご存知ですか?」
「はい。知っています。でも行ったことはありません」
「それじゃ、一緒に見に行きませんか?」
 もちろん、断る理由なんてない。高崎も俺を気に入ってくれたんだと考えていいだろう。そうでなければ、次に誘うはずなどない。
 屋上に向かってエレベータが上昇するのに合わせて、俺の気分も高揚していった。
 エレベータを降りると、一面ガラス張りのホールになっており、建物の中からも庭園を見ることができるようになっている。自動ドアを抜けて外へ出ると、急に冷たい風を感じて、思わず体が縮こまった。
 季節はもう冬だ。葉を落し始めている樹木もあるが、大半は常緑樹のようで、青々としている。屋上全体を縁取るように設置された長方形の陶器のプランターに植えられている花は、開花時期が冬のものばかりらしく、寂しさは感じない。レンガ造りの大きな壁泉から零れ落ちる水は冷たげだが、子供達はお構いなしのようで、溜まった水を手で掬って遊んでいる。
 ぐるりと庭園を一回りした後、ツル性植物の絡んだパーゴラベンチに高崎と並んで座った。足元に敷かれているレンガは俺の勤める会社の商品だ。
「高崎さんもここへ来るのは初めてなんですか?」
「いいえ。もう何度目かわからないくらい来ています。季節ごとに咲く花は違いますし、時折、植え替えもされているようなので飽きないんです」
「本当に植物が好きなんですね」
「はい。大好きです」
 会話をしている間も、高崎の視線は当たりの草花や樹木に注がれている。
「自分でも育てているんですか?」
「はい。マンションなので室内で育てるものが多いですけど、お日様の光が必要なものはベランダで育てています。狭い部屋なのにプランターばかりが増えてしまって……」
 高崎は照れ臭そうに、ペロリと舌を出した。少女のようなその仕草に、心臓が大きく一つ膨れた。
「私ね、結婚したら自宅にガーデニングができるスペースが欲しいと思っているんです。それほど大きくなくてもいいから、プランターではなく、直接地面に植えて育てたいんです」
 長い髪を束ねた高崎が土を掘り、優しく草花を植える姿が俺の頭に浮かんだ。額の汗をシャツの袖で拭い、「大地さん、どう?」と満足げに笑っている。
 うん。悪くない。いや、それどころか最高だ。
「春見さん? どうかされましたか?」
「あっ、ゴメンなさい。それじゃあ、家は一戸建てですね」
「そうなりますね」
 住む地域や土地の大きさ、建物の規模にもよるが、最低三千万……いや、三千五百万円くらいの金は必要だな。
「頑張ってみますね」
「えっ?」
「あっ、いいえ、こっちの話です……高崎さんはなぜブーケトスに入会したんですか?」
「それは入会した理由そのものですか? それとも結婚相手を探す理由ですか?」
「後のほうです」
 親に入会させられたのではないことは、答えを聞かずともわかる。
「今の会社に入って独り暮らしを始めて、家族の温かさを改めて知ったんです。在り来たりな言葉ですけど、喜びや悲しみを分かち合うってよく言うじゃないですか? 楽しいことや辛いことがあったときに誰にも伝えられないことは、意外と寂しいものなんだって」
 独り暮らしや独身は、時間的にも経済的にも自由だ。ただ、そういう毎日が長く続くと、高崎のような寂しさを感じるようになる。
「花のつぼみが開いたことも誰かに教えたいし、お料理だって誰かに美味しいって言ってもらえるほうが作り甲斐がありますから」
 高崎は右腕を曲げて力瘤を作り笑ってみせた。
 どこまでも魅力的な女性だ。なぜ彼女のような人に相手が見つからないのだろう。俺の申し込みをオッケーした時点で「理想が高い」という理由は消える。

 駅に戻り、改札を通ったところで、「今日はこの辺で」ということになった。
「高崎さん、どうもありがとうございました」
 俺の会釈に、高崎も「こちらこそ」と頭を下げた。髪が揺れ、シャンプーの甘い香りがほのかに漂ってきた。
「また会ってくれますか?」
 とても簡単な言葉だし、高崎にはさらりと言ってのけたように聞こえたかもしれないが、俺の胸は張り裂けそうなほど高鳴っていた。
「はい。私もお願いしようと思っていたところです」
「本当ですか? 良かった」
 喜びというより、安堵から自然と顔が綻ぶ。「また連絡しますね」と高崎は手を振り、自分が乗車するホームへと歩いていった。彼女の姿が見えなくなったところで、俺は両手をギュッと握り締めた。
(よしっ! 一次選考通過だ)

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第六回 

赤い糸をたどって

 十一月になり、新たに申し込んだ九人のうち、一人の紹介状が届いた。手持ちの札……いや、紹介状の少ない俺にとっては有難いことだった。
 封筒を開いて、中からピンク色の紙を取り出した瞬間、思わず声が出た。
「カッ、カワイイ!」
 白黒写真でもはっきりと美しさのわかる、髪の長い女性の顔がそこにあった。
 何かの間違いかもしれないと、紹介状をじっくりと見直してみたが、受取人は確かに俺の名前になっているし、備考欄には『あなたの紹介状を見てお受けされました』と記してある。立ち上がって万歳三唱をしたい気分だったが、喜ぶのはまだ早い。就職活動に例えるのなら、まだ書類選考にパスした段階だ。
 高崎美沙子。
 年齢は三十一歳で、職業は経理事務。趣味は植物栽培、読書、料理。
 自己PRは『おっとりしているように見えて、しっかりしていると周りの人にはよく言われます。言葉にしなくても、お互いの考えていることや気持ちがわかる夫婦を一緒に目指せる方を探しています。焦らず、ゆっくりと共に人生を歩み、理想に近付ければいいなと思っています』
 彼女が前向きに結婚を考えているということは疑う余地がない。はっきりとした意志のない者は、結婚後の人生についてなど口にはしない。
 俺の本心は「今すぐにでも会いましょう!」だが、そういうわけにはいかない。ガツガツしているなんて思われたら、そこでアウトだ。「お綺麗ですね」なんて露骨な褒め言葉は避けて、「はじめまして」から始まる在り来たりの文章でファーストメールを送った。

 小

『今、休憩時間中で、コンビニ弁当を食べ終わったところです。高崎さんはお昼はどうされているんですか? 外食ですか? でも料理が好きということなので、きっと手作り弁当でしょうね』
 入力し終えた文章を一度だけ読み返して、メール送信ボタンを押した。ケータイの画面が、羽根の生えた封筒が空を飛ぶアニメーションへと切り替わり、『送信完了』の文字が表示された。
 こんなふうに空き時間を見つけて、時折高崎にメールを送っている。あまり頻繁に送ると煙たがられそうなので、一日に一、二通程度にし、返事が届いたら少し続けるようにしている。
 弁当のゴミを給湯室のゴミ箱へ捨てて席に戻ると、高崎から返事が届いた。
『お疲れ様です。私も今、食事が済んだところです。私は自分でお弁当を作っています。と言っても、本当に簡単なものですよ。春見さんはいつもコンビニのお弁当なんですか?』
 できたら俺の分も作って欲しいです! なんてね。
 自然と口元が綻びてしまったため、すぐに真顔に戻ろうとする。
「楽しそうですね。春見さん」
 後ろから若槻に声を掛けられ、驚きで背筋がピンと張った。メールを見られまいと、慌ててケータイをズボンのポケットに仕舞った。
「隠さなくてもいいじゃないですか」
「別にそういうわけじゃないよ。読み終わったから仕舞っただけだけだよ」
「本当に? さっきのニヤけ顔といい、今の慌てぶりといい、普通じゃなかったな」
 若槻が少し意地悪そうに笑う。
 いつから見られていたんだろうか。
 恥ずかしさで体温が上がる。特に顔が熱い。
「まあ、生きていれば、たまにはいいこともあるよ」
「そりゃ、そうですよね。ねえねえ、春見さん。あれから水槽に魚入れたんですか?」
 若槻が声を潜めた。二人で秘密を共有し合うようで、何だか少し照れ臭くなる。
「うん。でもあの大きさの水槽だと十匹くらいがちょうどいいんだって。数が多過ぎると、水も汚れやすくなるらしいし、魚にとってもストレスになるらしいよ」
「そうなんですか?」
 長髪の店員に言われたように、あの日は魚を買わずに帰った。魚を飼育するためには、まず水作りをしなくてはならないのだ。水槽に水を張り、フィルターを作動させて一週間から二週間ほど水を循環する。そうすると、魚の食べ残しやフンなどから出る有害な物質をできるだけ無害なものへと変える働きをするバクテリアが繁殖する。バクテリアの繁殖が不十分な状態で魚を入れると、死んでしまう可能性が高いらしい。
 無知とは恐ろしいもので、何も知らずに生き物を飼おうとしたことが、我ながら安易だったことに気が付いた。
「心配しなくても大丈夫。若槻さんが気に入ったのはちゃんと買っておいたから」
「ありがとうございます」
 若槻は丁寧に頭を下げた後、白い歯を見せて笑った。
「おいおい。お前ら随分仲がいいよな?」
 俺より五歳年上の先輩、牛島からヨコヤリが入った。まるでテレビドラマに登場する、主人公とその恋人に絡むチンピラの台詞だ。それもかなり昔の。
「そっ、そんなんじゃありませんよ」
 若槻が過剰に反応し、少しきつい口調で否定した。顔が真っ赤だ。ひと際肌の白い彼女のため、その紅潮ぶりが余計に目立つ。こうなっては牛島の思うツボだ。
「若槻、顔赤いぞ」
 牛島に冷やかされて、若槻の顔はますます赤くなった。
「さてと、昼からも頑張ろっと」
 若槻は逃げるように自分の席へと戻っていった。そういうシャイなところも俺は嫌いじゃない。
「お前たちさ、実はつき合ってるんじゃないの?」
 牛島の攻撃目標が俺に変わった。一度追尾され始めると、なかなか振り切れないのがこの人の厄介なところだ。
「まさか」
「隠さなくてもいいって」
「違いますって」
「何も恥ずかしがることなんか……」
 牛島の言葉を遮るように、俺のケータイに着信があった。
「すみません。電話です。あっ、もしもし?」
 メールであることはわかっていたが、ケータイを耳に当てて、廊下に出た。
 ブーケトスからのお知らせメールだった。
『以下の会員様よりお断りの連絡がありました』
 これで今月申し込んだ全員から返事が届いたことになる。結局、高崎以外の八人はお断りだ。
 肩を落して席に戻ると、牛島がニヤケ面で俺を待ち構えていた。
「二股か?」
 頼むから、消えてください。

 小

 待ちに待った日がやってきた。高崎と初の顔合わせだ。美人の紹介状をもらうことはこれまでに何度もあったが、こちらが「お受けします」の返事を送ると、すぐにお断りの連絡が来た。やはり相手に対しても相応の容姿を求めているのだろう。自慢じゃないが、俺はルックスがいいほうじゃない。「モテる」なんて言葉は縁遠いものだし、「男前だ」なんて言ってくれるのは、母と年齢の変わらぬ、近所のおばちゃん連中くらいのものだ。
 身だしなみのチェックをいつもより入念に行ってから家を出た。
 彼女の紹介状は隅々まで熟読し、プロフィールはしっかり頭に入っている。「それって紹介状に書いてありましたよね?」と、はっきり言われることはないにしろ、思われるだけでも減点の対象になる可能性は充分にある。話題もそれなりに用意してきたつもりだ。「会話の続かない退屈な人」と感じさせてはならない。
 待ち合わせ場所は、沢口の時と同じN駅の改札で、約束の時刻は午前十一時だ。
 十分前に到着したが、高崎はまだ来ていないようだった。
 なぜか少し安心した。ひょっとすると、こうして相手が来るのを待っている時間が一番いいのかもしれない。期待に胸を躍らせているだけの今なら、フラレて落ち込むこともないからだ。その代わり先へ進むこともないが……。
 まだ時間もあるし、念のためにトイレにでも行っておくか。
 そう考えて、その場を離れようとすると、一人の女性が俺の顔をじっと見ていることに気が付いた。
「春見さんですか?」
 白黒写真ではなく、カラーの、それも実物の高崎美沙子だった。特徴の一つである長い髪はよく手入れが行き届いているらしく、艶やかで縮れや絡みがなくとても美しい。体型はすらりとしていて、肌は透き通るように白いが、病人のような青白さではない。服装はタートルネックのセーターにスカート。ラフ過ぎず、フォーマル過ぎずの、初対面に相応しいものだと言える。見るからに清楚で上品な感じがして、出会う前以上の好印象を抱いた。
「春見大地さんですか?」
 まるで射られてしまったかのように身動き一つしない俺に、高崎が不安げに小さな声で繰り返す。
「えっ、ああ……はい」
 声が上ずった。
「良かった。人違いかと思いました」
 高崎は胸に手を当て、ふうっと微かに息を吐いて、二重瞼の大きな目を細くした。
(この人と結婚したい!)
 出会って一分も経たぬうちに、俺は恋に落ちていた。
 
 二人で話し合った結果、沢口の時と同じように、近くのショッピングモールに足を向けた。
「緊張していますか?」
 高崎が俺の顔をそっと覗きこんできた。長い髪が垂れ下がり、耳につけた青い宝石の入ったイヤリングが見えた。
「わかりますか?」
「はい。顔に書いてあります」
 美人にからかわれてみっともなくなった俺は、慌てて両手で顔を拭った。
「あなたのような美しい方の前でなら、どんな男でも緊張しますよ」
 そんな台詞が許されるのは、外国映画やドラマに登場する二枚目俳優だけだ。俺にはとてもじゃないが口にできない。
「実は私も少し緊張しています」
 高崎がまた微笑みをくれた。
「春見さんって写真で見るよりずっと素敵ですね」
「そっ、そうですか?」
 お世辞も上手だ。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第五回 

赤い糸をたどって

 十月も二十五日を過ぎた。結局、今月申し込んだ女性からの返事は沢口以外全てお断りだった。落ち込むというより、焦りの気持ちが大きくなったというほうが正しい。
 沢口からは未だお断りの連絡はない。俺に対してどんな印象を持ったのかはまるでわからないが、彼女の性格を考えると、自分のほうから次のお誘いをしてくるとも思えない。
 俺自身の彼女に対する印象はと言うと、正直微妙なところだ。ルックスは悪くはなかった。むしろカワイイほうだと思う。ただ二十分以上遅れて来て一言もなしというのは減点の対象だったし、会話があまり続かなかったのも引っ掛かる。致命的なのはオニオンリングを勝手に……まあ、そこは大目に見よう。
 以前の俺ならこれでお断りを決めていたが、今は贅沢を言っていられない。とりあえず、紹介状は手元に残しておいて、時期を見てもう一度誘ってみることにしよう。

 小
 
マイページを利用して趣味の欄に「アクアリウム」と追加したものの、実際に魚を飼ったり、水草を育てたりするまでには至っていなかった。そろそろ腰を上げねば本当にデタラメになってしまう。

 十月最後の日曜日、近所のホームセンター内にあるペットコーナーに足を運んだ。
 はっきり言って詳しいことは何もわからない。ただ、展示用として置かれているレイアウト水槽に僅かな魅力さえ感じなかったと言えば、嘘になる。限られたスペースに自然界の姿を濃縮させているところには、やはり心惹かれた。魚しか入っていない水槽より、魚たちの動きもどこか生き生きとしているように見えた。
(ここまでやれたらきっと楽しいんだろうな)
 そんな考えが頭の中をチラリと過ったが、実際にやれる自信はなかった。とりあえず、入門用の小型水槽セットを手に取った。水槽のサイズは「30センチ(幅315mm×奥行85mm×高さ244mm)」で、フィルターとライトがついて、三千九百八十円だ。
 まあ、この程度の出費は当然だろう。
 次に必要なのは水槽の底に敷く砂利だ。粒の大きさや色合いによって値段も違う。想像していたよりずっと種類が豊富だった。オレンジやピンクも明るい感じがして悪くはない気がしたが、一応自然の情景を目指しているので、茶色やグレーの大きさが異なる砂利を混ぜて袋詰めされた「川砂利」というものを買うことにした。
 次は飾りだ。水草は魚と一緒に選ぶとして、流木くらいは入れておきたい。
 ダンボール箱に無造作に放り込まれた流木を一つずつ手に取って吟味した。同じ形のものは二つとしてない。あまり大きなものは入らないので、小さくてもできるだけ個性的な形状のものを選ぶことにした。全く想像の領域だが、くるくると回してどういうふうに水槽に入れるのかも考えてみた。頭の中に少しずつ美しい情景ができ上がりつつあった。
 流木が決まったので、いよいよ魚だ。
「春見さん……ですよね?」
 後ろから突然名前を呼ばれて、体が少し宙に浮いた。誰にも知られずにこっそり買って帰るつもりだったからかもしれない。恐る恐る振り返ると、そこに俺のよく知る顔があった。
 若槻だった。茶色と白のストライプのカットソーにベージュのパーカーを羽織り、ジーンズを履いている。見慣れた制服姿と違うカジュアルな格好で、とても新鮮だった。ただし、化粧はほぼしていないに等しい。それはいつもと同じだ。
「やっぱり春見さんだ」と言って、若槻は目を細くした。
 動揺を覚られぬよう、できるだけ平静を装う。
「すごい偶然だよな。もしかして若槻さんの家って、この近く?」
「そうですよ」
 若槻の口にした住所はここから十分ほどのところだ。「俺の住むマンションからもそんなに遠くはない」と話すと、今度は目をぱっと大きく見開いた。
「へえ、そうなんですか。じゃあ、私たちって意外とご近所さんだったんですね」
「らしいね。全然知らなかったよな」
 日頃、若槻と言葉を交わすのは、大抵仕事に関してで、プライベイトに踏み込むような話はほとんどしたことがない。ただ、お互い一人暮らしで、恋人がいないことだけは知っている。
「魚、飼うんですか?」
 若槻の視線は、俺の手にした買い物カゴに向けられていた。この状況で「飼わない」と答えるのは不自然だし、嘘をつく必要もない。
「うん。一人暮らしだとちょっと寂しいしね。それに俺の部屋って殺風景だから、少しは賑やかになるかなと思ってさ」
「その気持ちわかりますよ。私が犬を飼ったのも寂しいからだもん」
「あっ、そういや飼ってるって聞いた気がするな。ミニチュアダックスだっけ?」
「そう。ココアって名前なんですけど、カワイイですよ。写真、見せたことなかったですか?」
 見るとも見ないとも答えないうちに、若槻は肩にぶら下げたポーチからケータイを取り出した。待ち受け画面に、濃い茶色の毛で覆われたミニチュアダックスが映っている。子犬ではなくもう立派な成犬だが、ソファの上にちょこんと座り、大きな目でこっちを見ている姿は確かにカワイイ。
「春見さんも犬にしたらいいのに。犬は嫌い?」
「いや、そんなことないよ。むしろ、好きなほう。でもさ、飼うってなると世話が大変だろ?」
「私は大変だと思ったことがないです。子供みたいなものなんだし」
 若槻はとても優しい目をしている。彼女にとってココアはただのペットではなく、家族なのかもしれない。
「俺は帰るのも遅いし、朝晩の散歩なんかも続けられるかどうか自信がないな。餌だって自分の分を用意するのも面倒って思っているくらいなんだから」
「そうですよね。春見さんは仕事が大変だもんね」
 若槻たち事務員は定時である午後六時には会社を出られるが、俺たち営業はそれ以降も仕事が残っている。ほぼ毎日サービス残業だ。
「そう。だから、魚くらいなら何とかなるかと思ってさ」
「そのうち話し掛けるようになりますよ」
「言えてるね」
 二人で声を揃えて笑った。
「魚を見に行きましょうよ。金魚じゃなくて熱帯魚ですよね?」
 まるで自分が飼うかのように、若槻は目を輝かせ、先に生体コーナーへと足を向けた。俺もそれに続く。
「春見さん、この子たちカワイくないですか? あっ、この子たちもいいかな」
 小さな水槽を覗き込んではしゃぎ回る若槻は、まるで子供のようだった。
「春見さんはどれか気に入った魚はいますか……あれ、どうかしました?」
 若槻の言葉で我に返り、いつの間にか彼女の横顔に向けていた視線を慌てて逸らした。
 同僚たちに「お前たち、くっついたら?」とからかわれたことがある。若槻は顔を真っ赤にして「結構です」と否定していたが、俺は「それもいいかな」と思った。フラフラと遊び回っている印象もないし、他人に対しての気配りもよくできる。言葉遣いや常識という点では間違いなく合格だし、冗談がまるで通じない頭の固い子でもない。なんといっても、体中からにじみ出るような明るさに魅力を感じる。体型も太過ぎず、細過ぎず、ごくごく標準的。年齢は二十七で、ちょうどいい年頃だ。俺が若槻を拒んでいる理由は「社内恋愛だから」ということ。そして何より、彼女自身が「彼氏なんていらない」と公言しているからだ。
「いや、何でもない……これ、カワイイよな?」
 俺が指差したのは、「ハニードワーフグラミー」という名の魚だ。楕円の黄色い身体には、背びれと尾びれの他に二本の髭のようなものがついている。小さな黄色い体を懸命にくねらせて泳ぐ姿をみていると、自然と口元が緩む。
「私もいいなと思っていたんですよ。赤い子もいるんですね」
 若槻が言っているのは、「レッドグラミー」という魚だ。
「それじゃ、黄色と赤、一匹ずつにしようか」
「そうですね。他に気に入ったのは……」
 その後も二人で相談して、合計十五匹を買うことにした。
 俺の家で飼う魚をなぜ若槻と話し合って決めたのか。
 そんな疑問が湧いたのは、それからずっと後のことだった。
 魚を掬ってもらうために、長髪の男性店員に声を掛けると、「いらっしゃいませ!」と景気よく応えてくれた。
「魚が欲しいのですが……あっ、あと水草も。初心者にオススメのものを適当に見つくろってもらっていいですか?」
 俺の注文を聞いた途端、店員の得意げな表情は苦笑いへと変わった。
「もしかして初めて飼われるんですか?」
「ええ、そうですけど」
 店員の視線は買い物カゴに入れた水槽セットに向けられていた。
「それなら今日のところは、生体を買うのはやめておいたほうがいいですね」
「えっ、あっ……どうしよう? 若槻さん」
 思ってもみない言葉に動揺した俺は、無意識に若槻に助けを求めていた。
「私に言われても……」と、若槻も困惑した表情で俺を見ていた。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第四回 

赤い糸をたどって

 そこへ店員がやってきて、櫛の刺さったハンバーガー二つとオニオンリングの乗ったバスケットをテーブルの上に置いた。俺にとってオニオンリングは好物の一つで、どんな店に行っても、メニューにあれば必ず注文する。玉ねぎの持つ甘さと衣の塩辛さの組み合わせが何とも言えず好きなのだ。
 店員は続けて俺の前にコーラを、沢口の前にアイスティーを置いて、「ごゆっくりどうぞ」と言い残して席を離れていった。
 好きな物は後に残す主義の俺は、先にハンバーガーへと手を伸ばした。パンとパンの間にレタス、トマト、タマゴ、ハンバーグが挟まれていて、上から下まで一気にかじろうとすると、顎が外れてしまいそうなほどの大ボリュームだ。とりあえず、かじれるところまでかじってみた。沢口も小さく口を開けて、一番上のパンから遠慮がちに食べ始めた。
 このままだと永遠に会話が始まりそうにないので、また俺のほうから話題を提供することにした。
「沢口さんは確かバイオリンが趣味でしたよね?」
「はい」
「いつからやっているんですか?」
「小学生からです」
 本当にこういう趣味の人っているものなんだなと、紹介状を見て感心した。そして同時に「お嬢様」という言葉が浮かんだ。
「楽団みたいなのに所属していたりするんですか?」
「中学二年まではしていました。今は休みの日に少し弾くくらいです」
「結構大きな音が出るんじゃないですか?」
「そうですね」
「ご近所からの苦情とかって大丈夫なんですか?」
「音を小さくする道具もありますし、昼間に弾いている分には特に文句を言われたりすることもないです」
 沢口は実家暮らしだ。近所に音が漏れないような広大な敷地に住んでいるということは考えられないだろうか。紹介状に自宅の敷地面積は書いていない。
「春見さんは映画観賞が趣味ですよね?」
「ええ、まあ」
 初めて沢口のほうから質問された。視線がブレることもなくなった。趣味のバイオリンの話をしたことで、少しはリラックスできたのかもしれない。
「最近、何を観ました?」
「そうですね……あっ!」
 突然俺の口から飛び出した「あっ!」という声に、沢口が目を丸くした。
「どうかしましたか?」
 後から食べようと残していたオニオンリングの一つに沢口が手を付け、遠慮もなしにかじりついたのだ。シャリッという心地良い音色が俺の耳に響いた。
 確か彼女はハンバーガーとアイスティーだけでいいと言っていたはずなのに。
「あっ……『あしたが見えたら』って映画です」
 早口で言い終えて、俺もオニオンリングに手を伸ばした。作戦変更だ。うかうかしていたら全部食われてしまう。残りは四つ。
「『あしたが見えたら』って、予知能力者のお話ですよね?」
「そうです」
 もはや映画のことなどどうでも良かった。一つ目のオニオンリングの歯触りをまだ感じたまま、次に手を伸ばした。オニオンリングの入ったバスケットを手繰り寄せたい気持ちでいっぱいだったが、さすがにそれはみっともないので、ぐっと我慢した。
「あれって春くらいの映画でしたよね?」
「映画館ではそうですね。僕が見たのはレンタルだから。確か八月頃だったかな」
 沢口は再びハンバーガーのほうに手を伸ばした。
 チャンス! 残りの二つもいただきだ。
「それでも結構前ですね」
「趣味って言えるほど観てないですね」とでも言いたそうなのが、表情から読み取れた。腹は立たなかった。実際、映画観賞なんて思いつきで書いたものだからだ。
「最近は、映画館に足を運んでまでって思えるような作品が見つからないですから」
 尤もらしい言い訳をしながら、三つ目のオニオンリングを摘むことに成功した。右手と口の周りは油でギトギトだが、テーブルナプキンで拭く時間さえ惜しい。
「ねえ、春見さん」
 沢口はハンバーガーをテーブルに置き、俺の顔をじっと見た。
 なんだろう。あらたまって……。
 沢口の真剣な眼差しに、最後のオニオンリングに手を伸ばすのを中断せざるを得なかった。意識は彼女の顔に向かった。
 悪くはないなんて思っていたが、結構カワイイ部類に入るんじゃないか。
 そう感じて、胸が高鳴った。彼女の口からどんな台詞が出るのか、自ずと期待していた。出会ったばかりで「つき合って下さい」はないとしても、決して悪くはない前向きな言葉のはずだ。
「良かったら……」
 やっぱり「つき合って下さい」だろうか。自己PRにはあんなふうに書いていたが、意外と積極的なのかもしれない。
 思わず息を飲んでしまう。沢口がゆっくりと残りの言葉を紡いだ。
「オニオンリング、全部食べてくれていいですよ。好きみたいだし」
「あっ……ありがとうございます」
 俺は沢口に向かって深々と頭を下げた。

 小

 沢口と別れ、マンションに帰りついたのは午後三時過ぎ。
 途中、レンタルビデオ店に立ち寄って、映画のDVDを三枚借りた。沢口に言われたことが少々引っ掛かったからだ。早速、上映会と行きたかったが、その前にアドバイザーの梅田に電話を掛けた。
『久しぶりね。元気だった?』
 梅田は親しげにそう言ったが、本当に俺のことを覚えているかどうかは怪しいものだった。
 どうせ、俺の情報をパソコンのモニターで眺めながら話をしているに違いない。
「ちょっと教えて欲しいんですけど、他の男性会員の方ってどんなことを趣味にしていますか?」
『何? 今から新しい趣味を始めるつもり?』
「あっ、いや、そうじゃなくて……ほら、女性会員の趣味なら紹介状で見ることができますけど、男性会員の趣味ってどんなこと書いているのか絶対にわからないじゃないですか? だから参考までに聞いておこうかと」
 梅田は「ふーん」と半信半疑とも言える返事をしたものの、「私の記憶にある限りでは……」と続けた。
『スキー、スノボでしょ……それから野球、サッカー、テニス……』
 どれも今すぐ始めるには難しい。
「他には?」
『釣り、登山、ダイビング、ボーリング……』
「もっと手軽に始められそうなものはないですか?」
『やっぱりこれから始めるつもりなんじゃない』
 あっ、思わず本音が出てしまった。
「いっ、いや違いますよ」
『別に嘘つかなくてもいいのよ。前向きに努力してくれるのは、私たちアドバイザーにとって嬉しいことなんだから』
 今まで何もしてくれなかったのに、少し頼るとこれだ。
「映画観賞が趣味の人ってあまりいませんか?」
『そんなことないわよ。むしろ多いほう。ただ、春見さんみたいにそれだけって人は少ないわね。趣味の欄って三つ書けるでしょ? できれば全部埋めておくほうがいいわよ』
 なぜそういう大事なことを始めに言ってくれないのか。この人はアドバイザーというより営業として失格だな。いや、むしろ、それで俺が結婚できずに会員期間延長とくれば儲かるのかもしれない。
 そこまで考えて、俺は首を横に振った。
 歳を取るごとに、確実に嫌な人間になっているよな。
「さっきの続きなんですけど、他にはどんなのがありますか? なるべく手軽なもので」
『えーっと、そうね……読書、ゲーム、パチンコ、競馬……』
「確かに手軽ですけど、読書とゲームは地味ですよね。パチンコとか競馬ってあまり女性からの印象が良くないんでしょ?」
『確かにいいイメージを持っていない人は多いわね』
 紹介状に「ギャンブルは好きかどうか」の回答を載せるくらいだ。相手を選ぶうえで重要なポイントであることに間違いはないだろう。
『後はカメラ、鉄道模型、天体観測……』
 どんどん深いところへ入り込んでいっている気がする。趣味で使うカメラとなると、やっぱり一眼だよな。鉄道模型って一揃え買うといくらくらいするんだろう。うちは二階だから、天体望遠鏡をベランダで使ったら間違いなく誤解されるよな。
『アクアリウムっていうのもあるわね』
「何ですか? あくありうむって……」
『ほら、ペットショップなんかで、水草とか石とか使って自然の風景を作って魚を泳がせている水槽があるでしょ?』
「ああ、あれですか?」
 それなら割と手軽に始められるかもしれない。女性からのイメージも悪くはなさそうだし、散歩やフンの始末もいらない。要は魚を飼って、水草や石を適当に入れておけばいいだろう。そこまで深く語る必要はない。初めて会ったときに多少なりとも話題になれば、それ以上は望まない。
「それにします」
『えっ、いいの?』
「可笑しいですか?」
『いいえ、随分あっさりと決めたものだから』
「金魚は飼っていたことがあるのでいいかなと思って。それほど変わりないでしょ?」
 飼っていたと言っても、縁日で掬った二匹をバケツに入れていただけだ。確か二、三週間で死んでしまったっけ。
『私も詳しいことは……』
「問題はあと一つか……それ以外に何かあります?」
『あっ、ゴメン』と、梅田が慌てて俺の話を遮った。
『実は四時から新しい会員さんの入会案内の予定があるのよ。悪いけど、続きは今度にしてくれる?』
 テーブルの上のデジタル時計は午後三時三十分を記している。思った以上に話し込んでいたようだ。
「わかりました。すみません」
『あのさ、何なら昔やっていた趣味でも書いておいたらどう? お茶を濁すくらいはできると思うけど』
 梅田は俺の返事も聞かずに、「それでは失礼します」と言って、電話を切った。
 何とも有難いアドバイスをくれたものだ。確かに辞めてしまった趣味ならいくつかある。果たしてそれでいいのかと一度は首を捻ったものの、三ヶ月前に観たきりの映画を趣味だと言っているのとそれほど変わりがない気がした。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第三回 

赤い糸をたどって

 約束の日を迎えた。
 お見合いや紹介というわけではないので、立会人はいない。ましてやスーツなどは着て行く必要もない。しかし相手は女性だ。センスを疑われるような格好はしてはいけないし、出掛ける前はちゃんと身だしなみを確認する。
 鏡の前に立ち、首を左右に振る。寝グセはなし。
 顔を前に突き出し、鏡を覗き込む。目ヤニなし。鼻毛の飛び出しもなし。
 上下の歯を合わせてニッと微笑む。食べカスなし。
 髭の剃り残しもなし。
 口の周りを両手で覆って息を吐き出すと、爽やかなミントの香りが広がった。
「口臭よし!」
 財布とケータイをジーンズの後ろポケットにねじ込んで家を出た。

 初めて会う女性が相手だ。やはり緊張はする。電車に乗り、シートに身を預けると、活発に動く心臓のせいで、体が前後に波打っているような感覚がする。気を紛らわせようと窓の外に視線を移してみたが、効果はなかった。
(沢口さんってどんな人なんだろう)
 今の時点では決して答えの出せない問いかけを、頭の中でずっと繰り返していた。
 
 待ち合わせの場所である駅の改札には、約束した時間の五分前に到着した。先程以上に膨張と収縮を繰り返す心臓の動きを感じながら、辺りを見回してみた。若い女性はたくさんいるが、その中に沢口らしい人物の姿は見当たらない。
 とりあえず待つしかなさそうだ。
 終着であるこの駅には複数の路線が交わっていて、一番から八番までのホームがある。沢口の住んでいる場所を考えると、三番ホームに入る電車に乗っているはずだ。
 ホームと腕時計を交互に眺めていると、約束の十一時三十分になった。そこへちょうど三番ホームへの電車の到着を告げるアナウンスが流れた。
 速度を落した電車が静かに入ってくる。恐らくこれに沢口は乗っているはずだ。待ち時間を挟んだおかげで穏やかになっていた胸が再びざわつき始めた。
 両側のドアが開いた。乗客たちが一斉にホームへと降り立ち、改札のあるこちら側に向かって歩いてくる。
(違う。違う。違う……)
 昨晩目に焼き付けた白黒写真の沢口の顔を頼りに、女性一人一人に対し、正否を決めていく。
(……違う。違う。違う。あれ?)
 乗客は皆、改札を通ってしまい、三番ホームは沈黙した。
 当たりの含まれないクジだったらしい。
 おかしいな。
 ポケットからケータイを取り出し、沢口から「遅れます」というメールが届いていないかを確認してみたが、新着のメールや電話を掛けてこられた形跡はない。
 ひょっとすると、俺が約束の時間を間違っているんだろうか。
 数日前に沢口とやり取りしたメールを読み返してみたが、確かに『日曜日の午前十一時半、N駅の北改札で』と書いてある。
 まさか来週の日曜日と勘違いしていることはあり得ないだろう。電車が遅れているだけなのかもしれない。

 それから待つこと十分。三番ホームに次の電車がやってきた。
(違う。違う。違う。違う。違う……)
 先程の繰り返し。結果もまた同じで、当たりの含まれないクジ。
 何かあったんだろうか。急に体調が悪くなったとか、身内に不幸があったとか。
 可能性がゼロとは言えないため、試しにメールを送ってみる。
『おはようございます。僕はもう着きましたが、何かありましたか?』
 すると、一分も経たぬうちに沢口から返事が来た。
『今、向かっています。後五分くらいで着くと思います』
 だったら、早く言ってくれ。

 次の電車に沢口は乗っていた。随分と離れたところから俺を確認できた様子で、迷うことなく、真っ直ぐこちらに向かってくる。歩調を速めることもなければ、申し訳なさそうな表情を浮かべることもしなかった。俺のそばに来ても、二十分以上遅れてきたことへの謝罪もなしに、ただ真顔で頭を下げただけだった。正直、いい気はしなかったが、小さい男だと思われたくなかったので、責めるのもやめておいた。
 ベージュのワンピースに、装飾品は特になし。写真通りの童顔で、斜め掛けにしたポーチのせいもあってか、より幼く見える。
 二人で話し合った結果、近くにあるショッピングモール内のレストラン街を目指すことになった。先に歩く俺の後ろを、沢口はちょこちょこと狭い歩幅でついてくる。
「いい天気になって良かったですよね?」
 俺の問いかけに対し、沢口はほとんど表情を変えることなく、「そうですね」と答えた。彼女からは続きが出そうになかったので、俺が言葉を紡いだ。
「来週の中頃まで晴れが続くらしいです」
「へえ、そうなんですか?」
「それ以降は週末にかけて雨になるみたいです」
「そうなんですか?」
「かなり激しく降る可能性もあるとか……」
 いかん。何を天気予報士のようなことばかり言っているんだ。別の話題を探そう。
「今日は割と寒いですよね。僕は寒いのが苦手なんですよ」
 結局、天気の話とほとんど変わらないじゃないかと、自分自身に呆れずにはいられなかった。また「そうなんですか?」で終わられては困るので、「沢口さんは?」と尋ねてみた。
「私も寒さより暑さのほうが我慢できるかな」
「じゃあ、俺と同じですね」
「そうですね」
 ここで会話は一度打ち切りとなった。俺が黙っていると、沢口も黙ったままだった。自己PRに書かれていた「大人しい性格」、「人見知りをする」、「引っ張っていって下さる方」という言葉を思い出した。自分のほうから話題を提供するのは、やはり苦手なんだろう。

 モール内にはあらゆる種類の飲食店が軒を連ねていた。パスタ、中華、ハワイアンハンバーガー、寿司、和食、ラーメンなど。沢口が約束の時間に遅れてきたおかげで、ちょうどいい具合に腹が減ってきた。
「沢口さんは何か食べたい物とかありますか?」
「えっと……何でもいいです」
 一応聞いてはみたが、やはり予想通りの答えだった。ここで俺が一緒に悩んでも仕方がないので、混み具合や自分の気分に任せて、ハワイアンバーガーの店に入った。アロハシャツを着た店員がすぐにやってきて、一番奥のテーブル席へと案内してくれた。テーブルの上に開いたメニューを、俺たちは静かに眺めた。種類が豊富というわけでもないので、何を頼むかはすぐに決まった。急かしてはいけないと思い、「決まった」ということは口にせず、そのままメニューから視線を外すことで、それとなく伝えた。沢口は悩んでいるのか、いつまでも顔を上げず、ずっとメニューと睨めっこをしている。彼女が決めるまで話し掛けるわけにもいかず、俺には店内を見回すことくらいしかできなかった。
 時刻も時刻のため、空いていた席がどんどん埋まっていく。手持無沙汰のためか、無意識に腕を組みそうになり、慌ててやめた。威圧的とも受け取られかねない姿勢はまずい。
 いつまでたっても沢口がメニューから目を放さないので、恐る恐る尋ねてみることにした。
「あの……決まりました?」
 そこで沢口がようやく顔を上げた。
「はい」
「もしかして随分前に決まっていました?」
「はい。私はすぐに決まっていたんですけど、春見さんがまだかなと思って」
 沢口の思わぬ答えに椅子からずり落ちそうになった。
 この人、結構天然なのかもしれない。いや、はっきり「決まった」と告げなかった俺が悪いのだ。
 注文を済ませて料理が並ぶまでに、また沈黙の時間が訪れた。
 まず何を話すべきか。紹介状の内容を暗記して、ある程度の話題を用意してきたつもりだったが、出だしから調子が狂いっぱなしで、少々舞い上がっていた。沢口も緊張しているのか、キョロキョロと店内を見回し、落ち着きがない。時折、俺と目が合っても、慌てたように逸らして下を向く。しばらくすると、また辺りを見回す。意図的に視線が重ならぬようにしているのがはっきりとわかった。
「沢口さんは入会してどのくらいですか?」
 そう問いかけると、沢口の視線がようやく俺のほうに定まった。
「三ヶ月です」
「まだ最近なんですね。僕は出会いがないから入会したんですけど、沢口さんもそうですか?」
「私は……親に入会させられて」と、沢口はバツが悪そうに下を向いた。
 女性会員の中には、彼女のように親同伴で入会手続きにやってくる者も多いと、アドバイザーの梅田が言っていた。
「じゃあ、沢口さん自身は、結婚なんてまだ先でいいって思っているんですか?」
「あっ、いいえ。そういうわけでは……」と顔を上げ、両手を振って答えたものの、語尾を濁したまま、その声は消えていった。

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第二回 

赤い糸をたどって

 俺の勤めているのは建築資材の製造や販売をしている会社で、俺自身の職務内容は営業だ。
 今日の午前中は溜まっている伝票や書類の処理に費やして終わった。
 昼食は大抵外食だが、今日のように事務所にいる場合は、コンビニ弁当が多い。エビフライにかじりついた瞬間、ズボンのポケットに入れたケータイが震えた。割り箸を置き、振動を続けるケータイを取り出した。
ブーケトスからのお知らせメールだ。
 本文は『以下の会員様よりお断りの連絡がありました』
 続きにはH子さん、K子さんというそれぞれの仮名と、会員番号が書いてある。先日申し込んだ九人のうちの二人だ。
 お断りのお知らせメールは毎日、午前十一時から午後一時くらいに送られてくる。この時間までに何もない場合、「無事に生き残れた」と胸を撫で下ろすことができる。残念ながら、今日は二人に狙撃された。
 再び割り箸でつまみ上げたエビフライの残りは、心なしか先程より重くなっていた。
「どうしたんですか?」
 突然、声を掛けられたため、そのままの勢いでエビの尻尾までかじりついてしまった。ガリッという心地良い音が聞こえた。香ばしい香りのする温かい緑茶が、声の主の白くて細い手によって机の上に置かれた。
 事務員の若槻留美だ。
「メール、何かショックなことでも書いてあったんですか?」
 心臓が、一瞬大きく膨れた。
 いつから見られていたんだろう。
 漆塗りの盆を抱え込んで、若槻が俺の顔を覗く。細くて小さな目だが、よく見ると奥二重になっている。
「いや、そんなことないよ。どうして?」
「だって、メールを見た途端、ふかーい溜息をついていたもん」
「本当に?」
「はい」と答えて、若槻はクスクスと笑った。
 参ったな。まさか結婚情報センターからのお断りのお知らせだとは言えない。
ブーケトスに登録していることは、彼女だけでなく、会社の連中には内緒だ。それどころか、友達にも言っていない。そういうところに入会しなければ相手を見つけられないことに対してどこか恥ずかしさがあるからだ。もちろん、めでたく結婚が決まった暁には、両親にだけは話すつもりだ。
「申し込んでいた懸賞に外れたんだ」
「なんだ。そんなことですか……ああいうのって当たらない確率のほうが高いんですよね」
 確かにそうだが、これに関してはどうにか一年以内に当たってもらわないと困る。
「また次がありますよ」
「そうだよな」
 若槻の優しい慰めの言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
 婚活は就職活動や受験と似ている。次の面接先や受験校が残っていると、心にゆとりができる。H子さん、K子さんにはフラれたが、まだ七人残っている。

小

 仕事を終えて一人暮らしのマンションに着くのは、午後八時から九時の間が多い。どんな時間に帰ろうと、この一年必ずやってきたことがある。
エントランス部にある集合ポストの中身の確認だ。もちろん、女性会員の紹介状が届いていることへの期待を込めている。
 胸が高鳴り、ダイヤル錠を回す時間が煩わしく感じる。ロックが外れるのを確認し、勢い良く蓋を開いた。
 中身は二つ。一つは三年前にスーツを買った紳士服の店のDM。もう一つは、透明のフィルムの窓が付いた白い封筒。差出人は記入なしだが、俺にはそれがどこから来たのかがわかる。その場で開封してしまいたい気持ちをぐっと堪えて、封筒をスーツの胸ポケットに仕舞った。廊下を早足に歩き、階段は一段飛ばしで二階まで駆け上がった。玄関の鍵を開けて、中へ入り、後ろ手にドアを閉めると同時に、「よし!」と小さく右拳を握った。
 言うまでもない。差出人はブーケトスで、中身は女性会員の紹介状だ。部屋へ上がると、鞄をベッドの上に放り投げて、封筒をハサミで切り開いた。三つ折りにされたピンク色の紹介状で真っ先に確認するのは、やはり写真だ。ショートカットの丸顔、少し大きな目が印象的な女性だ。緊張しているのか、笑ってはいない。
 名前は沢口宏美。
 年齢は三十歳。先日、申し込みしたS子さんだ。改めて写真を見直してみたが、悪くはない。清楚なイメージで、年齢の割には童顔に見える。
 ただし、写真で見る限りだ。紹介状のためにスタジオで撮影をしてもらう者もいるらしいし、何しろ白黒のため、実物と多少の誤差が生じるのは止むを得ない。入会して最初に会った女性は、「他人の写真を使っていませんか?」と尋ねてしまいそうなほど、実物と違っていた。
 沢口の自己PRは、『大人しい性格で、人見知りするほうです。何に対しても慎重で、踏み出すのに時間が掛かるため、引っ張っていって下さる方がいいなと思っています』
 これまでたくさんの女性会員の自己PRを目にしてきたが、「大人しい性格」、「人見知りをする」、「引っ張っていって下さる方」という言葉を本当によく目にする。入会する理由は、出会いがないからが一番だとは思うが、その元を辿ると、積極性の不足であったり、不器用さであったりするのかもしれない。あまりにガンガン攻めてくる女性にも抵抗はあるが、何の意思表示もしてくれないのも困る。ブーケトスには、後者の女性が多いのだろう。
 上から下まで目を通した紹介状はテーブルの上に置き、夕食の準備を始めた。
 もちろん、断るつもりはない。今の時点ではその理由は見当たらない。
 夕食といっても大したものは作らない。タイマーで炊いた白飯と、スーパーで買ってきた揚げ物やサラダなど。今の時間からみっちりと料理を作るつもりはないし、作れる腕もない。
 料理を並べたり、お茶を注ぐ間も、沢口のことをずっと考えていた。
 最後に誰かの紹介状を受け取ったのは、八月の終わり。随分と久しぶりのことのため、気分は高揚していた。
 そそくさと夕食を済ませて、風呂に入る前に沢口に連絡をした。
 どの女性に対しても、ファーストコンタクトは電話よりメールを選ぶ。相手のライフスタイルもまるでわからないし、せっかく電話をしても話せない状況では元も子もない。
 メールを送るのも、ちゃんと時刻を考える。非常識な奴だとは思われたくないからだ。
『はじめまして。ブーケトスの会員、春見大地です。この度はお受け下さり、ありがとうございます。よろしくお願いいたします』
 堅苦しくて、何一つ面白味のない文章だが、出会い系サイトのように相手を引っ掛けるためのメールではなく、俺が春見大地であることが伝わればいいのだから、これで充分だ。
 そのまま二十分ほど沢口からの返事を待っていたが、ケータイが鳴る気配はなかった。そのうち送ってくるだろうと諦めて、風呂に入ることにした。
 浴槽に身を沈め、今後の予定を立てた。
 今日は月曜日。今週はメールのみとしても、来週末には一度会ってみたい。時間は限られているのだから、テンポよく進めるべきだ。
「初めはメル友から」なんて平気で言ってくる者もいる。高い金を払って出会い系サイトと同じ内容では堪らない。
 気持ちが急いてしまっているのか、知らぬ間にいつもより早風呂になっていた。ケータイのライトがピカピカと光り、着信があったことを報せている。
 沢口からのメールだった。
『はじめまして。沢口です。よろしくお願いします』
 以上。
 実にあっさりとしている。受信したのは五分ほど前。今なら返事をしても大丈夫だろう。
『沢口さんはいつも何時頃にお帰りですか? 僕は午後八時から九時の間が多いです』
 メールを送ってもいい時間の確認のためだ。
 今度はすぐに返事があった。
『六時半には帰っています』の一行だけ。
『それ以降ならメールさせてもらっても大丈夫ですか? お休みは土日ですか?』
 これは会える日を確認するためだ。あまりに事務的だが、最初はこんなものだ。飛ばし過ぎると、会ったときに話題に困る。
『土日祝です』
 前半のメールに関する質問には回答なしだ。「春見さんは?」という問いかけもない。仕方がないので自己申告する。
『僕は日祝と、土曜隔週です。近いうちに会うことにしましょう。最初ですから、お昼御飯はいかがですか?』
『そうですね。そうしましょう。今日はもう寝ます』
 一方的に会話を打ち切られてしまった。
 もう寝ると言っても、まだ十時半だ。結構早寝のタイプなのか。それとも偶然、疲れていたのか、体調が悪い日だったのか。あるいは何か気を悪くするようなことを書いてしまったとか……。
 念のため、沢口とやり取りしてメールを読み返してみたが、そんなものはどこにも見当たらなかった。

 翌日以降も時間を見つけて沢口にメールを送ってみたが、毎回、返事は二言、三言で長続きしなかった。送り返して来ないことさえあった。もちろん、沢口のほうから先にメールをしてくることもなかった。
 あまりメールは好きではないらしい。
 このまま今の状態を続けていても無駄な気がしたので、来週末に会うつもりだったところを、今週末に早めてみることにした。もちろん、沢口の予定がどうかまではわからなかったのだが、いざ誘ってみると、『はい。日曜日でいいです』と返事まであっさりとしていた。どこがいいかや何時がいいかを尋ねても、返ってくる答えは容易に想像できたので、俺のほうで全て決めてからメールを送った。
 五分ほどして沢口からの返事が届いた。
『そうしましょう』

▲PageTop

『赤い糸をたどって』 第一回 

赤い糸をたどって

赤糸

『会員期間終了まで残り一年です』
 色鮮やかな桜色を背景に表示されたそのメッセージを見て、思わず深い溜息が出た。僅かな崩れさえない美しいパソコンの文字は、見る者の心情によっては冷たささえ感じる。
 一年前、四十万円という大金をつぎ込んで、結婚情報センター「ブーケトス」に入会した。
「出会いの機会が増えるわけだし、二年もあれば、楽勝。俺に相手が見つからないのは、出会いがないからさ」
 入会する前はそう思っていた。
 実際のところはと言うと、この一年で個人的なやり取りをした女性は十四人。そのうち四人とは実際に会うことができたが、一度きりで次はなく、「いい人なんですけど」でお仕舞いだ。残りの十人はメールを何度か交わしたのみで、会うことなく消滅。
 つまり収穫はゼロ。
 強いて挙げるとすれば、「俺に相手が見つからない原因は、出会いが少ないからではない」と、わかったことが収穫だ。
 のんびりとしている暇はない。今日をさぼれば、残りは三百六十四日になるのだ。
 活動の基本となるのは、今開いているインターネット上のブーケトス会員専用サイト、「マイページ」の利用で、言うまでもないがログインにはパスワードが必要だ。
一番上に『ようこそ! 春見大地さん』とあり、二行目に先程の会員期間の残り日数が表示されている。「歓迎はするけど、大事なことを忘れないでね」と、警告を受けたような気がして、背筋がピンと伸びる。
マイページの主なメニューは「登録情報」、「仮交際中の会員様」、「会員検索」、「パーティ・イベントへの参加」、「有料オプションの申込」、「お問い合わせ」の六つ。
「登録情報」では、文字通り俺自身の情報が確認できる。氏名、年齢、生年月日、住所、電話番号、メールアドレス、学歴、年収、勤務先、免許及び資格、趣味、身長、体重といった基本的なことに加え、離婚歴、子供の有無、子供の好き嫌い、共働きに対する考え方、両親との同居の予定、飲酒及び喫煙の度合い、ギャンブルへの考え方、そして自己PRといった、結婚相手としての判断基準に重要なものが詰め込まれている。
 入会時には戸籍謄本や住民票、最終学歴の卒業証明書、給与明細まで必要で、嘘をつくのが難しい仕組みになっている。なお、会員期間中の情報変更に関しては、同様の書類を再提出する必要がある。ただし、身長、体重や趣味、連絡先、自己PRなど、大抵のものは、マイページ上でも簡単に変更が可能だ。
 メニューの一つ、「会員検索」が活動の肝とも言える機能で、ここから相手探しが始まる。
 画面上に表示された項目を、希望条件に合わせてクリックで選択していく。
「年齢」は二十代後半から三十代後半にチェック。俺自身は三十歳。二十代前半は離れ過ぎだし、結婚を考えるには少々幼過ぎる気がする。三十代後半も歳は離れてしまうが、幼過ぎるよりはずっといい。条件しだいでは許容範囲に入る。
「住まい」は近隣四県。遠距離は、相手も自分も骨が折れることは目に見えているし、長続きしない可能性が高い。時間が限られているため、そういうのは予め避けておく。
「学歴」は高卒以上、ただし、自分より上の大学院卒は外す。
「年収」はゼロから百万円は外して、自分の収入である四百万円までにチェックを入れる。共働きに関する俺の考え方は、子供ができるまでは働いてもらいたいし、その後も必要であれば、働いてくれることを望んでいる。独身の今でさえ働いていないような人にはその辺りを期待できそうにないし、俺より収入が多い人では、結婚前から力関係が決まりそうで嫌だった。
 検索条件で入力できるのはここまでだ。後は個別に確認する形になる。「検索」ボタンをクリックすると、待ち時間およそ五秒で条件に合致する女性会員がアルファベット表記でズラリと並ぶ。
 一度申し込みをした相手は、「申込済」あるいは「お断り」と記されており、二度と申し込めない。点在するお断りの文字を眺めると、自分の敗北ぶりがよくわかる。名誉のために言っておくが、このお断りには俺からのお断りも含まれている。
 まだ唾を付けていない女性会員のプロフィールを一つ一つ順番に確認していく。今の時点でわかるのは、「年齢」、「住所の一部」、「年収」、「趣味」、「身長・体重」、「自己PR」だ。
 身長はやはり自分より低い、百七十センチ以下を選び、体重に関しては身長とのバランスを見る。
 趣味に関してはこだわらない。世間一般を見ていると、同じ趣味を持つ夫婦のほうが少ない気がする。ただし、無趣味の人やちょっと変わった趣味の持ち主は避ける。以前、趣味の欄に『人間観察』と書かれた女性からの申し込みがあったが、丁重にお断りさせてもらった。
 俺が重視するのは、「自己PR」だ。
 
『はじめまして。素敵な人と出会えればいいなと思っています。よろしくお願いします』

 こういう女性にはまず申し込まない。
 真剣さが伝わって来ないからだ。文章を書くのが苦手な者がいることはわかっているし、俺自身も決してうまいわけじゃない。しかし、何度も書き直して自分の思いを一生懸命に伝えようとしたのか、あるいは適当にさらりと流してしまったのかは読めばわかる。生涯を共にする相手へ捧げるメッセージが在り来たりの言葉で綴った二、三行ではあまりにいい加減過ぎる。
 この会員検索機能で致命的なのは、写真を見ることができない点だ。今は文字による情報だけを頼りに「申込」ボタンを押すしかない。
 今月の申し込みは、N子さん(二十八歳)、M子さん(三十二歳)、S子さん(三十歳)、H子さん(二十九歳)、K子さん(三十歳)、A子さん(三十六歳)の六人とした。検索機能で一ヶ月に申し込める最大人数だ。これ以外に、俺の条件に合わせてコンピュータが自動的に選んだ女性を毎月三人ずつ紹介される。つまり合計九人の女性と出会いのチャンスが得られることになる。
 申し込みが受理されると、インターネット上ではわからない登録情報の詳細と白黒の顔写真が印刷された俺の紹介状が、ブーケトスから相手に郵送される。
 そこで気に入られれば、ブーケトスに「お受けいたします」と連絡が入り、今度は俺のほうにその女性の紹介状が送られてくる。ここで初めて相手の連絡先を知ることができる。つまり最初の連絡は申し込んだ者からしかできなくなっているのだ。
 これが「仮交際」の始まりだ。
 逆に気に入られなければ、俺の紹介状はブーケトスに返却され、俺には『お断りされました』という悲しいお知らせがメールで届けられる。
 お断りの手順は仮交際成立以降も同じで、どちらかの紹介状が返却された時点で二人の関係は終了となる。
「もし嫌だと思ったら、わざわざ相手に連絡しなくても、紹介状を返却してくれたらいいから」
 そう言うのは、四十代前半くらいの女性アドバイザーの梅田だ。一応俺の担当ということになっているが、言葉を交わしたのは入会時の時だけで、それ以降は「調子はどう?」の一言もない。アドバイザーによっては親身になって相談に乗ってくれたり、パーティーの無料券をくれたり、相手を紹介してくれたりする者もいるらしい。
 梅田は釣った魚には餌をやらないタイプということだろう。
「黙って紹介状を返却してくれたらいい」と言うが、それまでメールをしたり、会ったりしていた人に、一言もなしにお断りされるのはやはりショックだ。実際、俺も何人かにそれをやられた。
 そういう相手の気持ちも考えられないような人間なら、黙って離婚届を置いて出て行かれる可能性もある。断られて良かったというものだ。
 
こんな台詞、やっぱり負け惜しみにしか聞こえないよな。

▲PageTop

『そしてハートは今一つに』 

忙しい人たちへ(掌編集)

そしてハートは今一つに

 高校生活最後のバレンタインデーに、クラスメイトの大庭君にチョコを渡した。
「ずっと好きでした」と「付き合ってください」の言葉を添えて。
 彼と一言、二言、話すだけで顔が火照る私にとっては、随分勇気のいる行動だった。
 そこまでして思いを告げたのには理由がある。
 私は春から違う街で一人暮らしを始め、そこで大学に通うことになっていたからだ。
 その前に自分の気持ちを伝えておきたかった。バレンタインデーという、背中を押してくれるものがなければ、きっと何もせずに終わっていただろう。
 そんな私の告白に対する大庭君の答えは「考えさせて欲しい」だった。
 
 無理もない。
 私と大庭君は、話をすることはあっても、それほど親しかったわけでもない。
 私が一方的に好きになっただけだ。
 そんな彼のどこに惹かれたのかというと、クラスでは目立たない私を気遣ってくれる優しさだった。
 例えば、クラスで決め事をするときには、「泉は何か意見はないか?」と必ず尋ねてくれた。私はいつも「特にないです」としか答えられなかったけれど……。

 文化祭の打ち上げでカラオケに行って、私にマイクが回って来た時のことだ。
恥ずかしがり屋の私にとって、人前で歌を唄うなんてハードルが高過ぎた。渋る私を男子たちが皆、「唄え」コールで責め立ててきた。「どうしようか」と悩んでいると、私に差し出されたマイクを大庭君が横から奪い取って、人気アイドルの歌を唄い始めた。
それも裏声を使ったアカペラで。
皆が大笑いする中、私だけは目を丸くしていた。
「これで恥ずかしくなくなっただろ?」
 大庭君は笑って私にマイクを差し出した。私は恐る恐るそれを受け取って、好きな歌をリモコンで選んだ。
 緊張で心臓が破裂しそうで、声も手も震えたけど、彼のおかげで最後まで唄うことができた。
 誰一人笑う者はおらず、それどころか「なんだ、上手じゃないか」と拍手をもらえた。
 大庭君はというと、何も言わずに、優しく微笑んでいるだけだった。
 決して「俺のおかげだろ?」なんてところは見せない。
 そんな彼のさりげなさが好きだった。

 三月になると、すぐに卒業式が行われた。
 バレンタインデー以降、大庭君とは何度か言葉を交わす機会はあったけど、告白への返事はもらえなかった。
 自分から尋ねるのも怖かったし、いい結果ならもっと早く返事がもらえるはずだという気がした。
「きっとフラれたんだ」と結論を出して、私は新しい街へと旅立った。

 そして今日はホワイトデー。
 大庭君は誰に対しても優しい人だから、私だけが特別に扱われていたわけじゃないのは知っていた。私はむしろ、彼のそういうところが好きだった。
 きっと私以外からもたくさんチョコをもらったに違いない。
 
 そっか……。
 
 今、ふと気が付いた。
 そんな大庭君がお返しをしないなんてことは考えられない。
 もし私がまだあの街に住んでいたら、今日、お返しをもらえたのかもしれない。
 引っ越しを先に延ばすことだってできたのに、フラれることが怖くて、私は逃げるほうを選んでしまった。
 フラれる覚悟ができていないなら、告白なんてすべきじゃないよね。
 大庭君はきっと怒っているだろうなな。
「せっかくお返し用意したのに」って。
 それとも「アイツ、引っ越ししたんだ。ふーん」で終わりかな。
 今更、何を考えても遅いよね。
「はあ」っと溜め息が零れる。
 気分を変えるために、温かい紅茶でも淹れようかと思っていると、インターホンが鳴った。
 宅配便だった。荷物が来る覚えなどないが、返事をしてしまったので、玄関先まで行く。
「こちらに印鑑をお願いします」と、キャップを被った運転手の男性が荷物を差し出す。両掌に乗るほどの小さな箱だ。
 身に覚えのない物を安易に受け取るのも怖いので、伝票の送り主を確認する。そこに記された名前を見た瞬間、心臓が大きく一つ膨れた。
 大場君からだった。
 そそくさと印鑑を押して荷物を受け取ると、私はすぐにそれを開封した。
 胸の高鳴りはまだ収まらない。
 中にはもう少し小さい、白い包装紙に赤いリボンの付いた箱。
 そしてベージュ色の封筒。
『先にこっちを開けろ』と書いてある。
 手紙だろうか。
 封筒の中に同じベージュ色の便箋が入ってあった。

『返事も聞かずに引っ越してんじゃねえよ』

 決して綺麗とは言えない、崩れた字。
 そう言えば、彼の書く文字をちゃんと見たことはなかった。

『なかなか返事をしなかった俺も悪いよな。
 どうせならホワイトデーのお返しと一緒にって思ってたんだ。
 遅くなってゴメンな』

 住所は私の友達に教えてもらったらしい。
 震える手でリボンをほどき、包装紙を剥がす。
 中身は銀色のハート型のペンダント。
 ただし、片割れ。反対側と引っ付けて一つのハートになるものだ。
 箱の中にも手紙が入っていた。

『俺もずっとお前が好きだった』

 彼に想いを告げたあの日から、私はただこの言葉だけを待ち続けていた。
 嬉しさと安堵の気持ちで、涙が溢れ出る。手の震えはまだ止まらない。
 手紙にはまだ続きがあった。

『そしてハートは今一つに』

 その意味が分からなくて、首を傾げていると、再びインターホンが鳴った。反射的に玄関ドアのほうへ視線を移して、私ははっとした。

(ハートが一つになるって、ひょっとして……)

 ドックン、ドックンと私の胸がまた張り裂けそうになる。

<了>

▲PageTop

『今も君を見ている』 -後編- 

忙しい人たちへ(掌編集)

 翌朝。
 悠真はある駅の改札付近にいた。笹山を待ち伏せするためだ。まどかとの会話の中で、通勤にこの駅を使っていると言っていたのを悠真は聞き逃さなかった。
 十五分ほどして、笹山が小走りでやってきて改札を通った。悠真も後に続く。比較的利用者の少ない路線のため、もみくちゃにされるようなことはないが、やはり車内は混みあっていて、席は空いていなかった。笹山は吊革にだらしなく掴まって、目を閉じていた。  
 これまでの笹山には見られなかった姿だ。
 かつては電車通勤だった悠真には笹山の気持ちがよくわかった。休みの翌朝は特に体がだるくて、吊革にぶら下がってでも眠りたい気分だった。

 笹山の勤め先である『D食品』は、悠真も知っている。
 肉の加工食品を製造・販売する有名な一流企業で、大抵の者が一度くらいはここの商品を口にしたことがあるはずだ。
 給料もさぞかしいいのだろうと、悠真は勝手に想像する。
 笹山の席は都内の営業所の中にある。
 出勤してしばらくすると、笹山は立ち上がり、「朝礼始めます」と辺りを見回した。フロアにいる全員が立ち上がるのを見届けると、一番奥にある行動予定を書き記すホワイトボードの前へと移動した。
「皆さん、おはようございます。昨日の休日はいかがだったでしょうか?私は映画に行って参りました。日頃はレンタル専門のため、家で見るばかりですが、いくら大型テレビが安くなったと言っても、やはりスクリーンには勝てません。女優さんの小皺までくっきり見えました」
 フロア全体が湧く。「サイテー」という女性の声も聞こえるが、それもジョークの一つだ。
「仕事のほうですが、新商品の『気分はドイツウィンナー』がよく売れていると、私の担当店舗で聞いております。M食品さんの『シャッきりウィンナー』に比べると……」
 時折ユーモアを交えながら、笹山は立て板に水の如く、流暢に話す。
 人前で話すのが苦手な悠真には羨ましいことだった。

 小

「笹山さん、今、ちょっといいですか?」
 デスクワークに取り組んでいる笹山のそばに、一人の男がやって来た。年齢は二十代前半だろう。笹山に比べてまだ初々しさがある。
「ああ、野々村か。まあ、ちょっとくらいなら構わないよ」
「実は毎月恒例の、課長提出前の企画書チェックなんですけど……」
「またかよ。面倒臭えな」
 口ではそう言いながらも、笹山は野々村の差し出す書類を受け取る。
「すみませんねえ……僕の上司というわけでもないのに」
「全くだよ」
 笹山は黙ってその書類に目を通し、時折赤ペンで修正を加える。
「まあ、こんなもんかな」
「ありがとうございやす。どうもこれだけは苦手で」
「だいぶマシになって来てるからさ。自信持てよ」
「マジっすか?」
「いや、嘘」
「嘘っすか!」
「ありがとうございやした」と、野々村はもう一度頭を下げて笹山のそばから離れていった。
 どうやら二人は先輩、後輩の関係にあるらしく、笹山の面倒見の良さが伺える。

 小

 悠真は笹山の車に便乗して外回りにも同行したが、取引先でも彼に悪い印象を抱いているような者はいなかった。皆から一様に笑顔で迎え入れられ、帰るときには「ありがとうございました」と、感謝の言葉で送り出された。それが信頼から来るものだというのは、想像に難くない。
 午後六時過ぎに事務所に戻った笹山は、二時間ほどデスクワークをして、その日の業務を終えた。
 このまま真っ直ぐに帰らずにパチンコや飲みに行く可能性もある。ほどほどならいいが、依存しているようでは困る。以前まどかに言い寄った男にもそういう者がいた。
 それ以上に許せないのが、他にも女がいたり、節操なく誰でも誘ったりする男だ。
 地元の駅で降りた笹山は一軒の店に入った。そこはパチンコ屋でもなく、飲み屋でもない。
食品スーパーだった。割引シールの貼られたものを優先的にかごに放り込んでいく姿を見ていると、割りと倹約家であることがわかる。ビジネスバッグの底に、折り畳みのエコバッグを忍ばせていて、ビニール袋代を節約するという男にしてはなかなかの徹底ぶりだ。
 そのまま特に寄り道をすることもなく、笹山はそのスーパーの近くにある三階建てのハイツの一室に入っていった。先ほどの買い物の量を見る限り、誰かと住んでいる様子もない。
 しかしまだ彼の全てがわかったわけではない。

 小

 悠真は翌日以降も笹山の観察を続けたが、これといって問題のある言動はなかった。
 もちろん、多少愚痴をこぼしたり、仕事で失敗したり、だらしない部分があったりしたが、どれもこれも大して気にするほどではない。
 むしろ、そこに人間らしさを感じるくらいだった。
「何かボロが出て欲しい」
 悠真はいつしかそう願っていた。笹山がまどかに相応しい男だとは認めたくなかった。
「彼女が幸せになれるのなら」と思っていたはずが、いざそんな男が現れると、まどかを取られてしまうような気持ちになる。
 まどかを見守っているのは彼女のためではなく、自分のためだった。

 そんな悠真の心情とは裏腹に、まどかと笹山の関係は悪くはなかった。時折メールをするのを見掛けたし、次の日曜日も、二人は会う約束をしていた。面と向かえば、会話も弾んでいるし、お互い相手に対して笑顔で接している。
 ただ、気になるのは、そんな中でまどかがふとした瞬間に見せる憂いの表情だ。何かに怯えているようでもあり、少し寂しげでもある。
 それがなぜなのか。
 直接尋ねられないことが悠真には歯痒かった。

「悠真のことが忘れられないから」

 それが理由であることを、悠真は望んでいた。

 まどかと笹山の二人が会うようになって、三度目の別れ際。
「それじゃ、また」と、車の助手席を降りようとするまどかを笹山が止めた。
「もう少しいいかな?」
 まどかは「はい」と答えて、ドアから手を放し、もう一度前を見て座り直した。悠真はその様子を後部座席に座って見ていた。
「樋口さんとこうして会うのも三回目です。僕という男がどういう人間なのか、少しはわかってくれたと思います」
 まどかは笹山の目を見ながら、黙って頷く。
「でも樋口さんには、もっと僕のことを知って欲しいし、僕も樋口さんのことをもっと知りたい」
 後に続く笹山の言葉を想像して、悠真の胸が高鳴る。
 もちろん、気のせいだ。心臓はもう止まっている。
「だからこれからは恋人として会ってください」
 しばらく静かな時が流れる。まどかは笹山から顔を背けて前を向く。
 その瞬間、ルームミラー越しに悠真と目が合った……ような気がした。
 今までならそう思っていた。
 しかしまどかが見せた、意識的に視線を逸らす姿に、悠真の中である疑問が湧いた。

 もしかして俺の姿が見えているのか。

 やがてまどかが口を開く。
「ゴメンなさい。私、やっぱり笹山さんとはお付き合いできない」
「……やっぱりそうか」
 笹山が溜め息をつく。
「君と何度か食事をしたり、出掛けたりしたけど、どこかよそよそしさを感じていたんだ」
「えっ……」
「僕と打ち解けていないからとか、そういうのじゃなくて、何て言うのかな……誰かに見られるのを警戒している……そんな感じかな」
 まどかの動揺ぶりが悠真にもはっきりとわかる。
 やはり見えていたのか。
「誰か好きな人でもいるの?」
 まどかは俯いたままの姿勢で、なかなか笹山の問いかけに答えようとしなかった。
「もしかして、以前つき合っていた彼のことがまだ忘れられないから?」
 まどかが大きく目を見開く。
「沙耶ちゃんが教えてくれたよ。触れずにおくつもりだったけどね。事故で亡くなったんだよね?」
 まどかは再び下を向く。
「君たちがどんなつき合いをしていたか知っているわけじゃないから、気持ちはわかるなんて言えないけど……だからっていつまでも彼のことを引き摺って生きていくつもりなのかい?」
「それは……」と言ったきり、まどかはそれ以上、言葉を紡げない様子だった。
「ゴメン。答えが出せるわけないよね。でもさ、二度と帰らない人にいつまでも恋い焦がれていても仕方がないんじゃない?」
 笹山の言うことが間違っていないのは、まどかにもよくわかっているはずだ。
「僕の気持ちに対する君の返事がノーだということには変わりないけどね」と、笹山は爽やかに笑った。
 まどかは「本当にゴメンなさい」と、頭を下げて車を降りた。

 自宅近くの公園を歩くまどかの背中はとても寂しげだった。
 悠真は思い切って声を掛ける。
「まどか」
 命を失ったあの日以来、彼女の名を呼ぶのは初めてだった。
 しかしまどかが立ち止まったり、振り返ったりする様子はない。
「まどか」ともう一度呼んでみるが、結果は同じ。
 声は聞こえないのか。それとも聞こえないフリをしているのか。
 隣に並んで歩いても、まどかは悠真の顔を見ようとはしなかった。
 それならばと、前に立ちはだかったが、まどかは避けることさえせずに悠真の体を真正面からすり抜けていった。
 もしかして見えていなかったのか。
 もはや悠真にもわからなくなっていた。

 まどかが家の中へ入っても、悠真は足を止めなかった。いつもなら遠慮するところだが、今日ばかりはまどかのことが気掛かりで仕方がなかったからだ。
 まどかは両親に帰宅を知らせることもなく、二階の自分の部屋に入った。上着だけをハンガーに吊るすると、そのままベッドにうつ伏せで倒れ込んだ。部屋の中は悠真が最後に訪れた時と変わっていなかった。写真くらい飾ってくれているかと思ったが、悠真のものはどこにもなかった。
 ひょっとすると、どこかに大事にしまっているのかもしれない。
 ケータイが鳴る。まどかはノロノロと体を起こして、机の上に置いた鞄からケータイを取り出す。
「もしもし」
 鼻声で電話に出る。よく見ると目が赤い。
「うん、うん」と、相手の言葉に対して頷いている。その応対の仕方から、電話の主が笹山ではないことがわかる。
「違うのよ。本当はその逆よ」
 逆とは何の話だろう。
「沙耶の言うように、私は必死に思い出に変えるようとしているのよ」
 相手は沙耶か。
 思い出に変えようとしているというのは俺のことか。
 まどかの言葉だけを頼りに、悠真は二人の会話の内容を探る。
「でもそうする度に悠真の姿が見えるのよ」
 そうか。ずっと見えていたわけではなかったのか。
「俺を忘れないでくれって言われているみたいに」
 見守っているつもりが、まるで地縛霊のような扱いを受けていたことに、悠真はショックを受ける。
「気のせいなんかじゃない。ハッキリと見えるのよ」
 まどかがまた涙を流し始める。
「悠真のことを考えると、私だけ幸せになってもいいのかって疑問が湧いてきて……好きな人ができても、何だかいけないことをしているような気がして……」
 まどかはそれ以上言葉を続けられなかった。
 悠真は項垂れた姿勢のまま、まどかの部屋を出た。
 文字どおり宙に浮いた自分の存在が、まどかにとってそれほど負担になっているとは思ってもみなかった。追い払うべきは彼女に言い寄る男たちではなく、自分自身だった。
 例え未だに彼女を愛していたとしても、死んでしまった俺に彼女のこれからの人生をどうこう言う資格はない。
 俺の役割は終わった。
 悠真はそう悟った。
 静かに目を閉じると、涙が頬を伝い落ちた。

 小

 翌日、笹山からまどかに「もう一度会って話がしたい」と、連絡があった。
 仕事を終えたまどかは、待ち合わせである駅前に向かった。すでに笹山は待っていた。まどかは昨日のことも含めて「ゴメンなさい」と、まず頭を下げた。
「いや、いいんだ。僕も今来たところだから」
 そう言って、笹山は優しく微笑む。
「それでお話っていうのは?」
「樋口さん、亡くなった前の恋人ってどんな人?」
 笹山の唐突な質問に、まどかは目を丸くした。
「どういうことですか?」
「昨日、僕の夢に見知らぬ男性が出てきてね。『まどかのことを宜しく頼む』って言ったんだ。年齢は僕や君と変わらないくらい。体型は割とガッチリしていて、男らしい顔付きだったよ」
 まどかははっとした。
 やはり悠真は自分のそばにいたのだと再認識する。
「都合のいい解釈だけど、何だかお告げのような気がしてね」
 笹山が少し照れ臭そうに下を向いて笑う。
 もし彼の夢に出た男が本当に悠真なら、死して尚、未だに自分を見守ってくれていたのだろうか。
 そうとは知らず、悠真を地縛霊のように扱っていたことを、まどかは恥ずかしく思った。
「もし樋口さんさえ良ければ、彼が言ったように僕が力になるけど……どうかな?」
「でも私……」
「一度は断ったのに、ってこと?」
「そうです」
「それなら気にすることはないよ。もし腹を立てているなら、こんなふうに誘ったりしないさ」
 本当にいいんだろうか。
 まどかにはまだ迷いの気持ちがあった。
(大丈夫)
 誰かの声が聞こえた気がして、まどかは思わず「えっ」と呟いてしまう。
 目の前に座る笹山の顔に、悠真の顔が重なる。
「大丈夫だよ、彼なら」
「悠真」
「彼は誠実で、絶対にお前を裏切ったりしない。信頼できる人だ。だからこそ俺は彼に頼んだんだよ」
「やっぱり彼の夢にできたのは悠真だったのね。ねえ、図々しいって思われたりしないかな?」
「それはさっき彼の口から聞いただろ?」
「そうだけど……」
「彼の言葉に嘘はないよ。俺が保証する。それとも、まどかは俺も信用できないっていうのか?」
「そんなわけないでしょ」
「だったらこれ以上迷うな」
「悠真、ゴメン。私のこと、ずっと見守ってくれていたのよね?」
 悠真は何も言わず、ただ笑ってそれに応えた。
「まどか、幸せになれよな」
「悠真!」

「……さん、樋口さん」
 自分の名が呼ばれていることに気が付いて、まどかははっと我に返った。
「どうかした?」
 前に座っているのは悠真ではなく、やはり笹山だった。
「いいえ……あの……よろしくお願いします」
 先程話をしたのは、本当に悠真だったのか、それとも自分自身がいい訳をしたくて見た幻なのか。
 まどかにもわからなかった。
 どちらでもいい。
 とにかく信じてみようと思った。
 笹山を。
 そして悠真を。

<了>

▲PageTop

『今も君を見ている』 -前編- 

忙しい人たちへ(掌編集)

今君


 午前七時五十分。
 木目調のアルミドアを開いて、まどかが玄関から出てきた。
 古い住宅街を抜け、郵便局を右手に曲がった後、公園の前を通って駅に向かう。
 普通電車に揺られること、三駅。そこからビル街を十分ほど歩いたところにまどかの勤める会社がある。
 彼女の職務は建築資材メーカーの事務。際立って「よくできる」という訳ではないが、真面目で卒なく仕事をこなすというところで、周りから信頼はされている。二十代後半に差し掛かると、愚痴の増える女性も多いが、その点もまどかは控え目のため、皆からも慕われている。
 スタイルや容姿も比較的良いほうで、何かと言い寄ってくる男も少なくはない。
 悠真にとっては、それが気掛かりだった。自分には何もできないので、せめてまどかにはちゃんとした男を見つけてやりたいと思っていた。
 つい先日も、まどかの会社に出入りするどこかの営業マンが彼女をしつこく食事に誘うので、悠真にしかできない方法で脅してやったのだ。もちろん、事前にその男がどんな人物かを調べた上でのことだ。
 まどかは賢い女性で、くだらない男に引っ掛かるとは思えないが、一方で少し天然なところもある。誰かが見守ってやる必要があると、悠真は思っていた。

 小

 午後七時過ぎ、まどかは帰宅した。
 これもほぼいつも通り。
 彼女が家に入るのを見届ければ、悠真の今日の役目は終わりだ。
 玄関ドアの取っ手を握ろうとしていたまどかが、突然カバンの中を探り始めた。しばらくして彼女が取り出したのは、ケータイだった。
 悠真のいる位置からでは、何を話しているのかはわからない。もちろん、相手が誰かということも。
 まどかがケータイを耳に当てたまま、家の中へと入っていったため、相手が誰かはわからず仕舞いだった。

 小

 日曜日の午後五時半頃、まどかは少々急ぎ足で駅に向かっていた。
 何か予定があるのだろうか。
 悠真も遅れぬように後に続く。
 券売機で五つ向こうの駅の切符を買ったまどかは、改札を通って急行電車に乗った。吊革にぶら下がりながら、しきりに腕時計を見つめている。
 誰かと待ち合わせか。
 電車を降りると、まどかは再び速足で歩き出し、素早く改札を抜けた。キョロキョロと周りを見渡し、しばらくすると、誰かを見つけた様子で手を降り、その相手に駆け寄った。
 向こうも笑顔でそれに応える。
 まどかの高校時代からの友人、沙耶だ。
 二人は軽く挨拶を済ませると、示し合わせていたように、どこかに向かった。十分ほど歩いたところで、一軒の小さな洋食レストランに入った。
 この店には悠真も来たことがある。半熟卵を乗せたハンバーグがうまいのだ。
 女性店員が出てきて、まどかと沙耶を窓際の「予約席」と札の置かれた席へ案内した。悠真も二人の会話が聞こえる位置に行く。
 気になるのは、その席が四人掛けだということだ。混雑することが容易に予想できるこの時間帯に、二人掛けのテーブルを外して、四人掛けのテーブルを予約席に充てるとは思えない。
 他に誰かが来ると考えるのが自然だ。
 沙耶がケータイを手にする。
「少し遅れるって。メールが来てたわ」
「そう」
「何だか浮かない顔ね」
「初めて会う人が相手だから、緊張してるのよ」
「ふーん。でも大丈夫よ。いい人だから。なんと言っても私の彼の友達だもん」
「あら、さりげなくノロケられちゃった」
 二人は顔を見合わせて笑う。
 悠真は沙耶の恋人には会ったことはないが、その友人と言えば、やはり男の可能性が高いだろう。
 悠真は胸がざわつくのを感じた。
 それから五分ほどすると、二人の男がやって来た。
 悠真の予想は当たった。
 まどかの向かいに座っていた沙耶が彼女の隣に移動して、男たちは前に座る形となった。
 まず沙耶が正面に座った男の紹介を始める。
「えっと、一応これが私の彼氏の俊介です」
「一応って……それに『これ』って何だよ」
「コイツのほうが良かった?」
「お前なあ……」
 二人のやり取りに、緊張気味に見えたまどかともう一人の男の表情が和らぐ。
「こちらが私の親友の樋口まどか。ショートヘアがよく似合ってますね」
「ちょっと、何の宣伝よ」
「名前だけだと愛想がないでしょ」
「もっと他にあるでしょ? 性格がいいとか」
「そういうのは自分で言わないの」
「それもそうね……じゃなくて、ゴメンなさい。樋口まどかです。よろしくお願いします」
 まどかが慌てたように、頭を下げる。
 俊介が隣の男を「おい」と肘でつつく。
「自己紹介、自己紹介」
「お前からの紹介はなしか?」
「そのほうが早いだろ」
「えっと、これの友達の……」
「また『これ』扱いかよ!」
 先程と似たようなやり取りに、再び席が沸く。その輪に入れないことを、悠真は歯痒く感じる。
「笹山弘明です」
 痩型で、整った顔立ちをしていて、物腰も柔らか。話し方にも嫌みがなく、第一印象は悪くない。
「恋人募集中です」
「知ってるって!」
 沙耶と俊介、二人から同時にツッコミが入る。
「そのための席だろ」
 やはりそうか。
 再び悠真の胸がざわつく。
 まどかの表情を窺う。
「まだそこまでは」という感じの顔。ただし、悠真が勝手にそう思っただけだ。
 それから四人は、しばらくメニューとにらめっこをしていた。

 注文を済ませると、会話が始まった。
 今回の食事会をセッティングしたのは、沙耶のようだ。「俊介の友達にいい人がいるから会ってみないか」と、まどかを誘ったのだ。最初は乗り気ではなかったまどかだが、沙耶が「是非とも」としつこく食い下がるので渋々了承した。

 笹山が勤めているのは大手食料品メーカーで、彼はそこで営業の仕事をしているらしい。趣味はバイクで、一人でツーリングに行ったりもする。その行き先での出来事を、彼はとても楽しげに話した。
 始めは表情の硬かったまどかも、いつしか笹山の言葉に笑みを浮かべるようになっていた。それは社交辞令や作り笑いではない。本当に楽しいから笑っているのだ。彼女との付き合いの長い悠真にはわかる。
 次第にまどかのほうからも笹山に話題を振ったり、自分のことを話すようになっていた。
 悠真がまどかを見守るようになって二年。
 彼女に言い寄る男はたくさんいたが、相手に対してこんなふうに接しているのは初めて見た。もちろん、親友の恋人の友人ということで安心している部分もあるかもしれないが、決してそれだけではないだろう。
 その様子を見ながら、悠真は一人苛立っていた。
 どんなに頑張っても、彼には二人の間に割って入ることができない。だからこそ余計にイライラする。

 二時間ほど話して、四人は店を出た。
 もちろん、悠真もだ。
 ただし、まどかたちと一緒に行動というわけにはいかず、ただ後ろを付いていくだけだ。
「帰る方向が逆だから」ということで、四人は駅で解散になり、男二人と女二人に別れることになった。
 当然、悠真はまどかたちのほうへ行く。

 日曜日の午後九時前ということもあって、乗客は少なかった。
 席に座ると、沙耶が「笹山さんの印象はどうだった?」と、まどかに尋ねた。
「そうね。悪くはなかったわ」
「じゃあ、良くもなかったの?」
「ゴメン……そうじゃないけど」
「けど……何?」
「付き合うことが前提みたいなのが嫌なだけ」
「そこまでハッキリとは言ってないけどね」
「でも彼はそのつもりだったでしょ?」
「確かにまどかを気に入っていたみたいね」
「困ったな」
「いいじゃない。さっき悪くはないって言っていたし、もう少し様子を見たら? 私の顔を立てるつもりでさ」
「うん……そのつもりなんだけど……」
「また『けど』か。どうにも歯切れが悪いわね」
 沙耶にそう言われて、まどかは下を向く。
「あんた、まだ悠真君のことを引き摺っているんでしょ」
 まどかが大きく目を見開く。そして悠真の心臓も大きく膨れる。
「……そんなことないわよ」
「あのね、私が笹山さんの紹介を頼んだのは、そんなあんたが心配だからよ」
 沙耶が大袈裟に溜め息をつく。
「もういい加減思い出に変えなきゃダメ。彼が亡くなってもうすぐ二年なんだから」

 小

 およそ二年前のあの日、飲酒運転の車が街中で暴走し、歩行者数人が重症、死亡した。
 そのうち一人が悠真だった。
 葬儀も納骨も済み、本来ならばすでに成仏しているはずが、未練を断ち切ることができてない悠真は、未だに現世を彷徨っていた。
 その未練とは、まどかのこと。
 別れを惜しむ暇さえない突然の別れだったため、まどかのショックも大きかった。その上事故の原因が加害者の過失となれば、やりきれない気持ちでいっぱいだった。
 悲しみに打ちひしがれ、塞ぎ込むまどかの姿を見ると、悠真は死んでも死に切れなかった。まどかがどう思っていたかはわからないが、彼は彼女との結婚も考えていた。自分にはどう頑張っても、もうまどかを幸せにはしてやれない。それならば、せめて「彼女に相応しい男を見つけてやろう」と、悠真は決めたのだ。あらゆる場所を自由に、見つからずに行き来できる彼にとっては、誰かの素性を知ることなど容易いことだった。
 もちろん、笹山のことも調べるつもりだ。ただし、まどかが笹山を気に入って入ればの話だが……。

 駅から自宅へと向かう道。
 まどかの足取りはどこか重たげに見えた。
 沙耶とも話していたように、笹山のことがあまり気に入らなかったのか。
 ただ、あの店で見たまどかの様子からして、それほど悪く思っているようには感じなかった。
 さすがの悠真にも心の中まで見透かすことはできなかった。
 まどかがふと立ち止まって、鞄からケータイを取り出す。
 静かに画面を見つめる。
 メールらしい。
 本文を読みたくて、悠真はそっとまどかのそばに近づいたが、まどかは返信もせずにメールを閉じてしまった。
 いくら元恋人とはいえ、これはやり過ぎだったなと、悠真は反省する。
 まどかが再び歩き出す。
 玄関の前にたどり着くと、まどかが後ろを振り返った。
 悠真と目が合った。
 もちろん、悠真の気のせいだろう。
 その証拠に、まどかは何事もなかったかのように中へ入っていった。
 悠真は決して家の中まで追っていくことはしない。その気になれば、中に入るのは容易いことだが、さすがにそこまではしなかった。いくら元恋人とは言え、越えてはいけない境界線はある。

 小

 翌週の日曜日の午後一時過ぎ。
 まどかはまた駅への道を歩いていた。前回とは違い、足取りもどこか落ち着いている。ただ、表情が少し硬い。
 ひょっとすると、あの笹山という男と待ち合わせなんだろうか。
 悠真は勝手にそう予想して、まどかの後に続く。

 この前と同じ駅で降りたまどかは、改札の正面にある大きな丸柱の前に立ち、腕時計で時間を確認した。
 相変わらず表情は硬い。
 五分ほどして男が一人、まどかのそばにやって来た。
「お待たせしました」
 爽やかな笑顔を見せたのは、やはり笹山だった。
「私も今来たところです」と、まどかはやや緊張気味の面持ちで応える。
 一言、二言交わしてから、二人は歩き始めた。会話が聞こえる程度の距離を保ちながら、悠真はその後を追う。
「いきなり映画なんかに誘ってしまってすみません。やっぱり最初は食事くらいにしておけば良かったかなと少し後悔していました」
 笹山はそう言って頭を掻く。
「私、映画は好きなほうなので大丈夫です」
 悠真とまどかの初デートも映画だった。二人は同僚で、休憩時間に話題になった映画を一緒に見に行ったのだ。
「実はあまり面白くなかった」と、悠真が話したのは二人が付き合うようになってからだ。

 チケットを買って、笹山とまどかは映画館に入った。もちろん、悠真はフリーパスだ。
 シートは真ん中の列の右端の通路側。悠真もそのそばに立つ。座らなくても決して疲れはしない。
 悠真がこんなことをするのは、笹山が暗闇であるのを利用してまどかに何かしないかを見張るためだ。

 小

 悠真の心配をよそに、何事もなく映画は終わった。
 映画館から出た二人は近くのカフェに入った。注文を済ませると、笹山のほうから話し始めた。
「意外な結末でしたね」
「そうですね。まさかあのカメラマンの見習いがおやっさんの息子だとは全然想像がつかなかったです」
「僕、ああいう大どんでん返しがとても好きなんです」
「私もです。やられた! って思う瞬間が悔しいけど、楽しいんです」
「えー、あの人あんなに優しいいい人だったのに! みたいな?」
「そうそう」
 二人の会話が弾むのを見ていると、悠真は胸が痛んだ。
 いや、何を言っている。彼女か幸せになればそれでいい。そう思っていたはずじゃないのか。
 悠真は自分の気持ちを否定するように、首を横に振った。

 そのカフェで一時間ほど話して、まどかと笹山は別れた。
 終始笑顔を絶やさなかったまどかは、「また会ってくれますか?」という笹山の問いかけにも、迷う様子もなく、「はい」と答えていた。
 ところが一人になってしばらくすると、突然、表情が憂いを含んだものへと変わった。
 なぜだろう。
 ひょっとすると、沙耶が言っていたように、まだ俺を忘れられない気持ちがあるのだろうか。
 ちゃんとした答えは悠真にもわからなかった。

<後編に続く>

▲PageTop

『その日、特急電車の中で』 

忙しい人たちへ(掌編集)

<2017年バレンタイン特別企画作品>

 地元へと帰る特急電車の中、望の前のシートに座る若い女が突然、泣いた。
 泣くというと、語弊があるかもしれない。どちらかと言えば、涙を流し始めたという表現のほうが相応しい。激しく嗚咽するわけでもなく、顔を歪めるわけでもない。ただ静かに、視線を窓の外に向け、寂しげな表情で頬を濡らしている。
 見ず知らずの相手だ。放っておけばいい。
 望はそう考えて、雑誌の続きを読み始めた。
 女は二つ前の駅で、この電車に乗ってきた。空席はあるが、全車両座席指定のため、他の席には座れない。わざわざ望の前に座ったわけではない。
 年齢は、望と同じ二十代後半くらいだろう。細身で色が白く、肩の辺りで切り揃えられた黒髪は艶やかで美しい。手入れがよく行き届いているのがわかる。膝の上で両手を重ね合わせ、シートに遠慮がちに腰を掛けている姿から、彼女の育ちの良さがうかがい知れる。  
 ただし、表情は凛としており、何も知らない、何もできないお嬢様というわけではなさそうだ。
 女がいつまで経っても涙を拭うことさえしないため、さすがに望も知らぬふりを通せなくなってきた。
 だからといって、詳しい事情を尋ねるのも気が引けた。
 望は上着のポケットに入れてあったハンカチを、女にそっと差し出した。
 女が目を丸くした。
「いつまでもメソメソされていたら困る」
「どういうこと?」
「とにかく涙を拭けよ」
 女は「えっ?」と漏らして、人差し指で両方の目元を拭った。
「もしかして私、泣いてる?」
「少なくとも俺にはそう見えるよ」
「まさかね」と女は微笑み、望のハンカチを受け取った。
「せっかくだから使わせてもらおうかしら? きちんとアイロンがけされているみたいだし」
「失礼な奴だな」と、望は苦笑した。女はハンカチで、左右の目を優しく拭った。
「自分で泣いていることに気が付かなかったのか?」
 女が「そうね」と頷いた。
「私ね、さっき彼と別れてきたばかりなのよ。遠距離だったし、何となく予感はしていたから、悲しくなんてない。そう思っていた」
「それなのに泣いていた。だから『まさかね』か」
「そういうこと」と言って、女はハンカチを望に返す。
「ありがとう。これ、誰かからの借り物?」
「なぜわかった?」
「隅にバラの刺繍が入っているから。あなたの趣味には思えなくて」
 なるほどなと、望は笑みをこぼした。実に簡単な答だ。
「でも、もう返す必要はないんだ」
「どういうこと?」
「いや、気にしないでくれ。それより少しは落ち着いたか?」
「うん。あなたのおかげね」
「それなら良かった」
「ありがとう。ねえ、あなたはどこへ向かうの? 旅行中か何か?」
「いや、家に帰るところだ」
「どこまで?」
「三十二地区」
「私は十七地区。先に降りるのは、あなたってわけね。帰りってことはどこかへ行っていたのよね?」
 望が降りる駅に到着するのには、まだ時間が掛かる。駅で買った雑誌も大したことは載っていなかったし、女がどこか話したげな雰囲気だったので、望はそれに付き合うことにした。
「俺も恋人に会いに行っていたんだ」
「じゃあ、私と同じで遠距離なんだ。ねえ、どんな人?」
「しっかり者と言えば聞こえがいいが、男勝りで気が強すぎるくらいだな」
「あなたってそういう人が好みなの?」
「好みというわけじゃないけど、涙を武器にするよりずっとマシさ」
「それは言えてるかもね」
「ただ、ときには女性らしい弱さも見せて欲しいな」
「なぜ?」
「男の存在意義がなくなるからさ」
「なるほどね」と、女は上品にクスクス笑った。
「君はどんな男性が、あっ、悪い」
 望は慌てて口を噤んだ。
「いいのよ。気にしないで……好みのタイプというより、判断基準で言えば、いざって時にどれだけ頼れるか、かな」
「やるときはやる男か……でもさ、いざってときはそんなにあるものじゃないだろ?」
「そうね。日頃は優しい。それだけでいい。多くは望まない」
「謙虚だな」
「外見は別だけどね」と付け足して、女は微笑む。
「そこはこだわるほう?」
「多少は。だって見た目は悪いよりいいに越したことはないでしょ?」
「まあ、そうだな」
「でもストライクゾーンは広目にしているつもり。そこまで若くはないしね」
 そうは言うが、それほど歳をとっているようには見えない。
「今、いくつ?」
「へえ、女性にそういうの聞ける人なんだ」
 女の口調は少し意地悪そうなものだったが、望は気にも留めなかなった。
「別に聞かれて困るような歳にも見えないし、後で気まずくなるような間柄でもないしな」
「それもそうね」
「二十六、その辺りだろ?」
「やったわ。二つも若く見られちゃった」
 女は機嫌良く笑った。本当はそのくらいだろうとわかっていたが、望はわざと若く言ってみたのだ。
「俺も二十八だ」
「奇遇ね。同じ歳だなんて」
「もしかしたら運命かもな」
 望が真剣な眼差しでそう言うと、女もそれに応えた。静かな時間が流れる。本来なら聞こえてくるはずの電車の走行音も、周りの人間の会話も、二人の耳には届かなくなっていた。

 運命。

 望自身も冗談で言ったつもりの言葉だったが、なぜか妙な真実味を感じた。理由はわからない。
 答えを模索しようとすると、女がそれを打ち消した。
「いつもそうやって女性を口説いているの?」
 思い過ごしだ。
 感傷的になっている自分に気がついて、望は苦笑した。
「いや、ちょっとした冗談だよ。たまたま乗り合わせた相手が同じ歳だったってだけじゃ運命にならないか」
「そうね。そんなことじゃ女性の心は動かないわよ」
「だよな」
 そう言いながらも、望の胸は高鳴っていた。
「あなた、生まれも三十二地区?」
 そんなふうに女が話題を変えたが、どこか取って付けたような違和感を、望は感じた。
「いや、生まれは四十地区」
「そういうことか」
「何がだ?」
「今の恋人と知り合ったのは四十地区だけど、あなたが転勤か何かで三十二地区に引っ越して遠距離恋愛になった。そんなことを勝手に推測したんだけど、どう?」
「当たりだな」
「やっぱりね」
 女はしてやったりという顔をした。
「君は生まれも育ちも十七地区?」
「いいえ。私はあなたと逆。三十二地区で生まれ育って、就職を機に十七地区に住み始めたわ」
「そして遠距離恋愛?」
「そうよ」
 先程の予測が容易だったわけを知り、望は笑った。
「要するに、お互い似たような境遇というわけか」
「みたいね」と、女も笑った。
「どの辺りに住んでいたの?」
 女の言った場所は、望の住むところからは随分と離れていた。
 地区と一口に言っても、その範囲は広い。「同じ地区に住んでいるからご近所さん」というわけにはいかないのだ。しかし多少は話が合うのも確かで、その後は地元の話で盛り上がった。

「そうそう。良かったらチョコレート食べない?」
「チョコレート?」
 女の突然の申し出に望は目を丸くした。
「今日はバレンタインでしょ?」
「そういや、そうだな」と、望は知っていたのに忘れていたふりをする。
「せっかく用意していたのに、渡すこともなくなっちゃった。ひどい男よね。わざわざバレンタインデーに別れようなんて……捨てるのも勿体ないし、そのまま誰かにあげるのも失礼だし」
 望は了承したわけではないが、女はすでに鞄を探り始めていた。
「一緒に食べるならいいだろってことか?」
「そう。つき合ってくれる? あっ、あった!」
 女が取り出したのは掌より少し大きい、赤いリボンのついた白い包みの箱だった。
「いいよ。チョコは嫌いじゃないしな」
 箱の中には一口サイズのチョコレートが四つ。仕切りで分けられて並んでいる。たったこれっぽっちだが、決して安いものではないことが、望には察しがついた。
「不公平のないように、二つずつね」
「お先にどうぞ」と、女が望のほうへ箱を差し出す。望はその言葉に従い、一つを箱から取り出した。続けて女がチョコレートを手にする。それから二人揃って、口に運ぶ。
「美味しい」と、女が子供のように目尻を下げる。
「でも少し苦味があるわね」
「それは失恋の味だな。きっと」
「そうかしら?」
「ああ。俺にも同じ味がするから間違いない」
「えっ……」
 女が首を傾げるのを見て、望はふっと笑い、二つ目のチョコレートを頬張った。
 車内アナウンスが三十二地区への到着を告げ、電車が減速を始めた。
 望は立ち上がって、シート上部に設置されたトランクスペースから鞄を取り出した。キャスターの付いたもので、二、三日程度の旅行の荷物なら充分入る大きさだ。
「彼女の部屋に泊めてもらうつもりで、準備してきたんだが、全部無駄になった」
 望は自嘲気味に笑った。
「もしかして……」
「俺もフラれたんだ」
「そうだったの」
「どんなに気が強くてしっかり者でも、寂しさには勝てなかったらしい。好きな人ができたってさ」
「なるほど。あなたはチョコをもらい損ねたほうだったわけね」
「結構キツいな」
「歳を聞いたお返しよ」
 再び出た悪意のない女の意地悪に望は笑う。
「それにしても、こんなふうにしてフラれた二人が向かい合わせに座るなんて、やっぱり運命かもな」
 先程と似たような望の言葉に、女がクスクスと笑う。
「言ったでしょ? そんなことじゃ女性の心は動かないって」
「やっぱりダメか」
「でも……」と、女が優しく微笑む。
「さっきよりは可能性はあるかもね」
 その言葉に、望も少しだけ笑って応える。
 電車が駅に到着した。
「それじゃ、また」
 望が軽く手を挙げると、女は「うん」と頷く。
 望は鞄を抱えて車両の隅にある出入口に向かった。ホームへ出る前に振り返ってみると、女が小さく手を振っていた。望はもう一度手を挙げて、別れの合図を送った。
 望が降りると、電車はすぐにホームを出ていった。
 望の脳裏を彼女の笑顔が横切る。
 そこで望はふと思い出す。
 自分自身が別れ際、彼女に言った言葉を。

『それじゃ、また』

 確かにそう言った。
 しかしまるで無意識だった。
 もう一度会うことを望んでいるからか。
 それならば、連絡先を聞く必要があるはずだ。だが聞こうとはしなかった。
 女も同じだ。
 なぜ望の言葉に対して、何の否定もなしに「うん」と応えたのか。
 特別なことをせずともまた会える気がしていたのか。
 理由も、根拠もない。
 もし何かしらの言葉でその予感を表現するなら、「それが運命だから」かもしれない。

<了>

▲PageTop

『果てへ』 -後編- 

忙しい人たちへ(掌編集)

 胸の辺りをそっと撫でてみる。
 致命的とも言える場所を二度続けて撃たれたにも関わらず、俺は生きている。それどころか傷一つ付いていない。仲間たちが無事だというのも、嘘ではないのだろう。
「やはりあの城は『果て』に通じていたんだな」
「いや」と、男は首を横に振る。
「あの城は無関係だ」
「どういうことだ?」
「口で説明するよりその目で確かめたほうがよかろう。来たまえ」
 男が先に部屋の外へ出たので、俺もベッドから降りて立ち上がった。体の痛みは当然のことながら、ふらつきなどもなかった。
 廊下は水平型エスカレーターで、壁と天井は部屋と同じ銀色だった。窓はないが、所々にドアはある。その様相はまるで、どこかの基地を彷彿とさせる。
 しばらく行ったところでエスカレーターが停止した。壁の一部が消え、向こう側に通路が現れた。
「ここからは歩いていくことになる。それほど遠くはないがな」
 先に足を踏み入れた男に、俺も続く。
 いったいどこへ向かうのか。
 何を見せられるのか。
 まるで想像がつかなかった。
「麒麟よ。ここから外を見てみるがいい」
 男が顎をしゃくって、そばにある縦長の大きな窓を示す。
 俺は窓にそっと近付く。胸が高鳴っている。
 男の言う通りにしてみたが、何てことはない。
「夜空が見えるだけだ」
「夜空か」
 男がフッと笑う。
「宇宙だよ。君が見ているのは」
「宇宙! どういうことだ!」
「君は船の中にいる」
「船? 俺をどこへ連れて行くつもりなんだ! 答えろ!」
「答えてやるさ。しかしその前にもう一つ見せるものがある」
 男が再び歩き始める。
 一刻も早く真相を知りたい俺にとって、男の落ち着いた対応は腹立たしいものだった。しかしこの理解し難い状況では、奴に従うしか手はなかった。途中、いくつかの窓があり、その度に外へと視線を送ってみたが、やはり見えるものは同じ。暗闇とその中にある無数の星の光。
「ここだ」
 男が再び足を止める。目の前のオートドアが開く。
「この中に全てがある」

『全てを望む者よ。目指せ、果てを』

 まるで呪文のように、繰り返し耳にしてきた言葉が甦る。
 中に入ってすぐ左側が一面ガラス張りのショーケースのようになっていた。ケースと言っても、とてつもなく広い。隅から隅まで視線を巡らせるには、それなりの時間が必要だ。 そこに無数の白い箱が並んでいる。ここからでは素材が何なのかはわからない。
「あの箱は何だ? まるで棺のように見えるが……」
「棺か……いずれはそうなるかもしれんな」
「どういうことだ?」
「コールドスリープ(冷凍睡眠)用のカプセルだ」
「ということは、あの箱の中身は人間なのか?」
「そう。皆、あそこで眠っている」
 今、この目で見ていることがいったい何を意味するのか。俺には未だ検討がつかなかった。
 男が反対側にある、モニターの付いた操作盤に触れる。
 ガラスの向こう側、天井に設置されたレール式のクレーンが動き始める。左端のカプセルの上まで移動したクレーンは、先に付いたハンドマニピューレータでそれを掴んで持ち上げた。
 再び動き出したクレーンは、カプセルを俺の位置から見えない場所へと運んでいった。
 しばらくして、操作盤の左横にあるオートドアが開いた。中には、先程のクレーンが運んできたと思われるカプセルが置かれている。
 男がカプセルの右側面に付いたボタンを押すと、蓋の一部が白からクリアに変わった。
「そこから眠っている者の顔がわかる。見てみろ」
 いったい誰なんだ。
 仲間のうちの一人か。
 もしそうなら、なぜ俺はカプセルに入れられなかったのか。
 この船はどこに向かっているのか。
 男の狙いは何なのか。
 激しく収縮と膨張を繰り返す心臓の動きを感じながら、俺はカプセルにそっと近付いた。クリアに変わった部分から、その者の顔を見た瞬間、全身の血の気が引いた。
「こっ、これは……俺!」
「そう。君だよ、麒麟」
「馬鹿な! ここに眠っているのが俺なら、あんたと話している俺は誰なんだ?」
「落ち着きたまえ、麒麟。今から順を追って説明する」
 男が俺の肩を軽く叩く。
「この船は第二の地球を探して、コンピュータによって運航されている」
「第二の地球? どういうことだ?」
 男が険しい顔をして、スッと手を上げる。
「私が何か言う度に『どういうことだ』と聞くのはやめてくれ。話が先に進まなくなるのでな」
 確かに男が言うように一言、二言で済むような話とは思えない。今は聞くしかなさそうだ。
「すまない。続けてくれ」
「うむ」と、男は頷く。
「麒麟、君は当然覚えているだろうな? 人類が異星人から地球を守ったあの日のことを」
「もちろんだ。人類にとって名誉ある日だからな」
 赤く染まった夕焼け空をバックに、奴らの船が一斉に引き上げていったのを、俺は鮮明に覚えている。
「それが作られた歴史だとしても?」
「作られた歴史? どう……」
 また「どういうことだ」と言ってしまいそうになり、慌てて口をつぐむ。
「人類は異星人との戦争に負けたのだよ」
「嘘だ!」
「嘘ではない。あの日以降、お前の知っている日常は全てコンピュータによって作り出されたものだ。カプセルで眠る君たちが見ている夢だ。今、こうして私と話しているのも、その一部だ」
 今日までの記憶が甦る。
 勝利の美酒に酔いながらも、多大な犠牲に悲しみの涙を流した。失ったものを取り戻そうと、復興に全力を注ぎ、耐え難きを耐え凌いだ。
 それが全て虚構だったというのか。
「絶滅の危機に陥った人類は、地球を捨て、新しい星への移住を決定した。この船に乗ってな。ただし、未開の星で新たな生活基盤を築くにはそれなりの設備がいる。それを積み込むためのスペースを考慮すれば、生き残った者全てを乗せてというわけにはいかなかった」
「つまり残りは見捨てて来たわけか」
「そう睨むなよ。誰もが辛い決断だったのだからな」
「……それで……このカプセルで眠っているのが運良く船に乗れた連中か?」
「そう。君もそのうちの一人だがな」
「人選の基準は?」
「科学者と技術者、医療関係の人間を優先した。まあ、大抵のことはアンドロイドでもできる。それほど大勢はいらない。他には若い女の比率は少し高くなっている」
「アンドロイドに子供は産めないもんな」
「そういうことだ」
「俺が選ばれた理由は?」
「サバイバル能力の高さ。先の戦争でそれが証明された」
「第二の地球でも戦争をやらされるのか?」
 皮肉の一つも言わずにはいられない。
「私にも『それはない』と言ってやりたい気持ちはあるが、保証はできない」
「俺の仲間はこの船に乗っているのか?」
「いや、残念だが誰も乗っていない」
「くそっ!」
「悪く思うな。確かに基準は先程話した通りだが、それ以上はあくまで無作為に選ばれた者だ。君以外の誰かが乗る可能性もあった」
 安ホテルの一室で騒いでいた時間が妙に懐かしく、そして愛おしく思える。ただし、それも夢の一部だ。
「肉体を保存するためのコールドスリープだというのはわかるが、なぜ夢を見せる必要がある?」
「適度に刺激を与えておかなければ、脳が完全に眠ってしまい、永久に目を覚まさなくなる」
「そういうことか……しかし『果て』の情報に関しては、少々刺激が強過ぎたようだな。こんな真実が隠されているとは、文字通り夢にも見なかっただろうな」
 俺としては、軽い冗談のつもりだったのだが、男にとってはそうでもなかったらしく、再び険しい顔をした。
「『果て』の噂は、この船のコンピュータが作り出したものではない」
「何? 違うのか?」
「カプセルを保管しているここは、エリアゼロと名付けられ、君たちが見ている夢の中では存在しないエリアのはずだった」
 男の言うように、エリアナンバーの始まりは1からで、ゼロはない。
「平和な暮らしをしているはずの自分たちが、実は異星人との戦争に敗れ、新しい棲家を探して宇宙をさまよっていると知ってみろ、いくらコールドスリープ中の夢とは言え、精神に支障をきたす者が出る」
「俺たちのような『果て』の正体を知ろうとする連中が一斉に押し寄せてきたら、それこそパニックだな。治安維持部隊や警備隊が躍起になるのも無理はない」
「そういうことだ」
「そんな重要機密を漏らしたのはいったい誰なんだ? 『果て』という呼び名やあの相言葉もそいつが作り出したものなんだろ?」
「異星人だよ」
「異星人?」
「この船は強力な防御シールドを張り巡らせている。重火器は常に警戒態勢にあり、接近する敵に対して即座に迎撃が可能だ。また損傷部分が発生した場合は直ちに修復される。つまり直接的な攻撃に対しては万全だと言える。問題は間接的な攻撃に対してだ」
「間接的な攻撃とは何のことだ?」
「ウィルスだ」
「ウィルス……コンピュータウィルスか?」
「そう。武器を開発して生産するのに比べれば、ウィルスは遥かに短時間での生成が可能だ。いくら駆除をして対策を立ててもも、またすぐにセキュリティの脆弱性を突く新種が作られる。こればかりはイタチごっこでキリがない」
「今こうしているうちにも新しいウィルスが作られているかもしれないということか」
「その通り。今回のウィルスは拡散力が高いうえに、本来ならばこの船のコンピュータのみが管理できるはずの夢でさえ自在に操られてしまう厄介なものだった。まあ、それもどうにか片付きそうだ」
 男の言葉を聞き、安堵の息を漏らした。
「安心するのは早いぞ。麒麟」
 胸の内を見透かされてしまったようで、少し動揺する。
「第二の地球、かつての地球によく似た環境のものを探すのは、それほど容易いことではない。途方もない旅になるだろうな」
「ひょっとしたらカプセルの中で眠ったまま、永久に宇宙を彷徨うことだってあり得るわけか」
「そうなるな」
「さっきは運良くなんて言ったが、そうとも限らないようだな」
 自らの境遇に苦笑せざるを得なかった。
「ところで、なぜ俺に真実を話した? 精神に異常をきたすかもしれないはずだろ?」
 男が「はっはっはっ」と、わざとらしく笑う。
「君はそれほどヤワではあるまい」
「サバイバル能力の高さを評価されたんだもんな」
「それだけではない。『果て』の正体を追って、実際にここまでたどり着けたのは、君とその仲間たちだけだ。ご褒美だと思ってくれ。 他は皆、途中で挫折したり、治安維持部隊や警備隊に捕まったりしている。命を落とした者もいる」
「俺の仲間も……天馬も死んだ。ただ、それも随分前のことだったんだな。鯱、飛龍、そして大蛇も」
 俺の口調が感傷的だったのか、男は神妙な顔で頷いた。
「彼らをここに呼べないのが残念だよ」
「『お前たちは死んでいる』とは言えないもんな」
「うむ」
「ところで、あんたはいったい誰なんだ? 俺の記憶にはない顔だが……」
 男がニヤリと笑う。
「私は誰でもない。コンピュータの映し出す幻影。姿も、名前もない。役割を終えれば消えていく運命だ」
 当然のことだが、悲しみの表情など浮かべない。
「しかし、第二の地球探しという大事な役割が残っている」
「そうだな」と、男は少しだけ笑う。
「さあ、麒麟よ。帰るがいい。終わりの見えぬ眠りの世界へ」
 男がそう言った瞬間、目の前が闇に遮られた。まるで映画や芝居の終わりを告げる幕のように。

 小

「起きろ、麒麟」
 誰かが俺を呼んでいる。
 それは俺のよく知っている声。
 すぐにでも目を開きたい気持ちはあるが、なぜだか瞼が重たい。
「起きろって! 仕事の時間だぞ」
 声の主に体を激しく揺すられて、俺はようやく目を覚ました。
 窓から入ってくる朝日が眩しくて、また目を閉じてしまいそうになる。
「どうした? 体の調子でも悪いのか?」
 心配そうな目で俺を見るのは、仲間の鯱だ。
「いや、大丈夫だ」
「それならいいがな。早いところ、支度を済ませろよ。大蛇も天馬も随分前から外で待ってるぞ」
 そう言えば、微かにバイクのエンジン音が聞こえる。
「飛龍は?」
「アイツは先に行くってさ」
「冷たい奴だな」
「それがさ、今日の解体現場近くに上手い肉を食わせる店があるらしいって教えてやったんだ。しかも遺伝子組み換えの牛肉じゃなく、百パーセント天然物だ。一日に店が出す量も決まっている。競争率は高い」
「もしかして並びに行ったのか?」
「正解」
「しかしそんな肉なら安くはないだろう?」
 鯱の口から具体的な金額を聞いて、俺は溜息をついた。
「今日の稼ぎがパーだな」

 支度を終えて、家の外に出る。大蛇と天馬に「悪い」と詫びを言ってバイクに跨がった。キーを差し込んみ、電子ロックを解除すると、自動的に出力が上がる。
 進行方向に視線を写す。目の前に広がるのは、荒れ果てた街の姿。どうにか異星人を追い払ったとはいえ、やはり戦争が残した 傷痕は深い。
 そんな風景の中に、ポツンと違和感のある物が一つ。
 髪の毛を後ろに撫で付けた黒いスーツ姿の男。
 このご時世にあんな格好をしているのは政府の人間か、戦争で儲けた成金か。どちらにせよ、いけ好かない連中だ。
男がこちらに向かって歩いてくる。
 妙な緊張感が漂よう中、視線がぶつかり合った。
 男は目を反らさなかった。だからといって立ち止まって声を掛けてくる素振りも見せなかない。
 ピリピリとした空気を感じ、いつでも何かしらの行動を起こせる覚悟を決めていた。
 しかし結局、何も起きなかった。
 男は終始一定のペースで歩き、俺の横を通り過ぎていった。
「おい、麒麟。急ごうぜ」
 大蛇の言葉で我に返る。
「ああ、そうだったな」
 始めに大蛇、続いて鯱、天馬と、順にバイクを走らせ始めた。三人の姿が徐々に小さくなる。
「さて、行くか」
 自らを鼓舞するために、そんな言葉を呟いてみる。
 今の時代には必要なことだ。
 先程の男のことが気になり、後ろを振り返ってみたが、その姿はどこにもなかった。
 隠れる場所などどこにもない。そして必要もない。
 どうやら俺は幻を見たらしい。

<了>

人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログへ

▲PageTop

『果てへ』 -前編- 

忙しい人たちへ(掌編集)

「起きろ。麒麟(きりん)」
 誰かが俺の名を呼んでいる。
 聞き覚えのない、低くてずっしりと重い男の声。
 しかし相手は俺を知っているらしい。
 声の主が誰なのか。
 確かめてやりたかった。そして俺が今、どこにいるのかも。

 目を開き、最初に見えたのは銀色の天井といくつかの小さな白い光。
「目が覚めたか? 麒麟」
 横になっている俺の頭の上のほうから、黒髪を後ろに撫でつけた初老の男がぬっと顔を出した。
 こいつが声の主らしいが、やはり俺は知らない。
 俺が上半身を起こすと、男はスッと顔を元に戻し、ゆっくりと俺の正面に回った。
 部屋の中にあるのは俺のいるベッドだけ。周りは、天井と同じ銀色の壁に囲まれていて、大人が二、三人入れば、息苦しさを感じる狭さだ。
「ここはどこだ? それにあんたは誰だ? 俺の仲間は死んだのか?」
「質問は一つずつにしてくれ」
 流行る気持ちを抑え、俺は大きく一つ深呼吸をする。知りたいことに序列を付けるのは難しいが、それでも一番知りたいことを尋ねる。
「……俺の仲間は?」
「心配するな。無事だ」
 男の言葉に、俺は胸を撫で下ろす。
「次の質問だ。ここはどこだ? あの城の中なのか?」
「いや」と、男は首を横に振る。
「ここはエリアゼロ。君たちが『果て』と呼んでいる場所だ」
「『果て』……ここが……」
 男の答えに、俺はしばらく続きの言葉が出てこなかった。

 小

 異星人の突然の襲来により、俺たち地球に住む者は揃って戦争に巻き込まれることになった。
 奴らの目的は人類を死滅させ、地球を丸ごと自分たちの物にすることだった。
 戦闘には子供を除く、大抵の男たちが参加した。もちろん、俺も例外ではなかった。
 奴らは高い技術力を有していたが、俺たち人類もそれに負けず劣らずのものを持っており、決して一方的にやられるだけの戦いにはならなかった。
 ただ、奴らに比べて圧倒的に劣っていたのが、生命力だった。一体を倒すのに数十発の弾丸を必要とした。
 しかし人類は諦めなかった。
 弾丸の威力強化、銃へ装填量の増加、軽量で防御力の高い戦闘用スーツの開発……自らの不利を、絶えることのない向上心を以て乗り越えたのだ。
 こうして人類は、奴らの侵略から地球を守った。

 喜ばしい勝利の影には、多くの犠牲があった。
 生き残った俺たちに課された新たなる使命は、復興だった。絶望を希望に変えようと、誰もが必死になっているように見えた。
 しかし荒廃した大地を目の当たりにし、人々の心もまた同じように荒んでいった。
 物資が満足に行き届かぬ状況で、暴動や略奪が横行した。「地球のため」と団結し、共に戦った同志に対して刃を向けるという行為が、俺にはまるで理解できなかった。
 自分の大切な者たちを守るため、俺は再び銃を手にした。
 政府が統率する治安維持部隊や警備隊、俺が所属するような有志で結成された自警団の力により、野党紛いの不届き者たちはすっかり鳴りを潜めた。
 だからといって、物資が充分に行き渡るようになったわけではない。
 誰もがどこかに不満を感じながら、どこかで堪え忍びながら毎日を過ごしていた。

 その頃だ。
 あの言葉をよく耳にするようになったのは。

「全てを望む者よ。目指せ、果てを」

 一体誰が、何の目的で、口にしたものなのか。
 あるいはどこかに書き記したのか。
 知る者はいない。
 そして「全て」とは何を意味するのか。
 金やプラチナのような財宝。
 空腹を存分に満たしてくれる食い物や酒。
 鬱屈した気分を晴らす甘美な音楽や踊り。
「全て」という二文字に、誰もがそれぞれの思いを馳せる。そこに夢を描き、どこにあるかもわからぬ「果て」という名の楽園をただ  漫然と目指していった。
 そして誰も帰ってこなかった。
 無事に辿り着けたのか。
 あるいは、見つけることができずに諦めたのか。
 あるいは、どこかで力尽きたのか。
 果てを目指した者の行く末は何もわからない。

 そんな賭けのような話に、俺も興味があった。
 少しでも今の暮らしが良くなるというのなら、行ってみる価値はあると思った。
 何より真実を知りたかった。
 幼い頃から同じ時を分かち合い、助け合ってきた仲間五人とバイクを駆り、俺は「果て」を目指すことにした。

 想像以上に苛酷な旅だった。
 情報の真偽を確かめる方法は行動のみで、何度ガセネタを掴まされたかわからないほどだ。
 同じ「果て」を目指しているという連中に嵌められ、仲間の一人が命を落とすという不幸な事件も起きた。
 そしてなぜか、治安維持部隊や警備隊にも追われるようになり、俺は「果て」に対して次第に危険な匂いを感じるようになっていった。

 かつて暮らしていたエリア153を発って半年が過ぎた頃、「果て」に最も近いと噂されるエリア1に辿り着いた。

 小

「そこの酒場で聞いてきた情報だ」
 安ホテルの一室。
 外から戻った鯱(しゃち)の言葉に、それぞれ好きなように振る舞っていた全員が、テーブルの前の椅子に腰掛けた。
「この街の外れに中世ヨーロッパの城を模した、レンガ造りの建物がある。その中に『果て』への入口があるらしい」
「いよいよ核心に迫ってきた感じだな」
 大蛇(おろち)が楽しげに笑う。
「喜ぶのはまだ早い。城の周りには高さ五メートルの塀がそびえ立っている」
「五メートルか……俺の肩車でも無理そうだな」
 仲間では最も体の大きい飛龍が、真面目腐った顔で冗談か本気かわからぬことを言う。
「唯一の出入り口には電子ロックの鋼鉄扉。電流のオマケ付きだ。それに加えて見張りが四人」
「バイクでの強行突破も難しそうだな」
 先程まで笑っていた大蛇の表情も、いつしか硬いものになっていた。
「それだけじゃない」と、鯱の報告は続く。
「見た目のクラシックさとは正反対で、中身は最新の防衛システムによって守られている」
 想像以上の難関に、全員が腕を組む。
「思いつく方法と言えば、見張りの買収くらいだな」
 大蛇の意見だ。
「手持ちの金はあまり残っていないな」
「飛龍の言う通りだな。麒麟、お前はどう思う? 何か手がありそうか?」
 これまで黙っていた俺に、鯱が尋ねる。
「……俺は……手を引くべきだと思う」
「なんだと!」
 真っ先に噛みついてきたのは、大蛇だった。
「麒麟、本気で言っているのか?」
「どう考えても簡単に中へ入れるとは思えない」
「そんなことはわかりきったことだろうが。それをどうするかって相談だ」
「さっきからお前らの話を聞いていると、無理矢理押し入るようなことばかりだ。それじゃ、その辺りの野党と同じだ」
「今更何を言ってやがる。似たようなことはやってきただろ」
「確かに生き延びるために多少の無茶はやったさ。しかし人の道から外れるようなことはしていないはずだ。違うか?」
『果て』を目指す旅を始めて以来、何度も危険な橋を渡ってきたが、意図的に他人の敷地を荒らしたり、物を盗んだり、誰かを殺めたりといった類いのこととは無縁だった。
「ここまで来て諦めるのか? 『果て』はすぐそこなんだぞ」
「まあ、落ち着けよ」
 飛龍が大蛇の肩を軽く叩く。
「麒麟はそれも検討する必要があると言ってるだけだ」
 しかし大蛇の興奮が治まる様子はない。
「お前、天馬のことを忘れたのかよ」
「忘れるわけないだろ」
 天馬とは、この旅で命を落とした仲間のことだ。
「ここで諦めたら、アイツの死は無駄になる」
「そいつは逆だな。これ以上深入りして、揃って後を追うことなんてアイツは望んじゃいないはずだ」
 大蛇が何かを言おうとしているのがわかったが、俺はそれを遮るように言葉を続けた。
「鯱の話は聞いただろ? ここまで厳重に管理されているということは、好奇心や探求心だけで近寄るべきものじゃない。決して触れてはいけないタブーと見て間違いない」
 大蛇が黙り混む。
 しばらく誰も口を効かなかった。それぞれ頭の中で自問自答を繰り返していたんだろう。
 最初に口を開いたのは、やはり大蛇だった。
「どうしてもやるつもりはないんだな?」
 低く唸るような声だった。
「そうだな。やめるべきだ」
「けっ、聞いたかよ。どうやら麒麟さんは怖じ気づいたらしいぜ」
 大蛇は吐き捨てるように言って、嘲笑を浮かべた。
「大蛇、言い過ぎだぞ」
「それじゃ、鯱。お前も麒麟と同じ意見ってわけか?」
 鯱が再び腕を組む。
「……いや、何か方法を考えてみよう」
「飛龍、お前は?」
「ここまで来たんだ。引き下がるわけにはいかんな」
「よし、それなら隣の部屋で作戦会議のやり直しだ。麒麟、お前はさっさと帰るんだな」
 大蛇に続いて、飛龍と鯱も部屋を出ていった。
 もはや俺には三人を止める術はなく、仕方なしに帰り支度を始めた。ここに長居をしても厄介者としてしか扱われなさそうだ。
 俺だって諦めたくはなかった。『果て』がどんなところなのか、知りたい気持ちを捨てきれたわけじゃない。
 しかし命を粗末にするつもりはない。
 馬鹿げている。
 そんなに死にたければ、死ねばいい。
 俺はゴメンだ。
 扉の向こう側で三人が話すのを背にして、俺は部屋を出た。

 しかし廊下の端のエレベーターホールまで行ったところで、自分がひどく薄情な人間に思えてきた。
 もう一度何か手がないかを考えてみるか。
 そう思いなおして、踵を返すと、エレベーターのドアが開いた。
 静寂を破るブーツの音に振り返ると、武装した四、五人の治安維持部隊の連中が俺の横を走り抜けていった。
 嫌な予感がした。
「まさか!」
 俺はその場にバッグを放り出し、奴らの後を追った。
 突き当たりの角を曲がると、奴らが俺の仲間がいる部屋の扉を蹴破り、中へ入るのが目に映った。
 そして、銃声が三つ。
 俺は足を止めることはせず、そのままの勢いで見張りの一人に体当たりをした。思っていた以上に簡単に相手を吹き飛ばすことができた。
 部屋の中を覗くと、奴らの足元に俺の仲間の三人が倒れていた。先頭に立つ一人が声を荒げる。
「後一人いるはずだ。探せ!」
 俺のことだろう。
「貴様ら! よくも!」
 武器の類いは持っていなかったが、逃げるわけにはいかない。部屋の隅にある鉄製のポールハンガーを掴み、奴らの一人の後頭部目掛けてそれを降り下ろした。ヘルメットを被っているとはいえ、さすがに不意打ちは堪えたらしく、そいつはその場にひれ伏した。
「いたぞ!」
 奴らの一人が銃を向けたが、発砲されるより先に俺はそいつの腹にハンガーで突きを入れた。うめき声を上げてその場にひざまずく。
「残りの二人も」と、身を翻したところで、二度の銃声が轟いた。胸の真ん中に激しい痛みを感じながら、俺は冷たい床を舐めた。
 そのまま身動きすることができない状態に陥り、直に意識も遠退いていった。

人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログへ

▲PageTop

『神様にお願い』 

忙しい人たちへ(掌編集)

 元日、午前十時十七分。
 少し時間は遅いが、いつもと変わらぬ目覚め。
「新年、新年」と世間は騒いでいるけど、何か特別なことが起きるわけでもない。昨日までと同じ、一日の始まり。
 着替えを済ませて、リビングへ降りて行くと、父と母はテーブルで年賀状を眺め、妹はコタツに座ってテレビを見ていた。
「おめでとう」と挨拶をすると、三人揃って顔を上げ、「おめでとう」と返事をした。
 母が席を立ち、お雑煮の支度を始める。テーブルの上に置かれたおせちの入ってた重箱を開けると、中身は半分ほどになっていた。
 起きるのが遅い僕を放っておいて、皆で先に食べてしまったのだ。
「壱輝もいよいよ今年は就活だな?」
 年始早々、父が嫌なことを言う。
「正直気が重いよ」
「希望の職種とか会社はあるのか?」
「まあ、ぼんやりとは決めてるよ」
 嘘だ。
「どんな仕事だ?」
「もう少しはっきりしてから話すよ」
「そうか」
 父がすんなりと聞くのをやめてくれて助かった。
 ただし、もう一つ嫌なことがある。
「バイトは何時から? 昼ご飯はたべるのよね?」
 お雑煮の入った碗をテーブルに乗せながら母が尋ねてくる。まだ朝食に口もつけていないというのに。
 気が重いのは父の就活の話のせいだけじゃない。元日にもかかわらず、スーパーでのバイトがあるからだ。
 世間はゆっくりと正月気分を味わっているというのに。
 昔は大晦日や正月と言えば、大抵の店は閉まっていたらしい。
 ところがコンビニができ、二十四時間が始まると、スーパーなどの営業時間も長くなった。
 大晦日や正月も関係なく営業し、年末年始が特別に思えなくなったと、父も母も言っている。
 そして僕も、そんなイマドキの風潮に振り回されている一人というわけだ。
 
 昼飯におせちの残りを食べた後、父は友人のところへ飲みに出かけた。
 残った三人で、コタツに入ってバラエティ番組を見ていた。
 時間が徐々に迫ってくる。
 母と妹は実に平和な顔をして、楽しげに笑っている。その気楽さが純粋に羨ましい。
「う~」
 堪らず、テーブルにひれ伏す。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「行きたくねえ。元日からバイトなんて最悪だ」
「そんなの凹んでも仕方ないじゃない」
「わかってる。わかってるけど、行きたくねえ」
「正月手当とか付くんでしょ?」
「付く。付くけど、行きたくねえ」
「だったらいいじゃん」
「いいんだ。いいんだけど、行きたくねえ」
「……ゴメン。もう付き合いきれない」
 妹はそれ以上何も言わなかった。
 いかん。これじゃ、自分で自分の首を絞めているようなもんだな。こういうときこそシャキッとせねば。
 顔を上げて、シュッと背筋を伸ばす。
「よし!」
 姿勢を保持。一、二、三……ダメだ。やっぱり行きたくねえ。
 再びテーブルの上にひれ伏す。
「壱輝、いつまでバカなことやってるの? そろそろ行く時間でしょ」
 母の声で顔を上げる。
 しゃあない。行くか。
 コタツから足を抜き、勢い良く立ち上がった。
「あっ、立ちくらみ。ダメだ、ちょっと落ち着いてから……」
「もういいって!」
 母と妹、同時にツッコミが入った。

 小


 バイト先のスーパーには自転車で十分ほどだ。ペダルを漕ぐ度に体を吹き抜けていく風の冷たさに、思わず「寒っ」と溢してしまう。
 元日の出勤は昨年、一昨年と経験済みだが、食品と日用雑貨がメインの決して大きな店ではないため、客足は遠い。

 従業員用の駐輪場に自転車を止めたところに、ちょうど誰かがやってきた。
 心臓が大きく一つ膨れる。
 少し前にレジのバイトとして入ってきた、一つ年下の大学生、漆崎彩さんだ。色白で二重瞼の目がとてもカワイイ。
「明けましておめでとうございます。本上さん」
「おめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」と、お互い馬鹿丁寧な頭の下げ合いをする。
 僕としては「今年も」ではなく、「今年こそ」彼女ともっと親密になりたいと思っている。
「元日からバイトなんて本当最悪だよね。漆崎さんだって初詣に行こうって思っていたんじゃない? 彼氏と」
 あっさりと言ってのけたつもりだが、実は心臓が破裂しそうだった。
「そうですね」と言われてしまったら、俺の希望は絶望に変わる。
「彼氏なんていないですよ。残念ながら」
 よし! 絶好のチャンス。幸先のいいスタートが切れた。しかしあくまで平静を装う。
「へえ、そうなんだ。それならさ、俺と一緒に初……」
 そこへ誰かが割って入る。
「本上君、明けましておめでとう!」
 僕の漆崎さんへの誘いの言葉を遮ったのは、彼女と同じレジのバイトである、丸山恵子さん。俺とは同い年で、縦にも横にも大きい女性だ。
「今年こそよろしくね」
「今年こそって……」
 丸山さんは密かに……ではなく、公然と僕に思いを寄せている。未だ告白などはされてはいないが、恐らくお断りをしても、すんなりとは受け入れてはくれない気がする。
「とっ……とりあえず、ヨロシク」
 僕と丸山さんのやりとりに漆崎さんは苦笑いを浮かべていた。

 小

 予想していた通り、客の数は少なかった。そして僕たち店員の数もいつもに比べて少ない。閉店時間も通常より一時間早い、午後八時。
 漆崎さんを初詣に誘うのならば、やはり今日しかない。

 僕の担当は、お菓子や調味料、飲料カップ麺、缶詰めなどの比較的賞味期限の長い食品の売り場だ。
 この時間からの出勤なら、恐らく閉店までの勤務のはずだ。しかし、もしかしたらということもある。途中で帰られてしまっては元も子もない。
 レジのそばにも陳列棚があるため、品出しだけでなく、商品整理をするフリをして、時折漆崎さんの様子を伺いにいった。

 小

 幸いなことに、漆崎さんは閉店時間まで残っていた。
 後は駐輪場に先回りして、漆崎さんが出てくるのを待つだけだ。今からすでに緊張していた。
 売り場の責任者である社員さんに、閉店作業を終えたことを報告すると、すぐさま更衣室へ向かった。素早く着替えを済ませて、 駐輪場に行き、近くの商品保管用のカゴ台車の陰に身を潜めた。
 後は邪魔が入らないことを願うのみだ。

 誰かの気配を感じるてはドキッとし、漆崎さんではないことを知って落胆の息を溢す。
 何度かそれを繰り返した後に、ようやく漆崎さんが従業員用の出口から出てくるのが見えた。
 他には誰も見当たらない。
 彼女を先に自転車置き場に向かわせて、僕は何食わぬ顔で後ろから近付いた。
「お疲れ様です」
「あっ、本上さん。お疲れ様です」
「今日はここでよく会うよね?」
 あくまで偶然を装う。
「そうですね」と、漆崎さんはクスクス笑う。怪しまれてはいないようだ。
 待ち伏せしていたなんて知られたら、引かれるかもしれないもんな。
 のんびりしている暇はない。誰かが来る前に話を進めないと。
「漆崎さんって、今から予定ある?」
「今からですか? いえ、特に」
「それじゃあ……」
 そこで言葉に詰まった。緊張と断られることへの怯えからだ。
 いや、ここまで来て諦めるわけにはいかない。
「そっ、それじゃあ、今から初詣に行かない?」
 情けないことに声が裏返った。
「えっ……」
 漆崎さんの表情に戸惑いの色が滲んだ……ような気がした。
「いや、そんな大袈裟なものじゃないんだ。この近くにある、小さい……本当に小さい神社に、お賽銭を……お賽銭って言っても、 五円とか十円くらいでいいと思うんだけど……それをチャリンと放り込みに行く程度なんだ。そう、その程度」
 動揺で自分でも驚くほど多弁で、呆れるほど言い訳じみた言葉を並べてしまう。
「うーん……そうですね……」
 やっぱり強引過ぎたかな。
 高ぶっていた気持ちが急速にしぼんでいく。
「あの……無理なら別にいいんだ。せっかくなら元日に行くほうがいいかなって思っただけで……」
 今ならまだ傷は浅い。
「その神社ってどこですか?」
「えっ、あっ、ああ……」
 想定外の質問で少し慌てたが、彼女に場所を説明する。
「少し遠回りになるけど、帰り道だし、いいですよ」
 漆崎さんが目を細くする。
「やった! あっと……」
 自然に上がった両手を慌てて下げる。あくまでバイト仲間としてだ。
 今はまだね。

 小

 その神社には、歩いて行くことにした。自転車に乗れけば二、三分で着くのだが、少しでも長く漆崎さんと二人きりでいたかったからだ。申し合わせたわけではないが、僕が自転車を押して歩き始めても、彼女は何も言わなかった。
「この近くに神社があるなんて全然知らなかったです」
「俺もあの店でバイトを始めてから知ったんだ。たまには違う道で帰ってみようかなって思ったら偶然ね」
「そうなんですか?」
「うん。去年も一昨年も、元日には初詣に寄ってから帰ってるんだ」
「一人でですか?」
「うん」
「へえ。本上さんってそういうの、一人でも平気な人なんですね」
「まあね。一人は嫌いじゃないし、友達は少なくてもいいから、本当に仲のいい奴らだけで騒ぎたいって思うほうかな」
「一人が嫌いじゃない」イコール「恋人はいらない」に取られなかっただろうか。
 言ってしまってから気が付いた。
「私も大勢で集まって……っていうのは苦手です。人が話をしているのに、割って入る度胸もないですし」
「それ、俺も同じ。俺、今年は就活なんだけどさ、会社によっては試験でディベートがあるらしくてさ。正直今から憂鬱だよ」
「うわあ、キツイですね。私、絶対無理です」
「だよな……なんか俺たちって似てるよね?」
 さりげなく共通点があることをアピールしてみせる。
「そうですね」
 漆崎さんの答えもそれほど悪くはない感じだ。
 これはひょっとしたら、ひょっとするかも。
 僕の口は自然と綻んでいた。

 小

 神社にいる人は、例年と変わりなく本当に、まばらだった。
 特に何かにご利益があるようなところでもないし、屋台が出ているわけでもない。もちろん、おみくじなんてない。ただお賽銭を入れて、鈴を鳴らすだけ。
 来ているのは地元の人くらいだろう。
 ここを選んだのは、本格的になり過ぎると断られる気がしたからだが、実際に連れてきて、あまりに何もないので心配になった。
「ゴメン。どうせならもう少しちゃんとした場所のほうが良かったかな? 何だか漆崎さんに悪いことした気がしてきた」
 そっと彼女の表情をうかがってみるが、ぼんやりとした提灯の頼りない灯りではよくわからない。
「そんなこと、気にしなくてもいいですよ。だってバイト帰りに少し寄るだけなんだし。それに私、人混みが苦手だから、このくらいがちょうどいいです」
 助かった……。

 賽銭箱も例外なく空いていた。前に立つのは三人だけで、大して並ぶことなく、すぐに順番が回ってきた。
「漆崎さんは何をお願いするつもり?」
「そうですね。いろいろです」
 照れ臭そうに微笑む姿がとてもカワイイ。彼女の言う「いろいろ」に恋愛成就は含まれているんだろうか。
「本上さんは何をお願いするんですか?」
「いろいろかな」
「じゃあ、私と同じですね」
 僕たちはお互いの顔を見て笑った。財布から取り出した小銭を、二人揃って賽銭箱に投げ入れた。漆崎さんが先に鈴を鳴らし、 パンパンと両手を二度打って目を閉じる。
 続けて僕が鈴を鳴らして、両手を二度打つ。
 そして目を閉じる。
(神様、正月出勤手当の五百円をお賽銭として入れさせていただきました。どうか、今僕の隣に立つカワイイ女性と付き合えますように! 何卒良き計らいをお願い申し上げます!)
 目を開けて、漆崎さんに視線を移す。
(神様、この女性が……)
 全身の血の気が引く。
「ゲッ!」
 そこにいたのは漆崎さんではなく、丸山さんだった。
「丸山さん、いつからそこに……」
「随分前からいたわよ。本上君と漆崎さんがどこかに行くのが見えたから、つけてきたのよ」
 ストーカーだよ。完全に。
 漆崎さんはと言うと、丸山さんの後ろで苦笑いを浮かべている。
「本上君が漆崎さんに何かするんじゃないかと心配だったけど、本上君に限ってそんなことあるわけないわね。疑ってゴメンね」
「いえ、いいんです……」
「ところで本上君、随分長い間手を合わせていたけど、何をお願いしたの?」

(今僕の隣に立つカワイイ女性と付き合えますように!)

 そう願を掛けたときには、まだ漆崎さんが隣にいたんだろうか。
 それともすでに丸山さんに入れ替わった後だったんだろうか。
 二人の顔を交互に見比べる。

 色白で大きな二重瞼のこっちか……。

 縦にも横にも大きいこっちか……。

 いったいどっちなんだ……。

「もしかして私と同じ願い事だったりして」
 丸山さんがにんまりする。
「そっ……そうかもね……ははっ、はははは」
 自分でも顔が引きつっているのがわかった。

 神様! さっきのお願いキャンセルで!

<了>

人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログへ

▲PageTop

『星の欠片を探して』 

忙しい人たちへ(掌編集)

「なあ、昴。何か欲しいものはないか?」
「欲しいもの?」
「うん。兄ちゃんがプレゼントしてやるよ」
「本当に?」
 昴の顔がパッと明るくなった。
 リビングのソファで話す兄弟二人の様子を、キッチンから眺めていた涼香は少し落ち着かない気持ちになった。昴が深く考えもせず、思いつくまま欲しいものを口にするのではないかと心配だったからだ。
 生まれつき心臓に病気を持つ昴は、一週間後に手術を受けることになっている。小学二年生の彼にとっては初めての経験で、手術の話を聞いてからは、一様に不安と恐怖に押し潰されそうな気分で毎日を過ごしていた。
 そんな昴を励まそうとしているのが、三つ年上の兄、拓海だった。
「それじゃあ……」
「うん」
「星の欠片が欲しい」
「星の欠片?」
 涼香の胸がざわつく。
「この前テレビで見たんだ。宇宙から時々星の欠片が落ちてくるって」
 昴が熱心にそんな番組を見ていたことを、涼香はふと思い出した。夕食の準備を中断して、涼香も二人のそばに腰掛けた。
「昴はどうして星の欠片が欲しいの? オモチャとか漫画のほうが良くないの?」
 例え高価な物だったとしても、それなら拓海の小遣いにお金を足してやるだけで済む。
「だってもし手術が失敗したら、僕死んじゃうから……その前になかなか見れないものを見ておきたくて……」
 昴の言葉に涼香は目を丸くした。昴が手術を不安に感じ、怖がっているのはわかっていたが、まさか死を意識しているとまでは思ってもみなかったのだ。子供の気持ちを理解していないダメな母親と、涼香は自分を恥じた。
「大丈夫よ、昴」と、涼香は昴の手を握る。
「病院の先生が言っていたでしょ? 簡単な手術だから心配ないって」
「そうだけど……」
「それに星の欠片なんて簡単には……」
 見つからない。
 涼香がそう昴を諭そうとしたところで、拓海が口を挟んだ。
「わかったよ、昴。兄ちゃんが探してやる」
 拓海の言葉に涼香は慌てる。
「拓海、そんなこと……」
「いいじゃないか。やってみなさい」
 涼香、昴、拓海の三人が一斉にリビングの入口へと視線を向けた。この家の長、啓治が外出先から帰宅したのだ。
「おかえりなさい」
 三人が声を揃える。
「宝探しみたいで面白そうじゃないか。なあ、拓海?」
「うん」
「明日から早速探しに行かないとな」
 拓海と啓治の言葉に、昴は「やった!」と両手を上げた。啓治は息子二人の頭を撫でると、上着をハンガーに吊るして、ダイニングの椅子に座った。涼香も夕食の準備のため、キッチンへ戻ろうとする。その途中、啓治のそばに寄り、小さな声で「大丈夫?」と尋ねた。
 啓治は何も答えず、優しく笑って頷いただけだった。
 地球に向かって落下する隕石のほとんどは、大気圏で燃え尽きてしまう。運良く残っても、人の住まない場所に着地ちるケースがほとんどらしい。
 それを啓治が知らないはずはない。
 そんな無責任なことを言って、いったいどうするつもりなんだろう。
 涼香には啓治が何を考えているのかわからなかった。

 ☆ ☆ ☆

 翌日の放課後、拓海はランドセルだけを家に置きに帰り、宿題やオヤツは後回しにして『星の欠片』を探しに出掛けた。
 目指したのは、自転車で十五分ほどの河川敷。
 当てがあるわけではない。何となくそこにあるかもしれないという感覚に従っているだけだ。
 ところどころ雑草の茂った川沿いを、石ころを探して歩く。
 拓海のイメージする星の欠片は、表面がゴツゴツしていて、形がいびつなものだ。少し変わった形のものを手に取り、拓海なりに吟味する。
 どれもこれも似たような感じでそれほど違いはなかった。しかも人の手によって整備され、管理されているこの川では、それほどたくさんの石は落ちていなかった。
 暦は三月。もうすぐ春とは言え、まだ寒く、暗くなるのも早い。それでも拓海は時間の許す限り石を探し続けた。

 拓海が家に帰ると、昴が真っ先に「どうだった?」と、星の欠片探しの成果について尋ねた。
「川沿いを探してみたんだけど、見つからなかった」
「そっか。残念」
「心配するなって。まだ時間はあるし、ちゃんと見つけてやるよ」
 根拠などないが、昴の寂しげな顔を見ると、そう言ってしまう。

 ☆ ☆ ☆

 翌日以降も、拓海は学校から帰ると、星の欠片探しに出掛けた。
 高台の公園、少し離れたところにある丘、漂着物がたくさん流れ着く港。少しでも星の欠片が落ちていそうな気配のするところへと足を運び、日が暮れるまで石ころを拾っては捨てを繰り返した。

 初めは元気の良かった拓海も、次第に疲れが出始め、言葉少なくなっていた。
 昴の手術まで後二日。入院の前日になっても、拓海はまだ星の欠片を見つけることができていなかった。
 意気消沈して帰宅した拓海に昴が無邪気に尋ねる。
「お兄ちゃん、見つかった?」
 その言葉に拓海が鋭く目を尖らせる。
「そんなに簡単に見つかるわけないだろ!」
 昴の体がビクンと跳ね上がる。
「拓海!」
 二人のやり取りを聞いていた涼香が声を荒げる。拓海は返事もせずに二階へと駆け上がった。
「拓海! 待ちなさい!」
 涼香の言葉に対する答えは、激しく閉められたドアのバタンという音だけだった。
「僕、怒らせちゃったのかな」
 昴が泣きそうな声を出す。
「大丈夫」と、涼香は昴のそばに寄り、肩を抱いた。
「少し疲れているのよ」

 夕食の時刻になり、涼香に声を掛けられても、拓海は部屋に籠ったままだった。ベッドに横になり、星の欠片探しが上手くいかない苛立ちを、昴にぶつけたことを後悔していた。すぐに謝れば良かったのだが、変な意地を張ってしまい、タイミングを逃してしまったのだ。バツが悪くて、出ていくに出ていけない。
 そしてそれ以上に、未だに星の欠片を見つけられず、昴に合わせる顔がないからだ。
 自分の行ける範囲で、思い当たる場所へはもう全て足を運んだ。
 やっぱり星の欠片を探すなんて無理だったんだろうか。
 拓海の頭にそんな考えが浮かんだ瞬間、誰かがドアをノックした。
「拓海」
 啓治の声だ。
「開けてくれないか?」
 これを逃すと、永遠にこの部屋から出ることができない。そう思った拓海は、自分からドアを開いて、啓治に顔を見せた。
「入ってもいいか?」
 啓治の問いかけに拓海は黙って頷く。
 ベッドに腰掛けた拓海の隣に、啓治も並んで座る。
「お母さんから聞いたよ。星の欠片、なかなか見つからないんだって?」
「……うん。父さん、俺、どうしたらいい? 昴に星の欠片をプレゼントしてやるって約束したのに……アイツ、手術が失敗して死んじゃうかもしれないって思っているんだ。俺が勇気づけてやらないといけないんだ」
 拓海がギュッと啓治のセーターの袖を掴み、涙目で必死に訴えかけてくる。
「父さん、何とかして! 僕一人で行けるような所は全部探したんだ。どこでもいい。父さんが思い当たる場所に連れて行ってよ!」
 啓治は改めて拓海の熱い思いを知った。
「よし。わかった。明日は昼には家に帰ってくるから、父さんと一緒に星の欠片を探しに行こう」
「本当に?」
「ああ。ただし、昴を病院へ送っていかなくちゃならないから、時間はあまりないぞ」
「うん。それでもいい」
「さあ、晩御飯を食べよう。昴には『さっきはゴメンな』って言うんだぞ」
「うん。あの、父さん……」
「なんだ?」
「ありがとう」
 拓海の素直な感謝の言葉に、啓治は少し照れ臭くなった。

 ☆ ☆ ☆

 午後0時三十分頃に啓治が帰宅した。「次男の入院」という理由で、会社を早退したのだ。
 昼食は適当に済ませて、啓治と拓海は最後の星の欠片探しに出掛けた。
 午後三時前には病院へ向かう必要があるため、決して時間があるとは言えないが、拓海にとっては無駄にできないチャンスだった。

 啓治が車を止めたのは、自宅から四十分ほどのところにある河原だ。先日、拓海が行った河川敷に比べると、整備も不十分で、辺りは拓海の背丈の半分ほどにまで雑草が多い茂っている。しかし雰囲気だけで言うなら、こちらのほうがどこかに星の欠片が落ちていそうな可能性を感じる。
「随分と前のことだけど、この辺りに隕石が落ちたって話があったらしいんだ」
「えっ?」
「もちろん、嘘か本当かはわからないよ」
「そっか……」
「時間だって限られているんだし、何の手がかりもないよりはマシだろ?」
啓治の言葉に、拓海は「そうだね」と力強い表情を見せる。
「それじゃ、手分けして探そう。あまり遠くに行くなよ。雑草だらけだし、どこにいるかわからなくなるからな」
「わかった」
 雑草が体に纏わりついて歩きにくい。そして何より痛いし、痒い。それでも拓海は懸命に石を探す。
 これがもし自分のためならば、とっくの昔に投げ出していただろう。

「昴のため」

 それが拓海を突き動かす力だった。 
 拓海は心臓に病気を抱える昴を、多少は気にかけていたが、余所の兄弟に比べて格別仲がいいというわけではない。プレゼントの件にしても、拓海にしてみれば、いつもと変わらぬ軽い気持ちからだった。
 しかし「手術が失敗したら」という昴の言葉を聞き、拓海は実際に昴がいなくなってしまったときのことを想像した。
 その瞬間、今までにない喪失感を抱いたのだ。
 祖父母も健在である彼にとっては、誰かが亡くなったという経験はないが、それでも大切な者を失ってしまうことの辛さを感覚的に悟ることはできた。
 手術の成功率は高いというが、そんなことよりも、不安を抱える弟のために何かをしてやりたい気持ちのほうが強かった。
 しかし拓海の心情とは裏腹に、星の欠片らしきものはなかなか見つからなかった。ここにある石も余所にあるものと、それほど変わりがない。
 時間は刻一刻と過ぎていく。時計を持たない拓海にとっては、啓治から呼ばれることが、星の欠片探し終了の合図だ。いつか来るその時まで、拓海はただひたすら、まだ見ぬそれを探し続けた。

「拓海!」
 啓治の声。
 ついにタイムリミットか。
 拓海は悔しい気持ちを噛みしめながら、雑草の上から顔を出し、啓治に向かって右手を振った。
 啓治が雑草を掻き分け、歩きにくそうに拓海のそばへ近づいてくる。
「拓海! あったぞ」
「えっ、本当に!」
 自分でも驚くほどの大きな声が出た。
「ほら」
 啓治の右掌には、三、四センチほどの黒い石が乗っている。真っ黒というわけではなく、ところどころ茶色や銀色の部分もある。表面はゴツゴツとしており、触ると突き刺さるような感覚がある。
 拓海が今までに探した場所では、どこにもこんな石は落ちていなかった。
「これって……本当に隕石?」
 ようやく見つけられたであろう嬉しさと興奮で胸が高鳴る。
「ああ。きっとそうだよ。早く帰って昴にも見せてやろう」

 帰りの車の中でも、拓海は上着のポケットに入れた石をずっと握り締めていた。
「拓海、その石はお前が見つけたと、昴には話せばいいからな」
「えっ……」
「大切なのは、誰が見つけたかより、誰が一番一生懸命になったかだと父さんは思うんだ」
「でも……」
「よく頑張ったな。きっと昴もお前を見習うぞ」
 啓治の誉め言葉に、拓海は少し照れ臭くなった。

 ☆ ☆ ☆

「おかえりなさい!」
 家に帰った啓治と拓海を、昴は大きな声で出迎えたが、「見つかった?」と、尋ねたりはしなかった。
 拓海からすれば、今日こそ尋ねて欲しかった。
「昴、見つけたぞ」
「えっ! 本当に!」
 ソファに腰掛けていた昴が、拓海のそばに駆け寄ってくる。
「ほら、手を出して」
 昴は恐る恐るといった感じで、微かに震える両掌を差し出す。
 涼香もその様子を見守っている。
 拓海は星の欠片を握りしめた右手を、昴の掌に重ねた。
「いいか? 落すなよ」
「うん」
 拓海が右手をゆっくりと開き、昴の両掌に星の欠片を乗せた。
「うわあー、すごい!」
 初めて見るそれを目の前にして、昴が心躍らせているのが、拓海にははっきりとわかった。両掌に乗った欠片を、目を輝かせながらいろいろな角度から眺めている。
「まだ少し温かいね。宇宙から落ちてきたばかりだからかな?」
 石が温かいのは、拓海が上着のポケットの中で握りしめていたからなのだが、拓海は何も言わずにおいた。 
「すごいよ! お兄ちゃん。本当に見つけてくれたんだね!」
 しかし屈託のない昴の喜び様が、逆に拓海を苦しめた。
「昴……ゴメンな」
「何? どうして謝るの?」
 昴はよくわからないといった様子で首を傾げる。
 涼香にもなぜ拓海が謝っているのかがわからなかった。
 理由を知っている啓治だけは、神妙な顔つきで拓海の次の言葉を待っていた。止めるつもりはなかった。
「それを見つけたのは……お兄ちゃんじゃなくて、父さんなんだ」
「そうなの?」
「うん。お兄ちゃんも一緒に探したんだけど、見つけられなかった」
 申し訳なさげ、そして悔しげな表情を拓海は浮かべる。「俺が見つけた」と報告したかった。父がどれほど頑張りを評価してくれようとも、昴に対して嘘を付きたくはなかったのだ。
「そんなのいいよ。別に……だって、大切なのは気持ちでしょ?」
「えっ……」
 昴の口から思いも寄らず大人びた言葉が出てきたため、拓海は目を丸くした。
「お母さんが言ってたよ。もし見つからなくてもお兄ちゃんを怒らないであげてねって。大切なのは気持ちだって」
 啓治が涼香に視線をやる。涼香は何も言わずに、ただ笑顔で静かに頷くだけだった。
「それよりさ。手術が終わったら、僕も星の欠片を探しに行きたいな!」
 昴が興奮気味に話す。手術が怖いと縮こまっていたのが嘘のようだ。昴のその表情を見て、拓海も嬉しくなる。
「よし。じゃあ、一緒に行こう。言っとくけど、簡単には見つからないからな」
「うん。わかってる」
 昴と拓海は顔を見合わせて笑った。
 
 無邪気な二人の会話を聞いていると、啓治は自分自身のしたことが正しかったのか、間違っていたのかがわからなくなっていた。
 涼香が彼のそばに寄り、小さな声で尋ねる。
「あの石、どうしたの? まさか本当に星の欠片……ってことはないわよね?」
 彼女は全てお見通しのようだ。
「うん。ペットショップに売っている溶岩石の欠片だよ。アクアリウムなんかでよく使われているんだ」
「そうなんだ。ねえ、始めからこうするつもりだったの? 隕石なんか簡単に手に入らないってあなたもわかっていたのよね?」
「うん。もちろん、わかっていた。でも、それより拓海の気持ちを大切にしてやりたくてね」
「そうか……あなたらしいわね」
 涼香は彼の優しさを改めて知り、微笑まずにはいられなかった。
「でも少しやり過ぎたかなって後悔しているんだ」
「どうして?」
「あれが偽物だって知ったときに、あの子たちがどれほど落胆するかと思うと……」
 苦笑を浮かべる啓治の左手を、涼香がギュッと握り締めた。
「心配いらない。あの子たちならきっと笑って許してくれるわよ」
 
<了>

人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログへ

▲PageTop

『憧れのスポーツカー』 

忙しい人たちへ(掌編集)

 どうしてスポーツカーに憧れるようになったかと聞かれると、私にも理由はよくわからない。衝動的に何かを始めたり、興味を持ったりすることは誰にでも経験のあることだと思うが、恐らくその類だろう。
 ただし、理由はなくともキッカケはあった。
 
 小
 
 三十歳の頃、会社の先輩と外回りの途中で入った知らない喫茶店。
 席に着いて注文を済ませると、先輩がマガジンラックから適当に抜き取った雑誌の一つを私に差し出した。私から読ませてくれと頼んだわけでもないし、先輩だって私にどれが相応しいかを吟味したわけじゃなかっただろう。恐らく手に触れたものを「暇つぶしで読め」というつもりで寄越しただけに違いない。
 それは車の情報誌だった。
 スポーツカーは愚か、車も単なる移動の手段としか考えていなかった私は、当然その雑誌をじっくり読むということはなく、パラパラとページを捲る程度にしか見ていなかった。
 ところが、半分を過ぎたところに掲載されていた、メタリックブルーのスポーツカーに私は釘づけになった。
 スポーツカー特有のシャープさの中に適度に曲線が取り入れられた、力強く、美しいフォルムが文句なしにカッコ良かった。夕焼けをバックに高速道路らしき場所を駆る写真は、今にも私のそばを走り抜けていきそうなほどスピード感のあるものだった。
 雑誌を手にした時の心情など忘れ、私はその車の記事を隅から隅にまで目を通した。
 欲しいと思った。
 乗りたいと思った。
 この車で夕焼け空をバックに高速道路をぶっ飛ばしたいと思った。
 気になるお値段は一千万円。言うまでもなく外車だ。
 買いたい気持ちはあったが、当時は結婚したてで、軽四を買ったばかりだった。それも妻の両親が嫁入り道具の一つとして持たせてくれたものだ。
 それ以前に、しがないサラリーマンである私にはそんな大金が出せるわけなかったし、ローンを組めたとしても、維持していくだけの甲斐性もなかった。
 結局、その時は夢に終わった。

 しかし一度欲しいと思うと、なかなか諦められないのが私の悪い癖で、その後もスポーツカーへの興味が薄れていくことはなかった。
 コツコツと金を貯め、いつかスポーツカーに乗ることを目標にしながら、インターネットでカタログを収集して、それを眺めることで どうにか欲求不満を解消していった。
 ただし、ショールームなどに現物を見に行くことはしなかった。店員に言い寄られるのも嫌だったし、欲しい気持ちが抑えきれなくなりそうだったからだ。

 それからしばらくして息子が生まれた。
 これまで以上に金が必要になることは明らかで、その影響は私の小遣いの減額にまで至った。当然、貯金も減った。
 それでもスポーツカーを買うという夢は捨てられなかった。軽四のハンドルを握りながら、信号待ちで時折、隣に止まるスポーツカーをただ羨ましいという気持ちで見る日々が続いた。

 息子が幼稚園に通い始めるようになる頃、今度は娘が生まれた。
 そこで、妻との間に車の買い替えの話が出た。
 絶好のチャンスが来たと言いたいところだが、そうではなかった。
 チャイルドシートを二つに増やすことや旅行などに出掛ける際に荷物を載せるスペースを確保することが主な理由のため、軽四以上に車内が狭いスポーツカーを買いたいとは、とてもじゃないが口にできなかった。。
 チャンスどころか、むしろ、夢の実現はさらに遠のいたと言って良かった。
 新しく買ったミニバンは確かに重宝した。チャイルドシートを二つ装着しても充分な広さがあったし、目一杯荷物を詰め込んでも、苦もなく走れるだけの馬力があった。
 しかしスポーツカーのようなカッコ良さやスピード感のようなものは、当然実感できなかった。

 いつしか子供たちはチャイルドシートが不要になる年頃になったが、その分、学費を始めとする養育費が増えた。残念ながら毎年の昇給は、それに正比例というわけにはいかなかった。
 その頃の私がどうやってスポーツカーに対する欲求不満を張らしていたかというと、テレビゲームとプラモデルだった。「息子につき合って」というのが表向きの理由だが、実際は私のほうが息子以上に熱中していた。
 テレビゲームでは、ハンドル式のコントローラを買って、レースに臨んだ。稼いだ賞金をひたすらカスタムパーツの購入に注ぎ込み、最速のスポーツカーを作り上げることに成功した。
 プラモデルも同じだ。組立書通りに作り上げるのではなく、百円均一などで材料を揃えて、シートに革を張ったり、ライトが点灯する仕掛けを作ったりと、ディティールにとことん拘った。完成したそれを眺め、一人自分が運転する姿を想像してニヤリと笑ったものだ。

 ミニバンに乗り続けること十五年。今度こそ本当のチャンスがやってきた。
 息子が免許を取れる歳になったのだ。言うまでもなく、彼とスポーツカーを共有しようというのが私の目論見だった。

「免許なんて別になくてもいいじゃん」

 息子の言葉に私は目を丸くした。
「ちょっ、ちょっと待て。免許がいらないって……どういうことだ」
「だって俺、別に車が運転したいと思わないし」
「車がないといろいろ不便だぞ」
「そう? 今までそんなの感じたことないけど」
「それはお前が高校生だったからだろ」
「そうかな。行きたいところがあれば電車で行けばいいし」
「電車が走っていないところへはどうやって行く?」
「友達に乗せてもらう」
「友達にって……」
「まあ、身分証明書としては役に立ちそうだけどさ。それならたまに乗る程度なんだから、今ある家の車で充分だし」
 まさに今時の若者らしい発想だった。
「でもな、恋人ができたらどうする? 自分の車くらい持っていないと格好がつかないぞ」
「車がなければ付き合えない女なら、こっちから願い下げだよ」
 息子は自分から相手に条件を付けられるほどのモテ男だったんだと、私はその時初めて知った。
 そこまで言われてしまうと、諦めざるを得なかった。
 
 それからしばらくして、息子は免許を取った。しかしスポーツカー共有の話には、結局、食いつかず仕舞いで、車が必要なときは家のミニバンに乗っていた。

 三年後、今度は娘が免許を取れる歳になった。
 息子と違って行動派の彼女は、高校を卒業すると、すぐに教習所へと通い始めた。
 これなら可能性はあると、私は静かに微笑んだ。

「スポーツカーなんていらないわよ」

 息子の時ほどの衝撃はなかった。
 それはそうだろう。助手席ならともかく、スポーツカーを自分で運転したがる女の子なんてあまりいないことは容易に想像できたからだ。
「だって私、丸っこくてカワイらしい、ピンク色の軽に乗りたいんだもん。それなら共有でもいいよ」
 娘は無邪気に笑ったが、そんなことをしても得するのは彼女だけだ。
「例えば、サングラスを掛けた女性がスポーツカーから颯爽と降りる姿ってカッコ良くて絵になると思わないか?」
「それはカッコいいとは思うけど」
「そうだろ?」
「でも私が目指しているのはそういうのじゃなくて、カワイイ系女子なのよね」
「カワイイ系?」
「そう。だからスポーツカーとかカッコいいなんていうのは、全く不要なわけ。それよりさ、お父さんこそさっきの話に乗らない?」
「さっきの話?」
「お父さんみたいなおじさんがさ、丸いピンクの軽から降りてきたら絶対カワイイよ」
 私は開いた口がしばらく塞がらなかった。

 やがて子供たちは独立し、家を出ていった。
 スポーツカーを共有するという私の目論見は、とうとう果たすことができなかったが、同時にまた買い替えを検討する必要ができた。大量の荷物を積み込むことや家族四人でどこかへ出掛けることがなくなるため、ミニバンに乗り続ける理由もなくなった。
 しかしその時も、スポーツカーは候補に挙がらなかった。というより、挙げることができなかった。六十を過ぎてスポーツカーの助手席に乗る妻の気持ちは容易に想像できたし、この先年金暮らしへと向かっていくことを考慮すると、やはり昔のように軽四を選ぶのが妥当だった。

 小

 その後、ほぼ買い物専用と化した軽四に乗り続けて八年。 
 妻が他界した。六十八歳だった。平均寿命からすれば若いが、私自身もそう遠くないうちに後を追う形になるだろう。
 スポーツカーへの情熱はというと、昔に比べれば、随分と冷めていた。
 しかし乗ってみたいという気持ちはまだあった。
 後数年もすれば、免許の返却を検討しなければならない歳になりながらも、私はスポーツカーの購入へと踏み切った。
 あの時雑誌で見たメタリックブルーのスポーツカー。
 もちろん、同じものを買う金はない。コツコツと貯めていた金も、妻のため、子供のため、孫のためと使っているうちにほとんどなくなった。
 そんな私に買えたのは、国産のスポーツカー。当然、中古で、値段はたった三十万円。随分と型も古い。色だけは同じメタリックブルーだが、美しい光沢はなく、どこかくすんで見える。
 もう妻や子供たちを乗せることはない。
 私一人が満足するための専用車ならば、充分だ。

 十日ほどして、車は自宅へ届けられた。
 それまで乗っていた軽四は下取りしてもらえるため、車を届けてくれた中古ショップの店員が乗って帰った。

「さてと」
 私は一人呟き、滑り込むように車に乗り込んだ。
 長年の夢がいよいよ叶うとなると、年甲斐もなく、胸が躍った。
 運転席に座り、エンジンを掛ける。ブオンというエンジン音が辺りに木霊した。見た目はイマイチでもやはりスポーツカーだ。
 若いときによく聞いていた、ハードロックのCDをプレイヤーに入れる。エンジンと同じ、低くて重い音が車内に流れ始めた。
 クラッチを踏み、ギアをローに入れる。
 スポーツカーと言えば、マニュアル。オートマなんて邪道だ。
 アクセルを踏み、クラッチから足を離した瞬間、エンジンがプスンと停止した。
 エンストだ。なにしろ、マニュアル車に乗るのは教習所以来だ。無理もない。

 それからしばらくエンストを繰り返して、ようやく車が前へと進んだ。
 国道へ出ると、調子に乗って少しスピードを出してみた。アクセルを踏むと、エンジンの回転数が気持ちいいほどスッと上がり、車体が後ろに沈むのがわかる。軽四やミニバンでは味わえなかった感覚だ。
 隣を走る車を次々と交わしていくのは、堪らなく気分が良かった。
 目指すのは海だ。あの雑誌のように、夕焼け空をバックに高速道路を駆け抜けるつもりだった。
 信号待ちで車を止めると、右手に建つマンションが目に入った。
 昔はここにスーパーがあった。結婚したばかりの頃、妻と二人でよく買い物に来た店だ。ここだけじゃない。妻は所謂「ハシゴ」というのが好きで、できるだけ安い物を求めて一日でいろんな店を一緒に回らされたものだ。
 運転は二人交替でするのだが、妻は運転が決してうまいわけではなく、よく車をぶつけた。その度に落ち込むため、慰めるのに随分苦労した。
 昔を懐かしんでいると、後ろからクラクションが鳴った。
 慌てて車を発進させる。
 しばらく走って高速道路に乗った。
 これから目指す海も、家族四人でよく行った場所だ。
 出発したての頃は子供たちも機嫌が良いのだが、車に乗っている時間が長くなってくると、二人とも退屈して狭い車内で騒いだ。
そう言えば、ミニバンが新車のときにジュースを零されて、怒ったことがあった。
 子供たちは随分しょげていたっけな。今思えば、そんなに頭に来ることでもなかったのに。
 道に迷って、妻と喧嘩したこともあった。事前に地図で経路を確認していたのに、渋滞を避けようと私が違う道へ入ったのが原因だ。
 ゴールデンウィークと盆休みは、毎回どこへ行っても渋滞に巻き込まれた。息子や娘がトイレをしたくなってよく困った。サービスエリアで「トイレはいいか?」と確認したにも関わらず、後になってそんなことを言う。
 一番参ったのは、行き先まで半分のところまで来て、妻が忘れ物をしたので戻ってくれと言ったときだ。もちろん、大喧嘩になり、しばらく口を利かなかったほどだ。

 車に乗っていた妻と子供たちの顔が、私の頭の中に浮かぶ。その時に見た三人の表情を今でも鮮明に思い出すことができる。
 憧れのスポーツカーに乗れて、嬉しくて仕方がないはずなのに、なぜ楽しめないんだろう。満足だという気持ちはどこにもない。
 太陽が西へ向かって、少しずつ傾き始めていた。
 帰りはちょうど夕方になるが、例えどんなに綺麗な夕焼け空が見えても、何も感じない気がする。

 今になってようやくわかった。
 私はスポーツカーなんて好きじゃないって。

<了>

人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログへ

▲PageTop

Menu

最新記事

最新トラックバック

カテゴリ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード